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「箕輪の剣」第14話

第14話 あれから

 上泉秀綱。いや、ここからは信綱としよう。一行は、長野業政の墓所である長純寺へ足を運んだ。
「こんなことに、なり申した」
 上泉伊勢守信綱は、城を守れなかった不甲斐なさを詫びた。つい昨日のように、業政が公言した遺言がある。
「我が葬儀は不要である。菩提寺の長年寺に埋め捨てよ。弔いには墓前に敵兵の首をひとつでも多く並べよ。決して降伏するべからず。力尽きなば、城を枕に討ち死にせよ。これこそ孝徳と心得るべし」
 壮絶な遺言だ。世継ぎの業盛は、これを守って、遂には果てた。あれほど薫陶を受けたにも関わらず、上泉信綱は生き恥を晒した。今さら、旧主に会わせる顔などないのに、墓前に跪かねば気が鎮まらなかった。
「生き残ったらならば、やるべきことを為せ」
 長野業政はそういってくれるだろうか。
 分かるはずなどなかった。
「これからは、己のために生きます」
 本音だ。
 綺麗事ではない、心からの言葉だった。
「おさらばです」
 上泉信綱は肉声を発した。
 墓石は、なにも云わなかった。あらためて見回すと、従ってきた門下は思うより多かった。
「文五郎、生きていたか」
 疋田文五郎は上泉信綱の剣筋を忠実に倣う、優れた門人だった。よくもあの戦さを生き延びたと、喜ばずにはいられなかった。
「こののちは、我も名を改めましょう。豊かな剣を志し、〈豊五郎〉と名乗ります」
「でも、呼び名は〈ぶんごろう〉だな」
「そちらは急に変えられません」
 神後宗治もいた。よく生きていたと、信綱は笑った。
「そういえば、くまたちは逃げ果せただろうか」
 信綱は思い出した。抜け道から出た彼らは、長野業盛の遺児を擁している。武田に見つけられたら、どのような目に遭うだろうか。先に見つけて、助命をしなければならない。
 きっと、遠くには行っていないだろう。寺か、社か、杣小屋あたりにあるはずだ。門下を散らし、手分けをした。亀寿丸一行は、箕輪城より南へ一里半ほど行った極楽院に匿われていた。それを聞いた上泉信綱一門は駆けつけた。
「旦那!」
 くまも一緒だった。
「よかった、無事だったか」
「はい」
「武田勢は来なかったのか?」
「ご住職が追い返して下された」
 かたじけないと、上泉信綱は住職に礼を述べた。そして、逃れた面々に、城の最期を語って聞かせた。一同は咽び泣いた。こののちは遺児である亀寿丸をして、御家再興こそ悲願と、ともに落ち延びた阿保清勝は叫んだ。
「いや、武田は常なる武将にあらず。むしろ僧籍にあって、血脈を保つことこそ、長野家の御為と心得る」
 上泉信綱は、そのことを説得した。武田に叛けば、今度こそ滅ぼされる。あの悲惨な場から逃げ果せ、こうして生き延びたからには、命は大事にしなければならない。
「箕輪城は武田の城となる。もう、取り返すことは出来ぬ。ここで生きるためには、生まれを隠して僧になることが、亀寿丸様のためなのだ」
 結論として、そういうことになったが
「武蔵守殿」
「おお、あなたは」
 ここにいたのは、鷹留城主・長野業通の子・正次だ。上泉信綱の門人でもある。
「鷹留城が落ちて、儂は父の命で城を出た。しかし、もはや箕輪に入ることも適わず。ここにいたら、亀寿様ご一行が見えたので、お誘いした次第」
「ご苦労なことでしたな」
 正次は、鷹留城攻防の悲惨さを訴えた。武田は魔物だと、心底震え上がったと口にした。
「文悟丸様は?」
 たしか文悟丸は石井家の家督を継いで、鷹留城に属したと聞いている。その問いに答えたのは、くまだった。
「文悟丸様、いや、石井讃岐守様は、里見刑部殿の御子らしく、獅子奮迅の戦さの果てに」
「御討ちなされたか」
「はい」
 身辺には、浅黄・桔梗・松葉もいた。女ながらに奮戦したが、遂には討たれ果てたのだという。大きく息を吐いて、上泉信綱は無念を口にした。
 滅亡とは、こういうことなのだ。生き残ったところで、やはり、辛い。
「して、武蔵守殿はどうされるのか。武田に仕官するのか」
「儂は、諸国へと武芸修行の旅に出る」
「修行?」
「名を伊勢守信綱とあらため、新陰流がどれほどのものかを見極め、飽くなき探求と精進を重ねるつもりだ」
 くまは立ち上がった。
「行くか?」
「はい」
「もとより、お前を連れていくつもりだった」
 長野正次も同行を求めた。門人なれば是非もない。亀寿丸を庇護する者たちは、彼らを見送ることとした。諸国を旅するならば、いつかは箕輪へと帰ることもあるだろう。
「して、どちらへ向かわれるのか?」
 阿保清勝は質した。
「伊勢へ行こうと思う」
「伊勢へ?」
 伊勢国司・北畠具教は大名でありながら、剣技に理解を持ち、かつては塚原卜伝に師事したこともある。そのときに〈一の太刀〉を相伝された剣術家だった。こういう人物と会うことで、何か悟ることもあるだろう。
 信綱はそう思った。

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