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異形者たちの天下第3話-7

第3話-7 踊る漂白民(わたり)が笑ったあとに

 徳川家康がイギリス・オランダの商人から大量の武器を購入したことは、様々な憶測を諸将に与えた。特に大坂城は敏感にこのことを
「合戦準備」
と受け止めた。当然だ。急いで武器調達に乗り出したが、既に後手であることは云うまでもない。徳川方の商談の窓口になったのは、長崎奉行・長谷川藤広と商人・茶屋四郎次郎清次である。ふたりは平戸のイギリス商館長リチャード・コックスや家康近臣ウィリアム・アダムスに働きかけて、このビジネスを徳川一手商いに導いた。これにより鉄砲の弾薬となる鉛は急騰し、その価格は通常相場の三倍四倍に跳ね上がっていた。
 これが家康の思惑であった。
 豊臣の金蔵には秀吉の財がまだ眠っている。この無尽蔵の軍資金を吐き出させて資金不足とするのが、豊臣を屈服させる要になる。
 家康のエージェンシーが茶屋四郎次郎清次なら、豊臣方にもエージェンシーがいる。長崎の商人・高屋七郎兵衛である。しかし後手に回ったことで手痛い出費を強いられた。価格急騰の鉛を、目敏い南蛮人が元値で提供する筈もない。豊臣方はキリシタン武士を大量に庇護する姿勢を示しているから、このときの商談相手はポルトガルやイスパニアといったカトリック教国民側となる。倭国のキリシタン禁制はこれらの国にとっても困ることだから、当然彼らは豊臣家に荷担をする。豊臣が天下を取れば禁制は撤廃されると信じたからだ。しかし、それとビジネスは別物である。この南蛮人の感覚に、仲介の労を執る高屋七郎兵衛はさぞや当惑したことだろう。
 当時の鉛貿易については平戸イギリス商館江戸駐在員のリチャード・ウイッカムがリチャード・コックスに宛てた書簡により簡潔に知ることが出来る。
 
  皇帝(家康)は、今後着すべし鉛を、悉く一斤に付き六分の割を以て
  買上ぐべきことを約せり。即ち、これまでかつてポルトガル人に払ひ
  渡せしよりも一分高し。火薬及び砲は、其の到着を待ちて買上ぐるか
  否かを答ふべきを以て、それまで江戸に留置すべき由の命あり
        (『慶長イギリス書翰』一六一四年五月六日付文書より)
   ※なお倭暦に換算すると旧暦なので慶長一九年三月二十八日となる。
 
 貿易により散在するからくり。豊臣方の閣僚にはこれを真相を察して危ぶむ声を上げる者は少ない。ましてや淀殿を取り巻く者たちにはこれの重要さが理解できていなかった。
 家康は大坂城内に放っている間諜によりそのことを熟知していた。もっと散在させる必要がある。その布石は既に打っていた。
 方広寺大仏殿建立。
 秀吉が執心でありながら地震により頓挫した豊臣の一大事業である。これを最初に示唆したのは家康だ。例の二条城会見の席において、豊臣秀頼はこのことを渋る素振りをみせたが、のちに淀殿が
「亡き太閤殿下に成り代わり事業を完遂し給え」
と、すっかり乗り気となった。いまの豊臣家は秀頼の意思よりも淀殿の意思が尊重される。だから方広寺の普請はこの一言から始まった。
 実は、このときの工事請負商人がすべて徳川の息が掛かる者たちばかりである。そのことを豊臣側の人間は気付いていない。だから支払われるすべては、そっくりと徳川の資金となる。つまりこの工事が進めば進むほど、豊臣は細り徳川は太る算段になっていた。意図的な鉛の急騰が、それに追い打ちをかける。既に家康は大坂との決戦を視野に置いていた。いや、正しくは、もう始まっていたと云えよう。弓矢に代わる次元で合戦は開始されていたのである。
 この工事の進捗は、逐一京都所司代板倉伊賀守勝重から駿府城へと伝えられた。家康は動くことなく事態を把握できたのである。
 商業ベースを土台にした用意周到なる包囲網を完成させてしまえば、如何に忍ノ者とてもはや何の役にも立たない。現にこの一連の動きから、伊賀服部一族は外されていた。主務めに組み込まれた忍びは哀れであるが、そのシステムを敷いたのは家康自身だ。忍ノ者を無力としたのは、もしかしたら意図的なことだったのか。そう思わずにはいられない処置である。
 このことについて服部一族は沈黙を守っている。
 主のする事にあくまで忠実に従い続ける姿勢を貫いた。家康がひとつの決定を心の奥で決めたのも、このことを確信したからかも知れない。
 
 このような状況のなかで、遂に家康は最後の起爆剤を点火した。
 方広寺鐘銘事件である。

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