二話 宿縁1
八十年後、九州にて、
幼子が怒りを奉げていた。
山間の小さな集落でのことだった。穏やかな陽が差し、八分咲きの桜が風に揺れる中、笛と小鼓の音を引っ張りながら幼子が舞っている。
拙いながらも猛々しく舞う所作は、称賛するに値する雄々しさだった。問うたところによると、これは今年に入って各地に現れた赤気を鎮めるための舞だという。
旅の途中で通りがかっただけの蝉里は首をかしげた。
(こいつは鎮めるための舞じゃないぞ)
楽の音は今すぐ楽器を叩き落としたくなるくらい聴き苦しい。曲にすらなっていなかった。
頭目らしき神人の恰好をした男にたずねた。
「お兄さんたちは彼地に縁ある人なのか?」
「はあぁ? かのちってなんだ。俺たちはただの旅芸人だぞ」
「彼地の民だって旅の芸者で巡礼者だったけど」
「似たような生業のやつなんてそりゃいるだろうさ。とにかく俺たちはかのちなんて芸座じゃない。金を払わないなら邪魔するな」
頭目は邪魔そうに蝉里を追い払った。おとなしく引いた蝉里は見物人たちの脇に寄る。よく観察していると、幼子の視線は頭目の腰に差された小刀に注がれていた。
蝉里は幼子の知識と度胸に拍手を送った。
幼子が舞っているのは八十年前、将軍殺しの咎で滅んだ彼地の民に伝わる、死者を招くための舞だ。それも怨霊を呼ぶ質の悪い芸である。彼地の民だって領主の許しがあっても気軽に舞うのは憚る。それを芸座の男たちが知らないなら、幼子は独断であの舞を舞っている。
(実に見事な無謀さだ。落ち着いたら拳骨を送ってやろう)
麗らかな空気に冷気が混じりはじめていた。
舞が終わりに近づくにつれて雲は厚くなって陽を遮り、楽器の音に混じって死霊たちの仄暗い声が届いてくる。この段階になってようやく民たちは異変に気付いた。
楽の音が止まったところで蝉里は説教をすべく幼子に近づいた。しかし頭目の男が立ちふさがる。蝉里は薄ら笑みを浮かべて男を見上げた。
「お兄さん、何も知らないであの子に舞わせていたのは見事だ」
「あいつが踊りたがったからだよ。悪いか」
「悪いね。あんたの無知が原因で、これから集落がめちゃくちゃになるんだから」
実のところ、この地域の人たちが彼地を知らないのは滅亡後八十年が経っているからだけではなく、彼地とは遠く離れた真逆の土地だからという理由の方が大きいと考えられる。しかし蝉里はそれを無視して煽り倒す方を選んだ。
「何言ってんのかさっぱりだな」
「そう? 神人ごときじゃ俺の言っていることは難しいかな」
「死にたがりか」
「かもしれないや。相手してくれよ」
頭目は面倒そうに腕を振り上げて殴りかかった。蝉里は腕の下を通ってそれをかわす。勢いのまま幼子をすくい上げ、もうひとりの神人を避けて走った。
走り出してすぐ、死霊の群れが飛来し始めた。
「多いな! どんだけ怒ってたんだ」
幼子の頬は膨れていた。
(さて、どうしようか)
蝉里ができる退治方法は舞うか斬るかだ。集落の安全も確保しつつだと、結界も張れる舞が一番だろう。しかし囃子方がいない。
そのとき、
「やまがらぁー!」
死霊の群れに追われる八木文清が林の中から飛び出してきた。
「あにぃ!」
「おっ、身内かい?」
黒い死霊の大群は文清を追い越して飛散した。場を穢し、家を朽ちさせ、家畜に食いつき、いたずらに人へ憑りついて首を絞め上げる。
蝉里は方向を変え、死霊を霊刀で切り捨てながら清文の元へ走った。神人たちもしつこく追ってきていたが、死霊に絡まれて榊で結界を張るのに必死で、蝉里たちを追うどころか身動きが出来なくなっていた。
「山雀! 無事か!」
「あにぃ、爺様の小刀盗まれたまま!」
「いい気にするな」
「でも」
文清の背に琵琶が背負われているの確認した蝉里は、ちょうどいいと笑った。
「話してる暇なんてないぞ」
ふたりの背後から襲い掛かってきた死霊を霊刀で斬り捨てた。背負っていた行李を下ろし、中から鉦を取り出して山雀に押し付けた。
