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異形者たちの天下最終話-3

最終話-3 逢魔ヶ刻に傀儡は奏で、木偶が舞う

 服部半蔵は仙台にいた。
 伊達政宗のもとに、である。忠輝の今後がどのようになるものか、心配で訊ねてきたのだ。政宗にとっては離別させたとはいえ、今でも頼もしい婿である。適うものなら配所を奥州に移転して貰い、終生庇護したい気持ちに変わりはない。だからこそ、秀忠が決して認めないことも承知している。
 政宗も心配の種を抱えていた。
 忠輝に代わりガレオン船で送り出した家臣・支倉五郎右衛門常長は、ノヴァ・イスパニアを経て、ローマに至る旅を続けている。ローマ法王に親善を求める使者を任じていながら、その真意は、世界最強とされるイスパニア艦隊の派遣要請にあった。これと呼応し、伊達が天下を掠め取る……そのときは忠輝を頂くことになろう。
 この夢想は、しかし幻想として消え去るに違いない。
 現実を見据えれば、この期に及んで、徳川の天下をひっくり返すことなど難しい。
(さればこそ、じゃ)
 もし支倉常長が政宗の命令を遂行し、イスパニア艦隊を随行してきたら、そのときはどう処すべきか。
「半蔵よ、婿殿には二度と人に上に立とうという気はあるまいな」
 忠輝が将として人を率いる立場に固執しない以上、もはや政宗はこの密謀を白紙にするしかないと呟いた。
 半蔵も同意を示した。
 いまとなっては徳川の世に何の未練もない。誰に荷担する気もさらさらない。ただ、仮初めとはいえ、戦乱の悲しみが払拭された世の中を迎えたことのみを喜ぶだけである。もう親しき人を、つまらぬ欲得で失いたくない。その一念のみである。
 松平忠輝は天下の庭から捨てられたことで、埒外に新たな居場所を見つけられた。道々の者たちは忠輝に好意を抱いているから、今度こそ、彼は人らしく自由に生きていけるだろう。
 しかし、あれほどの才覚。
 勿体ないと、今でも政宗は思うのだ。
「せめて当家に婿養子としてお迎えしたいほどだわ。何せ我が子よりも遙かに勝る御器量。婿殿こそ儂の世継ぎにと、近頃とみに思うことが増えてな……」
「されど八郎殿はようやく闊達な世界を手に入れられたのです。伊達様の欲得だけで、修羅に引き戻すのは惨い話とは思いませんか?」
「儂も、そう思う。思うのだが、なあ。頭で理解しても心が騒ぐ、こればかりは、ないものねだりする童のようじゃ」
 政宗は観念したように、瞑目した。
 服部半蔵はそれから暫く伊達領に留まった。五六八姫とも会った。
「八郎殿に伝えることがあったら、何なりと」
 その言葉に、五六八姫はただ一言
「いつまでも壮健で。五六八は今でも貴方様の妻にござります。斯様お伝え下されや」
 半蔵は謹んで承った。
 やがて、半蔵は仙台から姿を消した。政宗には挨拶もない。誰に知られることもなく、見送られることもなく、いつの間にか、ひっそりと去っていったのである。
 このことを政宗は不快に捉えなかった。むしろ半蔵が向かっただろう旅の空へと、手さえ合わせた。たぶん、もう二度と生きて会うことはないのだろう。
 家康の一件が片付いた以上、半蔵は長く生きるつもりなどない。今回の訪問が永の別れなのだということを、伊達政宗は何となく気づいていた。不粋なことは、無用である。
(思えば奇妙なつきあいであった)
 政宗は苦笑いしていることさえ気づいていない。
 
 仙台を発った半蔵は松平忠輝のいる伊勢路へと赴いた。途中、江戸の庄司甚右衛門こと風魔小太郎のもとに寄った。
 庄司甚右衛門は長年の懸案であった吉原を設置し、配下の風魔衆に表向きの生業を与えることに成功していた。葦屋町の二町四方に渡るこの公娼街は葦の原から名を取り、それが変じて吉原遊郭と呼ばれた。吉原は陽の当たる場所とは正反対の、まさに裏の世界でもある。幕府はこれを設置することで、表も裏も人心を支配しようとしたのだ。
 吉原設置の検討をしていたのは本多正信だったが、家康が死んですぐに殉死したため、最終的な裁決は子の正純が行った。しかし、最も具体的に推進したのは天海である。表の支配よりも影の把握こそ泰平の根元であると、天海は若い幕閣たちに常々説いていた。まさしくこれはそれの実践であり、極みでもあった。
「秀忠は荼吉尼天に縋る気がなくなったようだよ」
 庄司甚右衛門は江戸城の内部をよく把握していた。家康が死に、お六も死ぬと、政治向けを家臣に丸投げして現実逃避しているらしい。鷹狩りと称しては隠し女のもとを訪れ、自分本位な交情を存分に晴らしているらしい。
「奥方が相当きついらしいな」
「淀の妹じゃて」
「閨さえ主導権を取られてしまえば、将軍もただの恐妻家だわ」
「しかし、おかげで邪神は蘇るまい」
「だといいがな」
 この江戸には既に無数の稲荷社が設けられてしまった。口実はどうあれ、江戸に暮らす者たちは、知らず知らずのうちに荼吉尼天に祈願をしていくことになろう。これこそ家康の遺した最大の功罪だ。
 いつかまた、身に余る野心を携えて、どこかの馬鹿が現れないとも限らない。そのための監視も必要だし、未然に芽を摘む実力者も必要だった。
「その役目を風魔衆にお願いしたい」
 半蔵は静かに頭を下げた。
 もとよりその気で設けた吉原である。異論などない。
「しかし、半蔵よ。お前はどうするつもりだ」
「八郎殿に会ってから考える。どのみち服部の宗家は滅亡した。頼るべき子もないし、儂が死ねばすべては風化して消える。江戸に心を残すものは、何もない」
「麹町御門な、いまでも半蔵門と呼ばれているのだ。服部衆の生き残りが、意固地になって家康の遺命を守っているのだよ。三河者はまことに頑固だ。そいつらは、きっとお前を必要としている。だから、きっと還ってこい」
「小太郎」
「忍びの者もやがては泰平の世に消える。しかし年を重ねるとな、同じ刻を戦ってきた者が一番恋しくなる。そのことを一番知っているのは、お前なのではないかな?」
「……」
「たまには話し相手が欲しい。いいか、きっと麹町御門へ帰れ。いつか、きっと、帰ってこい」
 半蔵には言葉が見つからなかった。
 戦国の申し子たちは泰平の世では上手に生きられない。せいぜい疵を舐め合って余生を語るしかないのだ。ほろ苦い人生を振り返りながら、泰平の有難味と退屈を語り合うしかない。
 半蔵は考えたが、やはり言葉はみつからなかった。

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