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異形者たちの天下最終話-1

最終話-1 逢魔ヶ刻に傀儡は奏で、木偶が舞う

 元和二年(一六一六)四月一七日、徳川家康は死んだ。
 翌日、南光坊天海の采配により、久能山へその遺体は埋葬された。この葬送の地を東照宮と定め、幕府の誰よりも早く、天海は
「東照大権現」
の神号を朝廷から賜るよう水面下の運動を開始した。のちに家康の神号を巡り、金地院崇伝と争ったときも、かなりの強気でこれを押し切った。崇伝は
「東照大明神」
の神号を主張したが、天海は妥協するどころか
「大明神は一代限りの不吉なり。豊太閤は豊臣大明神となり、結果はかくの如し」
と弾劾した。その例えは神号に疎い凡俗に分かり易く、ために絶大な支持を得られた。更に東照大権現を称するは家康の遺言なのだとも言張り、工作が功を奏し朝廷の後押しもあった。
 これにより徳川家康は神としての格を手に入れたのである。
 天海の動きは早かった。
 四神相応に照らして家康のための本殿廟所をただちに調べ上げた。そもそも久能山へ埋葬したことこそ、天海の計算のうちである。京都から見て久能山は日の出の軸線にあたる。しかも三河松平氏発祥の地・岡崎を通過する位置にあたる。これは京都からみて紛れもない
「東照」
そのものだった。家康の名を以て、東の陽とともに京都へ睨みを利かすといった威圧的攻撃を与えたのである。
 その久能山から丑寅の方面に富士山があり、その延長線には新田得川氏発祥の地・世良田がある。更に進むと、そこが日光山。
 その日光山は江戸から真北にあたり、その彼方には北極星が天空に不動の輝きを照らしている。久能山より丑寅は鬼門、鬼門と北辰の交点にある日光山こそ、天海の求めるすべての東照の頂となる場であった。
 この年の十月、幕府は日光山に家康廟所を遷すことを決定した。
 いや、幕府ではなく、天海の意思というべきか。秀忠は死してなお己を威圧する父の幻影に嫌悪感すら覚えたが、無能な男にそれを制する力量も代わる思案も手だてもなかった。
 天海は本多正純・藤堂高虎を口説いて造営奉行に仕立て上げると、一一月一七日、日光東照宮造営に着手させた。翌元和三年二月二一日、朝廷は家康に東照大権現の神号を下賜し、三月九日、正一位の追贈を宣下した。
 これを以て三月一五日、日光東照宮は竣工した。
 この日、家康の神柩は久能山を発った。そして四月四日、日光山に到着し、儀式ののちに八日、奥院へ葬られる。一四日御仮殿移遷、一六日夜より正遷座祭、一七日の一周忌には秀忠参列のもと
「小祥の御祭」
が執り行われたのである。
 この家康一周忌に、不可解な事件が起きた。突如弾けた石灯籠が家康側室・お六の額を打ち抜いて死に至らしめたのだ。
「大御所は寂しくて愛妾を招き寄せたのだ」
 そんなことを幕閣の者どもは囁きあったのだが、こんなことが自然に起こり得る筈などない。そもそも荼吉尼天との契約により、家康の魂が無間地獄の渦中を彷徨っているのだ。例えお六が恋しくても、手も足も出ないのである。
 犯人は別にいた。
 家康が荼吉尼天に傾倒していた事実を認識する者は、数少ない漢たちだけである。そして彼らは、お六が再び荼吉尼天の依代と化すだろう懸念を抱いていたし、確証めいたものも把握していた。だから、事前にお六という存在を、公衆の面前で殺害したのである。これなら人知れず復活することも出来ないからだ。
 このような闇の暗殺が可能な刺客は、忍び以外にない。
 そう、お六を殺したのは、生きた死人である服部半蔵であった。築山殿に似た面影のお六を殺すことで、半蔵が生涯抱えてきた
「家康と荼吉尼天」
の一連の事件を葬り去ることが出来る。だから何の躊躇いもなく、半蔵はお六を殺した。
(既に三郎殿が邪な野心を抱いている。災いは未然に断ち切る)
 その布石として。
 
 半蔵のいう徳川三郎秀忠は、忌々しい父親の重圧から解放されたが、天下というものが存外窮屈であることに辟易し始めていた。重臣どもが何かと問題を持ち上げ、天海が干渉し、そして正室・江与が私生活さえ脅かす。いま秀忠が欲しいのは、もはや天下でもなんでもない。平安な日常であり、安らぎのある時間であった。そんな秀忠に出来ることは、せいぜい妻の目を盗んで浮気をするくらいである。
 この男には天下は重荷でしかない。
 そして、それだけの器量でしかなかった。

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