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異形者たちの天下第1話-1

【冒頭あらすじ】
豊臣秀吉は山窩の子。埒外の力で信長に憧れ、その死後は天下を代わりに統一し、その先の夢を理解できずに老いらくにより果てた。その秘密を知る者は世に限られている。服部半蔵は「信康事件」のときに知ったが、徳川家康の荼枳尼天事件を救われた恩義から口を噤んでいる。
いま、徳川の世が成った。服部半蔵は表向き死んだこととして、江戸城半蔵門の守護者として闇に佇んでいる。その闇の奥から異変を知れば未然に消していく、これは家康だけの知ることであり、倅だけが唯一その生を知って語らない。
刻は流れた。
徳川の世にあって歪なる存在、大久保長安。武田旧臣として長崎で学び金山銀山の採掘量を操る存在。この者は家康にとって代わり天下を簒奪する野望を秘めていた。長安は巧みに家康の心に付け入り、あろうことか封印していた荼枳尼天信仰の記憶を引き出していく。
異形な闇の奥の天下平定。
服部半蔵、生きた死人として闇を奔る!

第1話-1 南蛮渡りの悪魔

 豊臣秀吉が死して、一〇年余。
 天下の情勢は、すべて、徳川へ傾こうとしていた。それはそれで、当然の仕儀である。関ヶ原の合戦により、武将の大半は徳川方へと籠絡され、その体制からはみ出した者たちは
「闇から闇へ」
消えていく運命を負った。
 関ヶ原の後に徳川家へと召し抱えられた柳生一門は、暗殺の内命を受け、徳川に心を寄せない大名や実力者たちを、秘かに葬り去ってきた。事実、この一〇年余で、不穏な横死変死を遂げた武将は多い。
 小早川秀秋や里村紹巴のような徳川の恥部を知る者は勿論、豊臣恩顧の大名をはじめ、それらは徳川にとって些かの利がない輩ばかりであった。そのための非情の沙汰もある。家康の次男で秀吉養子にもなった結城秀康、豊臣や弱き者への判官贔屓が過ぎたため、彼もまた、その餌食となった。
 表には徳川の仕業とならず、結果的に徳川の為となる。
「不穏死による利は偶然である」
 徳川家康はそう口にするし、それも道理と受け止められた。ほんの少しだけ……出来すぎ、という懸念だけが残るのである。
 すべては豊臣に代わり〈天下〉を狙う野心に他ならない。
 徳川家康は齢六〇に達していた。取巻く生抜きの譜代もまた、歳を重ねて代を替えた。組織の若返りは頼もしいが、若い者たちは徳川家の正体を、父祖たちから報されることなく長じてきた。
 豊臣という公家が、秀吉という一己の天才のもと
「突然」
この世に誕生したように、徳川という似非源氏もまた
「ある日、唐突に」
この世に出現したのである。
 徳川はもともと松平という。松平元康を名乗る若き日の家康は、元々名も無き三河の一土豪に過ぎなかった。桶狭間の後に織田信長と結んだことで運を掴んだだけの、歴史の底辺に蠢く名もなき脆弱な土豪である。
