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龍馬くじら飯 episode4

 第4話 薩摩 1864
 
 神戸海軍操練所に学んだ者は思う。ここは、だれ彼問わずという懐拾い門戸だ。それゆえ、幕府に良からぬ想いを抱く者が入り込んでいたし、そういう連中すら可愛がるのが勝麟太郎の懐深さだった。しかし、京三条の池田屋騒動に関与した者や、禁門の政変に関わる者を含んだことは、さすがに云い訳も出来ぬ。脱藩している龍馬は勿論、似たような境遇の土佐者も大勢いた。
 ついに閉鎖という沙汰に至るのも仕方がない。
 勝麟太郎は弟子たちの行く末を案じ、秘かに薩摩藩へ渡りをつけてくれた。西郷吉之助は快く藩邸に受け入れた。仮にも神戸海軍操練所の人材と技術は、金に換えがたい買い物と云ってよい。物の値打ちを、西郷はよく理解していた。
「あん坂本ちゅう塾頭は、薩摩ん先を思えば、よう手懐くっべきもんかと」
 国元に戻る前、伊東四郎左衛門は西郷吉之助にそう訴えた。そのうえで
「かなりん変わり者でんあっと」
とも補足した。考えが深いのか、浅いのか、今でもよく分からないが損のない人間だとも呟いた。
「ようは、阿呆かな」
 西郷吉之助は首を傾げた。
 そうでもなさそうだし、よく分からない男だと、伊東四郎左衛門は笑った。少なくとも、好意的なのだろう。別して勝麟太郎よりの書状もあり、くれぐれも世話をして欲しいと嘆願するものだ。勝という人物を大いに敬う西郷にとって、ここまで厚情される坂本龍馬とは、どのような男か。
 興味は、あった。
 そこで、龍馬を藩邸の別室に招いて、飯でも食いながら今後のことを語らおう誘った。無論、龍馬には断る理由がない。西郷はかつて、長州征伐の相談を勝麟太郎にしたことがある。そのときの回答が、およそ幕臣らしからぬものだった。
「幕府には人材がいねぇんだぜ。このまんま幕府の政が続いたら、本朝は異国の餌食になるねえ。これからは合議して政を進める時代になるだろうさ。その実現のためにも、ここで長州を叩き潰すべきじゃあねぇよ、西郷さん」
 勝麟太郎の申し様は、幕臣でありながら幕府を見限るようにも感じる。そのところが腑に落ちない。弟子ならば、師の心をどう読むか。西郷は同じ問いを投げかけた。
「海の向こうのことは、海を見てきた人にしか分からんですろう。勝先生はメリケンに行った人やき、同じ考えの人が幕府におらんのだと嘆いちょられる。ほんじゃあきにこそ、このまま幕府の政が続いたら日本は外国の餌食になるというお考えながやろう。合議して政を進めるがは、儂も大いに賛成ちや。西郷さん」
 なるほど、頭は柔らかそうだ。こういう柔らかい頭の土佐人は、島津斉彬が気に入ったという万次郎くらいだと思っていた。面白いものだと、西郷は笑いながら、飯の支度を求めた。
「関東煮じゃっどん、坂本どんな土佐ん出じゃっで鯨を用意した」
「くじら?えいねえ、鯨は好物じゃ」
 関東煮は、関東炊とも呼ぶ上方の料理。おでんの上方風で、串に具を刺して煮るのは特徴だ。鯨の部位は捨てる処がない。いいところはお偉いさんに持っていかれても、残った部位だって十分に味がある。
「勝先生が云うには、メリケンの者は鯨から油を取って、身は海に捨ててしまうがよそうじゃ」
「勿体なかこっじゃ」
「そのとおりじゃ。異国と商売するときは、鯨を高い値で売りつけちゃりたんものやねや」
 なるほど、面白い。こんな面白いことを、考えたこともなかった。云われてみれば当たり前のことでも、最初に口に出せる者の思惟は凡人に推し量れぬ柔軟さが求められるものだ。坂本龍馬は、そういう人間らしい。
「坂本どんな蒸気船が扱ゆっじゃっで、色々と新しかこっが出来っとじゃろ。薩摩に匿うならば、ないか仕事を任せよごたっもんじゃな」
「ほんなら、話が早い!」
 蒸気船を一隻貸して欲しいと、龍馬は求めた。
 船があればいくらでも荷を運べるし、どこにでも行ける。動かせる技術はあるし、それは西郷にも理解は出来た。
「船で、ないをすっとじゃ」
「カンパニーじゃ」
 異国から荷を仕入れて他所で高く売り、その差額を儲けとして次の資本にしていく。この商売の流れは、武士に理解し辛いところだ。が、龍馬はそのことを頭の中で整理している。飛躍すれば、株主の会社のように運用するわけで、この株主こそ薩摩藩と云えよう。
「長崎にはぎょうさん異人が商売しちゅーいう話や。やったら、この勢いに乗り遅れたらいかんぜ」
「乗り遅れたや、どげんなっとかのう」
「そうならんために、勝先生は儂らに薩摩へ行けと申されたがじゃ」
「勝先生が?」
「これからは徳川だけではのう、雄藩の力が必要になるがよと」
「まことに、勝先生がそげんこっを?」
「嘘じゃないぜよ」
 西郷吉之助は、震えた。品定めしてやろうと見下していた、この坂本龍馬という男にこそ、西郷が品定めされていたのだ。何ということだ。いや、坂本龍馬の目を通して、勝麟太郎にじっと睨まれていたのだとも云える。勝の恐ろしさは知っているつもりだったが、その真価に触れた心地だ。身が、震えた。
「勝先生の仰る通りじゃ」
 龍馬が、笑いながら炒り殻を頬張る。うまい、鯨はうまいと、はふはふしながら、食らう。西郷吉之助は、恐る恐る
「なんと、仰ったとじゃろうか」
と尋ねた。龍馬は串を置くと
「薩摩の大西郷は大きゅう叩いたら大きゅう響く。こんもう叩いたら鳴るがもこんまい。やったらおんしの大ホラで大きゅう叩いて鳴らしてみろと仰ったがじゃ」
 そう云って、大笑いした。
 大ボラ……いや、嘘ではあるまい。これは勝の言葉か、龍馬というこの土佐っぽが描いた台本だったのではあるまいか。どちらにしても、粗略に出来ぬ恐い男だ。
 西郷は龍馬の言葉に乗った。
 神戸海軍操練所は元治二年(1865)三月九日、正式に閉所となった。
 こののち薩摩藩の支援と長崎商人の助力により、坂本龍馬は長崎にカンパニーを設置した。これを〈亀山社中〉という。主に龍馬と行動を共にした近藤長次郎が主体となり、薩摩からも家老・小松帯刀の意見や人材が入った。薩摩藩のダミー会社のようなものだが、それでも、やるべきことは大した変りなどない。
 こののち、長崎から世の中が変わる。
 西郷に進言したのは紛れもない龍馬だったし、同じことを視野に入れながらも悩んでいた小松帯刀の背を押したのも、そうだ。龍馬の存在価値は、関東炊と一緒で、熱々だったのである。

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