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東京芸術大学美術館

ベランダに「群舞」というつるバラが満開になりました。

昨日は少し寒い一日だったが、上野の美術館2館を訪れた。
東京藝術大学美術館で催されている「大吉原展」の
開催終了期日が迫っているので、まずはこちらを。

新聞でこの展覧会の広告を見てぜひ行ってみたいと
思いながら、終了ギリギリになってしまった。

江戸時代を背景にした小説を読むと
吉原の様子を絡めている物が多い。
文章から私が想像する吉原を確認したい気持ちが動いた。

この展覧会に行こうと決めていたある日、
朝日新聞に
「この展覧会が、売買春で成り立っていた吉原について
華やかな文化をアピールする広報などが批判された」
と記事になっていた。
「江戸アメイジング」「イケてる人は吉原にいた」
などのキャッチコピーが問題視されたようだ。

確かに人身売買などのあってはならないことの上に
成り立っていた文化で、決して容認できないが、
生まれた文化は洗練された文化として認めたい。

この展覧会を見て、改めて知った事が
たくさんあった。その中でも印象に残ったいくつかを
記してみたい。

① 吉原は想像以上に広かったのだ。
小説では「大門をくぐったその先・・」
という表現が多いことから、大門をくぐった先に
メインストリートがあって、その両側に
遊郭が並んでいたのだと想像していた。
実際にはそこに並んでいたのは「茶屋」で、
「遊女屋」へ行く為の予約受付所兼食事処
であり、吉原をプロデュースする役目もあったらしい。
街は碁盤の目のようにつくられ、
街全体が演出された劇場の様な空間を作っていたのだ。

②小説には三月になると咲き誇った桜が、
メイン通りに持ち込まれる様子などが描かれている
事が多いが、「本当に?」と思っていた。
これは本当だった。一晩にして艶やかな桜並木が登場し、
桜が終われば、撤去される。
吉原では1年を通して年中行事が決まっており、
その行事に従って、趣向を凝らした諸々は、
新しい文化を育んでいったのだ。

③吉原を題材にこれほどたくさんの浮世絵が
描かれていたこと。それらの絵の中には
吉原の風俗の表裏を描いたものが多く、
吉原での暮らしや習慣なども推測できる。
 
④太田南畝の狂歌に常々感心していたが、
なんとこの頃、狂歌師と言われる人が100人もいて
本を出していたという。
吉原では洗練された教養が求められ、花魁は
詩歌、茶の湯、生花、書などに優れていなければならず、
吉原はそれらを楽しむ文化人の集まるところでもあった。
大田南畝、山東京伝、酒井抱一などの名が挙げられる。

⑤酒井抱一といえば、あの「風神雷神図」の裏に「秋草図」
を描いた絵師で、姫路の藩主の次男として生まれた人だ。
厳格な武士の家に生まれるも、文化に造詣の深かった環境の
庇護を受け、吉原でもその才能を発揮した。
驚いたのは抱一が、文芸を良くし、漢詩や書画、茶の湯、
三味線に長けていた遊女・香川を見受けし、抱一の描いた絵に
香川が七言絶句の漢詩の賛を添えたものも展示されていた。

・・・・とまぁ、あげればキリが無いほど
知らなかったことばかり・・・・
の2時間ほどは別世界に迷い込んだようで、
楽しい時間だった。

展覧会図録
表紙は折りたたまれており、広げると艶やかな浮世絵

浮世絵などの出展は多岐にわたっていたが、大英博物館からのものも
何点も含まれており、ヨーロッパでのジャポニズムの流行を
思わされた。

華やかな浮世絵の数々に、江戸文化を感じつつも、
何千人が住んでいたと言われる、吉原で暮らす人のほとんどは
枷に縛られた貧しい暮らしだったろう。
逃げ出したい一心で火付けなどがあったことも
記述され、華やかな文化の陰で苦しんだ人々がいたことは
忘れてはいけないと心し、尚且つ文化も保存していってほしい。






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