 その天佑が、なくば……家康と、三河の軍団は、歴史に名を残すこともなく、ひっそりとこの世の底辺で屍を曝していたことだろう。家康が〈徳川〉という姓を名乗ったのも、別段深い考えがあってのものではない。ただ取って付けただけのものである。当時の家康は、信長に釣り合う立場を望んで
「藤原朝臣」
の末裔として、系図を偽造した。しかし、本能寺で信長が横死すると、織田家中が共食いをはじめた。この渦中にあって、信長唯一の同盟者である家康は漁夫の利を伺いつつ俄に天下を狙える立場に近くなった。
「新田氏傍流得川家」
の末裔としての、徳川家となる系図を書き替えた。こうすることで源氏の末裔を名乗ったのである。源氏ともなれば、八幡太郎義家以来、武家の棟梁として俄然煌びやかな存在となる。征夷大将軍の伝統を得ることも自然極まりない。源頼朝以来、武家が天下を取る場合の方便として、戦場の本陣囲幕すなわち〈幕府〉という組織を発足させ、その長として征夷大将軍に任じられた。鎌倉幕府が設置されてのちは、これが武家政権の常識となった。
 しかし、天下はその手を擦り抜け、豊臣秀吉のものとなった。かつて秀吉も前将軍足利義昭の養子となり、源氏を名乗ることで幕府設立を企てた。これは実現せず、結局、関白という朝廷の最高位という苦肉の策で、天下を取った。そして、天下人・豊臣秀吉は死んだ。
 天下に最も近い人物は、源氏の長老たる徳川家康となる。
 これが徳川家の真実だ。老いた旗本たちはその真実とともに働いてきた。しかし天下の号令を行う者が、いまさら元は三河の土豪だったというのでは格好がつかない。だからこそ、多くの旗本たちは、子々孫々にその秘密を伏せ、次世代には泥臭さを残さぬよう秘したのである。
 天下人・徳川家康が行なったのは家臣の選別、陽のあたる場所に置く者と、蔭働きに徹する者との、大別だ。そして、蔭働きをする家臣たちには、各々その能力に応じた任務を与えたのである。
 甲州武田家の旧臣を家康は好んで用いた。それは合戦巧者という表の有能者と、かつては信玄の意のままに汚いことさえ平然と遂行した蔭の能力者が、戦国の世では類をみない実力を備えていたからだ。そのなかでも特に重んじたのが、大久保石見守長安である。
 大久保長安。
 もとは猿学師の子でありながら、南蛮渡りの錬金術を身につけて、枯渇しかけた武田の金山を潤わせた男である。家康は大久保長安に、全幅の信頼を寄せた。そして長安もまた、家康以外の人間に心を許そうとはしなかった。
だからだろうか。長安の周囲には胡散臭い雰囲気が漂い、誰もが、この薄気味悪い錬金術師を疎んだ。長安は日本人離れした長身と彫深き顔立ちで、ともすれば、南蛮人の混血かと間違えられても仕方のない恰好だった。
「あれは南蛮人との間に生まれた妖怪じゃ」
 口さがない陰口はいつどこでも囁かれた。が、長安は一向に動じる素振りをみせなかった。果たして何を考えているのか、能面のような表情からは、心情を伺うことなど出来はしなかった。
 ひとつ云えることがある。
 少なくとも、徳川の財政の根本を支えていたのは、この男の能力如何、ということだ。果たしてどのような魔法を使っているのか。余人は知る由ないが、それだけは、紛れもない事実であった。
 