「坊主は責任をちゃんと取れ。好きな時に鳴らしていいから。そんであんた、琵琶を背負っているなら演奏できるな」
「で、できるが、何をするのだ」
「何って、この局面で彼地の舞師にできることは一つだけだろ」
文清は瞬いた。
「彼地の、舞師」
「魂を慰められるのを頼む」
澄んだ鈴の音が響いた。
彼地の民にとって、魂を慰める舞は生涯において一番舞う回数の多い舞だ。蝉里も例にもれず、彼地が滅ぶまで事あるごとに舞ってきた。しかし滅んで以降は一度も舞っていない。緊張で鈴を持つ手が震えていた。
一回、二回、三回と、集落に鈴の音が広がる。鳴るたびに死霊の意識が蝉里へ向けられる。
蝉里の体がゆっくりと回る。爪先が地面を軽く叩く。琵琶が掻き鳴らされる。その曲は懐かしい曲だった。
死霊たちが蝉里たちの周囲に集まりだした。未練や恨み具合が低い魂ほどすぐ寄ってくるのだ。だが、やはりそれでも集まらない魂もいる。
怨霊化が進んでいる魂は蝉里を避け、生者、家畜を襲い続けていた。運が悪いことに神人たちを狙った死霊たちも怨霊化が進んでいる方だったようで、榊による結界が今にも砕けようとしていた。
蝉里は二つ持っていた鈴の片方を神人たちの塊に向けて投げた。死霊の注意が蝉里に向いた。
「落ちくぼんだ目をかっぴろげてよぉく観ろ。俺の舞を観て損はないぞ。そんで神人たち! その鈴鳴らしながら集落中を歩き回れ。襲われている人たちをこっちの結界に連れてこい」
死霊全てを鎮めるため、自身の舞に意識を向けた。
足先から頭の天辺まで、より丁寧にしなやかに舞う。山雀が込められるだけの怒りを込めて呼び込んだ死霊の大群は、蝉里の爪先が地面を叩き、鈴が鳴らされるごとに我を取り戻していった。
最後の一節を舞い終える頃には、観衆となった死霊と集落の民たちの上に春茜の空が広がっていた。
蝉里は一礼をもって終了を告げた。
「…………その」
自分たちが置かれている状況に理解が追いつかない集落の民たちは、戸惑った様子で互いを見合わせた。我を取り戻した死霊たちも迷子の如く右往左往するばかりだ。
文清は仕方なく代表して声を上げた。
「お前さんや、鎮まった魂たちはどうやって供養するんだ?」
「なんだ、知らないのか?」
田の畔に放り投げ出していた行李の中から、蝉里は使い古された鳥笛を取り出した。折れ鷹の羽に二つ星の紋が彫られたそれは、鷹を呼ぶための笛だ。彼地の民にとって鷹は死者を常世へ導くという、炫智神の使わしめだ。
ゆっくりと長く息を入れるろ特有の甲高い音が集落に響き、こだまとなって返ってきた。
何度か繰り返すと、鳥影が彼方から現れた。見る間に大きな鷹となり、蝉里たちの上空でゆっくりと旋回を始めた。
「さあ、あの鷹についていけ」
蝉里の呼びかけに応じて、右往左往していた魂たちが次々と空へ舞い上がっていく。やがて全てが上ると一列となり、鷹を先頭に常世への道を行った。
蝉里にとって久方ぶりに見る光景だった。それでも見慣れた光景だ。昔よりほんの少し、ほんの少しだけ長く眺めてから、口を開けて見上げている文清に声をかけた。
「彼地の舞と曲にまた触れるとは思ってなかったよ。よく残っていたな」
「うちの神社で受け継いでいたってだけだ。わしは今この瞬間まで、これが彼地のだとは知らなんだ」
「ねぇ!」
文清に抱かれていた山雀が声を張り上げた。
「小刀! まだ取り返してない!」
気づいたら神人たちはすでに姿を消していた。
「さっきも盗まれたままとか言っていたな」
文清は頭を掻いた。
「情けないことに、山雀と一緒に祖父の遺品も持っていかれていてな」
「遺品? お宝なのか?」
「……彼地の領主一族の家紋が刻まれた小刀のことよ」
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