がんばらないをがんばる
◆社会に復活
生産的なことをできている、お金を稼ぐことができる、というのは、私の心をとても救った。
社会的に意味がある、存在価値があるような、自分のことを認めてあげられるような気がしたから。
絶対残業はしてはいけない、の制限のもと復帰した私はまず8時間パソコンの前にいられるかを試された。
そんなことできる、と思うでしょう?
それが、1日の大半寝て、社会とコミュニケーションをとっていなかった人間には、期待されていない(笑)
だが難なくクリアできた。
がんばりやさんを封印するのだ、と決めて、上司にもコントロールが課題と宣言していたので、同僚たちにも⚪︎⚪︎を残業させるな!という指令が降っており、私は定時をきちっと守った。
休職前は、1時間に20件かけないといけなかった電話も、2時間5件でも褒められるくらいに気を遣ってもらっていた。
少しすると営業として再び数字を持つことになり、架電からアポ取り、商談へ行くようになった。配属されたチームのリーダーが同行してくれた。
このリーダーが苦手だった。ずっと「できる街道」を歩んできて、言葉の強い人。気を遣ってくれて、なんで〜?どして〜?と可愛らしく演出をしてくれてはいるのだが、本質は詰めだ。
怖かった。とても怖かった。
普通に考えて、自分のチームにものすごく歩みの遅いセンシティブな生き物がいたら、厄介だ。周りとのバランスも大事。私のお尻を叩く役割だったんだろうから、怖くても当たり前だなと今は思える。
また私はやっていけなくなりかけた。
かろうじて、休職前から考えると低く低く設定してもらっていた目標は達成できたけど。
また眠れない、吐き気がする。
薬を増やす?どうする?と決断を迫られた時、私は卒業を決めた。
自分の健康が第一だと判断することができた。
この頃は、思考の癖を正すことができるようになっていたから。
あの時病院に行ったのも、今回卒業を決意できたことも、再起不能になる前に判断できて偉いのだ。
負けず嫌いで完璧主義な私は、本当はやり遂げてから卒業したかった。期待に応えたかった。できないことから逃げたくなかった。でも、ベストを尽くしたと胸を張れるから。一社会人としての基礎は完璧に身につけることができたのだから、転職した目的は果たしたよ、もう十分でしょ、と自分を納得させた。
今これを打っていて、悲しいし悔しいけれど。
でも、最善の選択をした。
報われない努力もある。でも努力したことに変わりはないし、努力できたことを褒めよう。
◆その頃のプライベート
自分のキャリア>>>超えられない壁>>>恋愛なのであまり触れてこなかったが、転職してから割とすぐ、先輩と付き合った。
なんと再びの男性。自分でも驚きだった。
仕事ができる人、かっこいい…となり、男性に抵抗は少しあったものの、小柄だし怖くなかったので、エイヤーと思い切ってみた。私は私のことが好きな人が好きなのだ。
尊敬していたし、自立していてとても好きだったが、あまり大切にされていると感じられず、仕事の話ばかりしてしまうので、自分を守るため別れた。(愛情表現が薄かったのもあるね)
また、休職中母とずっと2人では気が滅入ると、遠方の友人宅にたびたびホームステイさせてもらっていた。迷惑だっただろうな…
たくさんお金も使わせただろうし、仕事の合間に様子見に来てくれたりもしたし、プライベート時間を割かせた。
あんなに交友関係に苦戦してきたが、いい友達がいるじゃないか。
色々連れ出してくれて、本当に感謝しかない。
その頃出会った人がたまたま地元が一緒だったので付き合うことにした。
普通の人だったから。愛情表現がまめだったから。一緒にいて落ち着くので大好きになった。
ホームステイ先は友人でなくこちらの恋人になった。
◆再びキャリアの話
卒業が決まってから少し休むことはせず、すぐに転職をした。
地元から離れよう。とりあえず、自分の営業圏じゃないところに行かないと。
たまたま受かったところが恋人のいる土地だったので、ご縁かなと思い入社を決めた。病気のことも話して、それでも採用してもらえたので、とても安心したのもある。
頑張りすぎないぞ、セーブするのだ!とかなり気をつけて仕事を始めた。
最前線の営業では無くなったのと、仕事量が圧倒的に減ったので、スムーズに体調が改善した。
割とすぐ仕事にも慣れて、戦力になることができたので、自己効力感が上がった。
ただ、お給料が前職より月10万下がっていた。
メンタルヘルスが第一、と覚悟はしていたが、私があまりにも残業をしないので、想定年収より格段に下がった。誤算だ。
お金の余裕は心の余裕に直結していることを知るのだった。
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