 慶長一六年(1611)三月二六日。
 徳川家康は京都二条城にて、秀吉の遺児・豊臣秀頼と会見した。このことは長年の懸案事項であり、徳川家が豊臣の風上に立つことを天下に知らしめる一大事業でもあった。
 それにしても。
 家康の記憶する限り、秀頼は秀吉血縁者の誰とも似ていない。それもそのはず、秀頼の胤は外にある。すべては淫奔な茶々の仕組んだ事であり、豊臣の一切を掌握するための野心の極みであった。
「内府殿……いや、いまは大御所であらせますな」
 秀頼の発する声は力強い。家康の長じたどの息子よりも力強い。それは豊臣秀頼の器量が、徳川家の誰よりも勝っている事を意味している。
(暗愚な母に囲われていた小鳥が、いつの間にやら鷲に化けておった。経験を重ねればとんでもない事になる)
 家康はこれまでは秀頼を一己の漢とは認めていない。が、しかしこの日、はっきりと
(末恐ろしき大器)
と見定めるとともに、確実なる殺意を固めるのであった。
 秀頼自身、恐らくは己の実力に気付いてはいまいが、それに目覚めれば厄介この上ない。家康の覚える感情は、久しく忘れていた恐怖であった。
 
 その夜、二条城本丸の家康寝所を大久保石見守長安が訪れた。長安は従女二人とともに家康を訪問したのである。
「佐渡の金山、まだまだ採れます。さりとて人手が難渋しておりますゆえ、算出は昨年より下りましょうな」
 真っ先に金の話を切り出しつつ、今日の秀頼との会見の様子を長安は擽った。案の定、不愉快そうに家康は呻いた。
「ほほほ、大御所さまも人の齢の重さには畏れ入った御様子」
「だまれ」
「さぞや、秀頼君の若さが妬ましかったでしょう」
「やかましい」
「人は逆立ちしても齢を戻せませぬ。ただ、延ばすだけにござります」
 長安は従女たちに目配せした。
 すると彼女たちは音もなく家康の傍らに寄り、ふわりと座った。肩をさすったかと思いきや、自然に滑るが如く、見る間に家康の着衣を奪い、自らもまた白き柔肌を露わとした。
「石見……なんとしたこと」
 俄に立ち込める芳香は媚薬の如く、家康の感性を甘美に誘う。
「石見……此は毒だぞ、石見」
「なんの大御所。古来長寿の薬は、若い女性と心得ますぞ。儂もよう戯れますゆえ、まだまだ足腰は堅固にて、ほら、髪も黒うござる」
「うぅむ……そうか、薬か、そうか」
 為されるが儘の家康は、手をそろりと伸ばした。そこには小振りながら張りのある白き乳房がある。それに触れた瞬間、張りつめていた家康の理性の糸は、ぷつりと切れた。
 これは芳香の為せる技か、自然なる家康の性か。二人の若い女性に身を委ねつつも責める様は、兵法が如く、歓喜の表情はやがて恍惚に変じて気配も一層淫靡と化す。
「まさに妙薬。大御所も若々しゅうござりますな。さりとて、過ぎればみな毒と申すもの。亡き旧主・信玄公は激しすぎたがゆえに、あの大器でありながら天下を逸しました。そう、過ぎるは毒に候や」
 目を細めて大久保長安は囁いた。
 家康の耳にそれは届いたものか否か。無我夢中の最中に漏れた言葉は、歓喜と恍惚の魔性に魅入られた者のみ放つ、咆吼。家康は二人の乳房を両の手に、その質感を感じていた。その肌は触れた指をとらえて放そうとしない。なんというきめ細かな肌だろうか。
 大久保長安はかつて武田信玄に見出された男である。信玄によって長崎へ修行に出され、そこで南蛮渡りの錬金術を習得したのだ。その技は日本広しと云えども、今は長安ただ一人しか修めていない。かつて高純度を誇った甲州金、武田の財力はこの男の技によるものだった。
 更にいえば。
 東国武士で南蛮事情に精通していたのも、この大久保長安のみである。それが証拠に、長安の従えてきた女は徒者ではなかった。
「おお、石見……なんだ、この女子どもは。不思議であるぞ、今までこのような肌は知らぬ、知らぬ、知らぬ」
 家康の呻きに長安は囁いた。
「髪を染めておりますが、倭の者にあらざる。いかがか、お判りますか」
「おお、おお、おお」
 家康はもはや正体不明の境地である。女たちの首からは、十字の銀飾が揺れていた。老いている筈の家康の嚢を揉みしだく女は、年不相応な律動を突き上げられる。家康の目は焦点が合っていない。
「石見……おぅ、石見」
「存分に吐きなさりませ。夜はまだまだ長うござります」
「よいのか、構わぬのか」
 そういいながらも、白濁した汁が竿先から激しくほとばしる。飛び散るしたたりが流れていても、家康のそれは、一向に衰える気配がない。むしろ、愉悦を求めて激しくそそり立った。女を代えて、再び下から突き上げる。済んだ女は、懐紙で火戸を拭いながら長安を一瞥する。
 長安はゆっくりと頷く。白濁汁を拭うと、再び家康に絡みつく女。その始終をじっと見つめる大久保長安は、小さく何事かを繰り返し唱えるのであった。
 大久保長安が家康にこのような閨奉仕するのは最初ではない。
 この妖しげな秘密の房中を、最初に斡旋したのは長安だ。はじめてのときに連れてきた女は、髪を染めぬ、南蛮の紅毛であった。その陰部も紅毛であったことに驚き、そして気をよくした家康は、やがてこのことを、楽しみとするようになった。二条城に設けられた秘密の部屋は、このためだけに設けられた。人知れず長安が造り上げたもので、家康の側近さえ知らぬ。
 この乱交は、家康だけのものだった。
 長安は鼻息ひとつ荒げることなく、それらを傍観して、やがて家康が力尽きる様を見届けてから、潮のように音もなく消えていくのである。
 この夜も、果たして幾度の夢を家康は繰り返したのだろうか。力尽きるかのように、やがて家康は醜悪な裸体をさらして眠りに落ち、長安と女たちは、音もなくその部屋から消えていった。

