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自己紹介その1~学生時代~

はじめまして、シンママ公認会計士・税理士の河合千尋です。
簡単に経歴をお話しさせてください。

1973年生まれ、幼少期から人生の大半を横浜市民として過ごしてきました。
小学生まで過ごした場所は、横浜市の片隅で昭和50年代に開発された最寄り駅まで5キロもあるようなベッドタウンで、特に教育熱心でもない両親のもと小5まで活動はほぼ学校と家の往復だけという地味で刺激のない子供時代を過ごしていました。単調すぎる毎日に変化があったのは小5で同じクラス・ご近所にお父様がお医者さんというご家族が引っ越してこられて、そちらの男の子が中学受験というものをすると聞きつけて、世の中に「学校の勉強以外の勉強をしている子がいる!?」「近所の中学校以外に行くという選択肢がある!?」と驚愕した私は、両親を説得して中学受験の世界に飛び込み、かといって両親も何の情報もなく通学可能圏に中学受験に対応するような塾もない地域で、購入してもらった四谷大塚のテキストと市販の参考書と模試のみ、小学生一人のほぼ独学で中学受験をクリア。

慶應義塾中等部、同女子高校に進学後はまずまず平穏な日々を過ごすものの、これまた人生に対する夢やモチベーションも大して見つけることもなく、芸術やスポーツに打ち込むということもなく、特に嫌な思い出があるわけではありませんが目立った存在でもなく、何となく机上の試験の成績だけは優秀という、地味で陰キャな学校生活を過ごしていました。

そして何となく理系科目は深く興味が持てないという理由で1992年、慶應義塾大学経済学部に進学し、公認会計士試験の勉強を開始します。
私の父が公認会計士で監査法人に勤務していたのですが、両親に資格ぐらい取っておいた方がいいと勧められ、公認会計士が何なのかわからないまま何となく難関らしい、受かったらすごいらしいという程度の認識で主体性もなく足を突っ込んでしまいます。

インターネットも普及していない当時、受験勉強に際しては毎日水道橋にある専門学校の本校に通学して受講するというのが当たり前でしたがここでもまた、大学の授業が週6日ある状況で横浜の奥地から都心の水道橋まで毎日通うという選択肢はなく、またその当時地方受験者向けの通信講座というのもカセットテープの音声のみで利便性が低く、やむなく専門学校のテキストのみ購入してもらい独学と模試のみで試験に挑むという選択をします。
途中、当時は大学3年次での合格者というのが年に数名程度で、合格者はとてつもなくもてはやされ、大学生協にも置いてある専門学校の広告で大きく紹介してもらえることを知り、それならばと忍耐力と記憶力、机上の勉強だけは根気よくできるという特性を発揮し、当初の予定より1年早い大学2年次で、もちろん当時の最年少合格をつかみ取りました
(ただし、当初の目論見と違っていたのは、ほぼ独学で専門学校を受講していないため、広告で紹介されて大学内でも有名になるというということはありませんでした)

残りの大学生活はキャンパスライフを挽回するつもりが、気が付けば就職超氷河期に入り、少々周りの同級生とも境遇が合わなくなってしまったこともあり、監査法人で非常勤のバイトをしながら再びひっそり英語を勉強して短期留学をする、というような、あまり一般的な学生との交流もほとんどしないまま1996年卒業となり、同時に公認会計士として監査法人での社会人生活をスタートさせました。


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