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「介護の無知と3つの病院」第1話
介護漫画を描きだしたのは私に仕事
(論文につける医療イラスト)を依頼してくれる
お医者さんのお友達のお医者さんが在宅医で
その方の本を読んで号泣したからですが
こうやってブログを毎日描いてて思い出したのですが
没ネームにその要因を描いてたのです。
それは今からだいぶ前、喧嘩してから音信不通の
母からの電話から始まります
![](https://assets.st-note.com/img/1673952353296-U6zLfWnHnz.jpg?width=1200)
ネームなので雑です。私と母は喧嘩して5年
お互いがお互いを無視してまた
![](https://assets.st-note.com/img/1673952352381-VwKbPcZzxw.jpg?width=1200)
父の肌は南国生活と、この季節は夏で真っ黒に日焼け。
![](https://assets.st-note.com/img/1673952352507-E1kqZug34m.jpg?width=1200)
母は検査結果で良性と言われていましたが食事が出来ず
吐き気も治まらないので入院することに。
私は母の入院の前日に島に帰ったのです
![](https://assets.st-note.com/img/1673952352509-IAtSw0uMJB.jpg?width=1200)
母は思ったより顔色もいいし安心しましたが
とぎれとぎれしか話せずにいたので喧嘩をしてた
事には特にふれていません。
![](https://assets.st-note.com/img/1673952352524-0BDGaTy4Nd.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1673952352375-x76SbzGAN4.jpg?width=1200)
その日は私が時々作っていたダイエット用の
野菜スープを作りました。
母も喜んでくれて少しだけ食べてくれました
驚いたのは明日の入院に向け準備を全くしてなかった事です。
父は気が利かないし母は具合が悪すぎて
準備など出来ないでいたのです
本当にこのタイミングで帰れてよかった!そして無事入院。
ここで母は食事を口にしませんでした。私は食事介助の
存在などしるよしもなくそれがどうゆう事かもわかりません。
病院側も食べないからといって介助もなく、食べない食事を
出しては下げ出しては下げ
すると親戚のおばさんが騒ぎ始めました
![](https://assets.st-note.com/img/1673952352435-fSZfqxxXvu.jpg?width=1200)
叔母さんの様子は深刻で主治医に詰め寄ります。
家族に今の状態を説明しろと…結果
何故か特別室の個室に移動
その後何日もたって「紹介状を書いたので市内の病院に
転院してください」とゆう説明。
こんな体たらくな医者を無知な私は責める
頭脳もなかったのです
![](https://assets.st-note.com/img/1673952352460-vJWoAhnjaZ.jpg)
こうしてトッピーとゆう早めに走る船に乗り移動
するのですが母はこの時、車椅子移動するぐらい
歩行もできなくなっていて長く座っている事も
苦痛の様でした。
私は船乗員に頼みました。病人なので横になれる場所を
貸してくれと…冷たく断られた記憶があります
そして船に乗りしばらくしてトイレに行きたいと
トイレに入る母
そこからなかなか出てきません。私はトイレのドアの
前で声をかけます。母は「大丈夫」とゆうので
ふんばっているのか?と待ちますが2時間ほどしても
出てこず私はやっとトイレの中に入ると、中で母は
立ち尽くしどうしていいのか判らなくなって
いたのです
今ならわかります。トイレ介助が必要な状態だったと
トイレに付き添うなんて思ってもみない行為で私はただ
母の様子に絶望しショックを受け、
なんだか泣きたくなっていました
後半に続く
「介護の無知と3つの病院」第2話↓
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