 江戸城内堀麹町御門。またの名を
「半蔵門」
 そう呼ばれるのは、理由がある。かつて服部半蔵は麹町御門前に組屋敷を拝領し、四谷・神田・麻布に忍ノ者を住わせて厳戒な監視体制を整えた。平時は長閑な城下町を装い、実は侵略者を駆逐する結界である。更に麹町御門から内藤新宿まで地下通路を築かせ
「いざというとき」
は、将軍を江戸城から甲府へ逃す、その中核を担う体制を作り上げた。ゆえにその名称を通り名として、徳川家の重臣に至るまでここを
「半蔵門」
と称した。
 が。
 家康がそう呼ぶもうひとつの理由。それは、服部半蔵正成がこの門櫓に隠れ住んで、今尚この結界を守護しているという事実である。このことを幕閣は誰一人知らない。
 表向き、服部半蔵正成は一二年も前に死んでいる。
 いまの服部一族棟梁は、嫡男の服部半蔵正就であり、すべての号令は彼をして発せられた。かつて秀吉の統べる大坂城下はかつて堅固であった。その見た目の華やかさの影には、闇の世界の住人が跋扈し、秀吉は常に彼らを侍らせた。ゆえに大坂は堅固であった。
 家康はこのことを重視した。
 この闇の部分があってこそ、陽のあたる場所はより強く輝くのだ。そして、その闇を強化することが、組織の堅固を保つ必要条件であると強く踏まえた。その大役を家康は服部半蔵に任せた。そのために服部半蔵は、生きたまま〈死人〉となったのである。
 服部半蔵は嫡男・半蔵正就を、麹町御門櫓へ密かに呼び寄せた。
 服部半蔵は徳川家が三河の豪族風情であることを息子に明かしている。そしてもうひとつ、半蔵は今なお秘していた真実を呑んでいた。その、おぞましき真実を、この夜、明かした。
「大御所さまは、かつて、外法に堕ちてしもうた事がある」
「外法?」
「あれはまだ信長公御存命のみぎり、大御所さまは荼吉尼天を信仰し、天下取りを望む悪夢に傾いたのだ」
「だ……荼吉尼天、と?」
「そうとも。古くは平清盛や後醍醐帝が信仰したといわれる邪神。その本願と引替えに、死後は肝を捧げる約定を交わし、かつての天下者は一時の栄達に酔いしれた。しかし肝を差し出せば、二度と生を拾うことはない。無間に悪魔の縛る暗黒に封じられるのだ」
「愚かなことを……大御所さまが、そのようなことを!」
「したのだよ。徳川家は危なく信長公と断絶するところであった。さすれば、今日の繁栄はなかった」
 服部半蔵の脳裏には、いまもそのときの光景が焼き付いている。荼吉尼天に心身共に支配された信康と築山殿の最期の様、死の土壇場まで栄達を引替えに命乞いし、首を落とした瞬間、三河全土が揺れ響いた。信康を介錯したのは、他ならぬ服部半蔵なのである。
 初めて知る出来事に、正就は畏怖の色を浮かべた。
「それで……大御所は」
「憑物が落ちたように、正気を取り戻された」
 それからの家康は、服部正就の知る通りの人物である。無理強いなく着実に歩を進め、臣下に情厚く敵に容赦なし。名実共に東海一の弓取りに相応しい武将である。しかし、そんな昔話をする為だけに、わざわざ服部正就を呼びつける筈はない。もっと深い何事かが起きたのだ。
「父上、そろそろ本題を」
「ん?」
「酔狂の嫌いな父上のこと。この話は何事かの前置きに候や」
 服部半蔵は咳払いをすると、姿勢を改め
「近頃の大御所さまは、如何な御様子か」
「豊臣の行く末さえも気遣うお優しき様にござりますが、それが何か」
「いやな、ちと、よからぬ噂を聞く」
「噂」
「以前にも増して寛容が足りず、短慮に走るとか」
「まさか……」
 ふと服部正就は家康の日頃の仕儀を脳裏に浮かべた。特段変わった様子が思い浮かばないのである。
「豊臣のことに干渉し過ぎてはいないか。まるで、豊臣失墜を急いている御様子と聞くぞ」
 まさかと思いつつも、云われてみれば
(そのきらいが決してないとは)
断言できない節がある。
 ふと、先程の話が服部正就の脳裏を過ぎった。
「父上は、まさか」
 服部半蔵の瞳は底深く見通したかのように静かであった。その瞳を伏せながら、押し殺すような口調で
「再び、荼吉尼天に傾倒してはおるまいかのう」
 苦々しく呻いた。
「まさか」
「物事を疑うことから、我ら忍びの理は始まる。教えを忘れておるまい?」
「いや、しかし」
「思い当たることはないか」
「大久保石見と会うてから、暫く床に伏せたと聞きました」
「石見か、胡散臭い奴だ」
 とにもかくにも、家康が荼吉尼天を信仰することがあってはならぬ。徳川の次の世代を担う者たちは、天地神明に誓って、家康を最高の人格者だと崇拝していた。服部正就とて例外ではない。
 信じられぬと首を振る息子の両肩を握りながら、服部半蔵は
「狼狽えるな」
と一喝した。
 忍ノ者は徹底した現実主義者である。清浄も汚濁も同等に受け止め、己が心を均衡に保たねばならない。服部半蔵は息子たちに、そのことを徹底的に教え込んだ。が、服部正就は感情の支配が些か甘いようだ。
 溜息混じりに服部半蔵は
「我らは忍びの総力を以て影働きに徹せねばなんね。でなくば、土豪上がりの松平家が天下を統べることは出来ねえのだ。服部一族は裏の世界から大御所を盛立てる。そのためにも、そちは大御所の身辺に気を配れ。荼吉尼天の騒動を蒸し返すことは、徳川の御為ならずと思召せ」
「は」
 服部正就は心の平静を保とうと努力した。しかし途方もない真実を事実と受け止めるには、もう少し時間が必要だった。
 後日、服部正就は家康の身辺を注意するよう、手の者を配った。
 
