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「箕輪の剣」最終話

最終話 まろはし

 上泉伊勢守信綱の興した新陰流。途上の剣は、こののち研鑽を重ねて、心技体を鍛える武芸として昇華していく。それは、剣聖に相応しいものであり、その命脈は門下によって、それぞれの解釈に基づく開花をしていった。
 心技体。
 これを鍛えることが、剣の道だ。
 かつて陰流では、心・眼・左足が一致することを極位とした。相手の発する〈気〉と、察して応じる〈心機〉の融合と、変幻自在。これを〈転し〉と称し〈まろはし〉とよんだ。
 新陰流もこの流れを汲む。
 上泉信綱は伊勢で北畠具教に理解を得られた。よき出会いも、ここであった。宝蔵院胤栄と柳生宗巌、両者は新陰流の門人となり、研鑽して、あらたな流派を創造していく。
 将軍・足利義輝。
 剣豪将軍で知られる彼も、新陰流に強い理解を示した。塚原卜伝から〈一の太刀〉を相伝されたともいう。こういう人物は、将軍という肩書を形式くらいに考え、剣を握るときだけが自由であった。
 塚原卜伝曰く。
「義輝公の太刀筋、豪達にして優美、惜しむらくはその御身なり」
 もしも将軍でなければ、きっと名を残す武芸者となっただろう。その点では、上泉信綱も同感だった。その足利義輝も、将軍襲撃という下剋上の果てに、類まれなる剣客でありながら世を去った。
「剣技と戦さは別儀なり」
 このことを箕輪で悟っていただけに、上泉信綱は無念であった。
 相手に戦意を抱かせぬ剣の極意。武器を持たせぬ極意。崇高なる公案であった。
 上泉信綱がそれを〈してみせた〉かは、定かでない。ひとつだけ明確なことは、新たな門人である柳生宗巌が〈無刀取り〉を為したということ。武器を持たず、武器を持つ相手を制すること。
 兵法も極めれば、そこに至る。
 そういうことなのだろう。戦国乱世に、この境地は崇高にして、厳しい。
 
 逸話がある。
 旅をする上泉信綱一行は、ある村で、子供を人質に小屋へ立て籠もる男の事件に遭遇した。僧衣を拝借した上泉信綱は、男へ問う。
「腹が減っているだろう」
 そうして、寸鉄帯びぬ身に、握り飯を手にして
「その童も、お前さんも、腹が減っているはずだ。それ、まずは握り飯を食ってからだ。受け取れ。どうした、ただの坊主だ」
 その言葉は、ふらふらと、従わずにいられない誘惑だ。
 男は手を伸ばした。握り飯に、手が届く、その瞬間。男の身体が宙に舞った。そこには、男を取り押さえた上泉信綱がいた。相手の片手にある刃物さえも奪い取っていた。まさに、瞬く間の出来事だ。
 これが、無刀取りというものだろう。
 柳生宗巌、曰く。
「人の刀を取るを芸とする道理にてはなし。われ刀なきときに、人に斬られまじき用の習いなり。諸道具を自由に使わんがためなり。刀なくして人の刀を取りてさえ、わが刀とするならば、なにかわが手にもって用に立たざらん。扇をもってなりとも、人の刀に勝つべし。無刀とはこの心がけなり」
 これは『兵法家伝書』にある言葉だ。
 
 しかし、思う。
 云うは易し、行うは難し。武芸とは、そのような嶺を越えて、更に踏み入る無間の公案ではあるまいか。終わりなどなく、果てしない。
 人としては、どうか。
 上泉秀胤は、信綱の子である。かつて、箕輪の包囲を緩和するため、北条へ人質とされた。父に従い兵法家の道を歩んだが、北条の戦さに駆り出された。国府台の合戦は、里見と北条の戦さだ。里見はここで大敗した。正木時茂の嫡男で誰からも慕われた信茂が討ち死にした。里見にとっては大きな敗戦だった。それだけに、抵抗も大きかった。北条勢も多くが疵つき、命を落とした。
 この戦いで、上泉秀胤は死んだ。
 父親同士は、武を通じて理解を交えた。上泉信綱も正木時茂も、互いの力量をみとめ、心のどこかでは、かけがえのない友だと思っていた。その子供たちが、同じ戦場で、互いに見知らぬまま殺し合い、誰の刃かも知らぬ切っ先に貫かれて死んだのだ。子供たちも、出会いの場が異なれば、きっと理解を交わすことが適ったことだろう。
 それは、無に帰した。
 子供が、死んだ。
 報せを聞いたとき、信綱は悲しんだ。父として、人並みにその死を嘆いた。が、武芸を極めるためには、感情を捨てることもある。だから、その想いを押し殺した。十三回忌にして、ようやく我が子の墓前に立つこととなった。
 戦国という狂気の前では、武芸は無力である。そのことは、上泉信綱を終生縛りつけた。
 武芸を極めることの、これは業だ。
 その業の果てにある景色は、まだ誰も知らない。
 
 信綱の最期は、よく知られていない。一説によれば、柳生の庄で死んだといわれる。証拠はない。かといえば、後妻との間にもうけた二人の子が兵法師範として仕える小田原北条家へ赴き、そこで死んだとも囁かれるが、やはり証拠はない。上州へ帰ったとも囁かれる。
 武芸者として、どこで世を終えたものか。
 門下はそれぞれの道で剣を模索し、きっと身辺には、くまだけが残され、看取る瞬間まで尽くしたことだろう。
「まだ、途上」
 今わの際まで、剣に憑かれたのかも知れない。
 それはそれで、箕輪の剣は、たしかに天下へ拡がった。
 武田信玄は天下を為しえなかったが、剣聖として、上泉信綱は天下一となった。そのことに、だれ憚ることなく公言できることは、疑いない。
 
 上泉伊勢守信綱。
 天下の、剣聖なり。

               了

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