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1月の読書

あっという間に1月は終わってしまった。一体何をしていたのか思い出せないほど形に残らず、人生の1ページに、年初の足跡を残せるようなこともなく過ぎてしまった。
あえて言えば、
・お正月に家族が集まり賑やかだったこと。
・3回、マーマレード作りをしたこと。
・2人の友人それぞれと会ってランチをしたこと。
・6号の人物画を描いたこと。
だろうか。

何もせずにはいられない性分なのにもかかわらず、大した満足感も得られず日々が風のように過ぎ去っていく。
その毎日の隙間時間を埋めてくれるのは読書だ。
「あ〜、今日は何もしたくない・・」と思う時、無駄な時間を過ごしてしまったという後悔に代わってくれるヨスガが読書だ。なぜか読書だけはやる気のない時でも、ページを広げればあっという間にその世界の一人となれる。
たとえば野菜をを茹でようとお鍋に湯を沸かしているその間でも、
本の数行に迫ることができる便利な相棒だ。

図書館に予約してある本は、時には貸出期間が重なって3冊ぐらいを手元に
してしまう時もあるが、幸い1月はちょど良い具合の配本になった。

1月に読んだ本

新聞の読書欄に見つけた「不機嫌な英語たち」と言う題名に
不機嫌な・・・何が書いてあるのだろう?と単純な興味から図書館に申し込んであった。

日本とアメリカで暮らした「アメリカ文化」の研究者で現在はハワイ大学で教授をしていると言う作者は、アメリカに住む中で異文化やセクシュアリティー、多民族社会などを著しながら、自分のアイデンティーについて考える。

何しろ80年を越す月日をどっぷりと日本の感性と常識に埋まっていた
お婆としては、理解し難い部分が多分にあった。
この作者の片鱗でももう少し知りたいと、次に読んだのは同じ作者の
「親愛なるレニー」バーンスタインの人生に迫ったものだ。

吉原真里を2冊読んで、その書き口からほんの少しだけ、作者に寄り添えた
気になった。

その2冊とは全く異なる「まいまいつぶろ」は歴史本で、
徳川第9代将軍、家重について著したものだ。初めて読む作者(司馬遼太郎夫人の個人秘書を務めた)だが、読みやすく、涙を誘われながらほのぼのとした気持ちにさせてくれた本だった。

書架に並ぶ本を眺めれば、その背表紙にそれを求めた時の思いや情景を思い出すものだ。
15年ほど前にマンションに転居してからは、溢れる書棚は
それ以上の蔵書を許してくれる状態になく、今では滅多に本を買うことはなくもっぱら図書館頼りだ。

読んだ本が手元に残らないと言うことは、再びその本に触れられないということだ。それはとても寂しいし、歳を重ねた今ではその内容を思い出すことさえ心許なくなる。

それで始めたのが読書記録。
読んだ本の概要と感想を書いて残すと言うこと。2013年から始めたのでかれこれ10年続けている。これがあるおかげで、
「確か、それに関係したこと読んだことがある」
と思いついてページをめくれば確認でき、スッキリとするわけだ。
そのついでにその周りの本の感想も読んだりして、今ならまた違う感じ方かも・・などと時の流れを感じたりもする。

10年続けている読書記録




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