 大久保長安には、日頃から良からぬ噂が取巻いていた。胡散臭い出自や山師同然の振舞い、付会っている連中がキリシタンであることも含めて、凡そ不気味な輩との接点も濃い。あわよくば幕府を乗っ取ろうと企むのだという噂すら聞く。これらの焦臭い風聞は、叩けば一層の埃を呼んで、断じて否定さえ憚られる。
 そんな男の真意は何か。
 徳川家にとっては、毒か、薬か。
(毒なら排除せねばならぬ)
 家康の身辺監視は勿論、服部正就は手練を選り、大久保長安の身辺を監視させた。そして、この用心深い男に接する者を洗い出し、その素行を洗わせた。尻尾はすぐに掴んだ。長安が二条城へ出入りする際、家康のもとへ伴う女たちがいる。服部正就はこれに着目した。女は倭人ではない、南蛮人である。そのことは、すぐに判明した。そして女たちは、平素から長安の屋敷で働いている。
(さては石見守め、伴天連ではあるまいか)
 そう推察した服部正就は、長安屋敷の調査を進めた。
 驚くべき事実が判明した。この屋敷働きの全てが、伴天連だった。キリシタンは貞節純潔が絶対と聞いていろ。しかし、長安屋敷の伴天連は、すべて破戒の徒であった。
 服部正就は思った。
 もしや大久保長安もキリシタンではあるまいか。
(しかし破戒の徒を束ねる者がキリシタンか。判らぬ……化物の様ぞ)
 服部正就は考えた。
 秀頼との会見以後、家康が変わったのだという元凶があるなら、この大久保長安に関わりがあるのだ。きっとそうに違いない、と判断した。これは、忍ノ者の直感である。このことは急いで父・服部半蔵へと報じた。
「ようやったな」
 服部半蔵も同意した。
 
 大久保長安の交際は多彩である。その最たるは仙台藩主・伊達政宗であろう。しかも長安は家康六男・松平上総介忠輝の後見役を任されており、尽力を以て政宗の長女・五郎八姫との婚姻に結びつけた。以来、長安と政宗は極めて異常に親密を重ねている。このことについては、世上も常々疑いの目を向けてきた。
 伊達政宗は戦国乱世の申し子のような男だ。あと二〇年早く生まれてきたら、天下がどうなっていたかも判らぬ、そんな器量人である。家康はこの男の才覚を認めると同時に、畏れ警戒してきた。それに六男の忠輝もまた、忌むべき鬼子である。忠輝は長じるまで野に捨てられてきた子だ。捨てられた子とは父を憎みこそすれ親愛の情など有り得ない。しかも、家康の血流ともなれば、伊達政宗が飾り雛に仕立て、忠輝を旗印に挙兵するかも知れぬ。そうなれば家康に勝ち目があるか否か。大久保長安は、そんな二人を結びつけた。
「徳川にとっては実り多きこと」
と嘯きながら、長安は政宗に接近した。
 これまで服部半蔵はこの大仰な関係を重視していなかった。
 が、服部正就の報告により
(容易ならざる事態)
が絡んでいることに気が付いたのである。
 伊達政宗は近々伊達領月の浦からローマへ正使を派遣するという。このことは家康から直々に認可を受けたこともあって、幕府も咎めなかったが、実は大久保長安が内々に資金援助している。この名目なら
(闇に軍資金が送られたことも)
充分に考えられる。
 ついでに云えば、その事後、伊達家臣・片倉小十郎重綱が武州八王子まで赴き武田旧臣を動員した〈鉄砲騎馬隊調練〉を視察したというのだ。長安は武田旧臣の出世頭だから、彼らを動員することは易い。しかも旗印には信玄の嫡孫・顕了道快を引き出している。信玄の血を引く者が立てば、甲州人は不思議と結束する。
 長安に野望があるのは、間違いない。
 
 服部半蔵は変装すると、急いで京に向かった。
 百聞は一見にしかずという。このうえは徳川家康へ直に会って、状態を見定めるとともに、大久保長安を権力の座から排斥する懇願を行なうつもりだった。
 二条城へは表からは入れない。これは徳川の全ての忍びに課せられた決まりだ。この日、服部半蔵は夜陰に乗じ、独自の秘門より二条城へ入った。
 家康は寝所にいた。
 伺うと、どうやら独りの様子だ。小姓は控の間にあって、顔を見られる懸念はない。
「大御所」
 服部半蔵は声を掛けた。反応はない。
 ふわりと面前に下りると、家康は初めて反応した。
「おう、半蔵か。久しいのう。いつ、江戸から来たのか?」
 が。家康は目が虚ろで、何物かに支配されている様な、そう、かつて荼吉尼天に結縁したときのような風であった。かすかに甘いような香りがする。たぶん、つい先程まで、長安と会っていたのだろう。
(いま石見の排斥を話しても、無理だ)
 服部半蔵は虚ろなままの家康に断りもなしに、天井裏へ消えた。
 家康は気付いていない。未だ夢現の境地にいた。
 
 服部半蔵は表の情勢で頼りとなるべき人物を思案した。そしてひとりの若い重臣に思い当たった。服部半蔵は息子・正就に変装し、服部半蔵は重臣・本多上野介正純のもとを訊ねた。そして大久保長安と伊達政宗の異常な接点を並べ立てたうえで
「亡き父・半蔵の言葉を思い出しました。大御所さまは外法に傾かれた過去がござる」
と告げた。本多正純は俄に顔色を変えた。この男は、事実を知っている。
「石見はよもや大御所に荼吉尼との復縁を結ばせたのでは」
 本多正純はそれ以上の言葉を遮り
「多くを語るな。京は敵地同然、耳はどこにでもある。もうこの城で石見とは会わせぬゆえ、そなたも深入りせぬよう」
 本多正純は策士で知られる本多佐渡守正信の子で、父譲りの鋭敏な頭脳を持つ謀将である。この男が乗り出してくれば、当面は安心だった。
それに本多正純は個人的にも長安を嫌っている。厳密に云えば、本多一族は大久保一族と仲違いしており、その延長線に、長安への嫌悪がある。大久保長安は老中大久保相模守忠隣の肝煎りで姓を譲られ、その財力を提供することで、徳川の中枢に食らいついた男だ。
 色々と並べ立てたが、要するに、本多正純にとって長安は〈政敵〉なのである。
 すべてを本多正純に託して、服部半蔵は江戸へ戻った。大久保長安の本拠は八王子、ここにも内偵をしていた。八王子に配された武田旧臣は大久保長安直轄の千人同心と呼ばれ、日常は農耕に従事しつつも非常時は戦闘員と化す。これは〈御小人衆〉という武田の軍政に倣ったものである。
 武田といえば騎馬隊というが、それは軍制の一部に過ぎない。武田の真骨頂は、精強な歩兵だ。この歩兵が八王子に布陣しているに等しい。もっとも大久保長安は阿呆ではない。いろいろと私的に用いているという風評を嫌い、千人同心は老中支配という名目である。そう、老中・大久保忠隣と太く通じる長安だからこそ、名目などどうでもいい図式になる。
 正直な話、有事における徳川将軍の甲州街道避難経路を献策したのは、服部半蔵ではない。八王子を固めている大久保長安だった。
 服部半蔵は、その起点たる半蔵門を守護している。
 しかし、八王子から西は、大久保長安の勢力圏。有事が起きたら八王子が要の地となるが、もし長安が裏切れば、徳川家は殲滅されかねない。
(なんとしても、八王子を服部一族の勢力圏にしたい)
 長安の腹が黒いと知ったいまは、喉から手が出るほど八王子が欲しい。そのためにも、奪い取る隙を伺わねばならない。
 実はこのとき半蔵は、四谷に至る街道筋に伊賀・根来の衆を中心とし、鉄砲衆一〇〇人と二五騎の歩兵で隊列を組む軍政を、秘密裏に組織していた。表立ってこそいないが、まさに合戦の支度であり、日々が有事。
 いわば常なる前哨戦といってよい。
 
 二条城会見より間もなく、家康は駿府へ退いた。長安も同行したが、その後は登城の許しを与えられなかった。本多一門がそれを阻んだのである。
 暫く後、家康は寝所の中で狂ったように身悶え出した。
「石見の献ずる女が欲しい。石見を呼べ」
 そういって、狂ったように叫び続けたのである。『徳川実記』を始めとする史書の類では、駿府帰城より間もなき頃の家康を
「病床」
という表現を用いて記録を扱っている。
 家康は駿府の奥で暫くの間、外界との接点を閉ざされた。そして、その門番を頑なに務めたのが、本多正純である。大久保長安は勿論、大久保忠隣や徳川秀忠にさえ、家康との面会を許さなかった。裏を返せば、それほどまでに家康は常軌を逸していた。
(まるで何かに冒されているが如く)
 服部半蔵は二条城で嗅いだ芳香が気になった。その正体を求めるべく、江戸に引き上げて、すぐに野草の類から似たようなものはないか、丹念に調べ上げた。すぐに判明した。それは、芥子と、南蛮渡りの匂い水である。
 そのことを、息子を介し、直ちに本多正純に報せた。
 だから家康の乱れぶりは、芥子の禁断症状なのだと、本多正純は得心していた。そして、この芥子こそ、荼吉尼天の教義に用いられる道具の一つであることも、正純は憂慮していた。
 まさしく大久保長安は、意図的に家康の心身を籠絡している。
(何のために)
という理由など関係ない。
 もはや本多一党の総力を以て、家康を守護仕らんと正純は決心していた。
 家康の駿府入城直後、洛中の塀に心ない落書が為された。家康の感情を逆撫でするような落書である。報せを受けた本多正純は、敢えて家康の耳にそのことを入れなかった。低俗な挑発とも取れる落書きである。いちいち対処する必要などなかった。
 たぶん、このことを家康が知ったら、大騒ぎしただろう。それだけに挑発を仕掛けた張本人は、その後の静けさに不気味を覚えたに違いない。
 そう。駿府城の奥から家康の身柄を引摺り出そうと目論んでいた大久保石見守長安の当ては外されたのである。
 件の落書は、記録によるとこうある。
 
     御所柿は
       ひとり熟して落ちにけり
         木の下にゐて拾ふ秀頼



#創作大賞2024 #漫画原作部門

第1話② https://note.com/gifted_macaw324/n/n1106cc68e531
第1話③ 
https://note.com/gifted_macaw324/n/n1c93f12b6722

第2話① https://note.com/gifted_macaw324/n/n92a4c2e6a7c3
第2話② https://note.com/gifted_macaw324/n/n52c3d8b08780
第2話③ https://note.com/gifted_macaw324/n/n4693642b46c4
第2話④ 
https://note.com/gifted_macaw324/n/n5e4448598ed0 
第2話⑤ https://note.com/gifted_macaw324/n/n19bac5d638fe
第2話⑥ 
https://note.com/gifted_macaw324/n/nfdfebf574432 
第2話⑦ https://note.com/gifted_macaw324/n/n335381b9f75a

第3話① https://note.com/gifted_macaw324/n/n5eb5d0af4502
第3話② https://note.com/gifted_macaw324/n/nc1d2033341a4
第3話③ 
https://note.com/gifted_macaw324/n/ncd9e9798010a 
第3話④ https://note.com/gifted_macaw324/n/nc0d52da98b79
第3話⑤ 
https://note.com/gifted_macaw324/n/naf0a79dde839
第3話⑥ 
https://note.com/gifted_macaw324/n/n9830275a6f44
第3話⑦ 
https://note.com/gifted_macaw324/n/n083694d55c6c 
第3話⑧ https://note.com/gifted_macaw324/n/n94796981e8ac 
第3話⑨ 
 
 
 
 


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