企画「パズルのように適材適所が埋められるのか」
「あなたの仕事について教えて下さい」という企画があったので書いてみる。
自分は障害福祉関係の施設で仕事をしている。
そこの施設において、障害を持った方が作業を行う際に指導や支援をする立場である。
仕事内容は様々で、食品加工工場や物流倉庫等で主に作業を行っている。
仕事をして改めて気付いたことは、
適材適所の難しさである。
適材適所は良い言葉であるし、パズルのピースの如くハマればこんな最高なことは無い。
ただ現実はそうでは無い。
ピースの形は様々だし、ハマる保証も無ければ、数が合ってるかも怪しい。
完成したと思えたパズルもよく分からない作品が出来上がってるかもしれない。
完成したとして、すぐに崩れてしまう可能性もある。
多様な障害を抱える方を支援する中で、適材適所は限りなく困難であると言わざるを得ない。
作業能力としては適当であっても本人が納得できない場合も多々ある。
例えば、もっと自分はできると信じて疑わない人やもっと複雑でレベルの高い仕事をやりたがる人がいる。
一方で、能力はあるのに自分に自信が持てない人や自分には無理だと諦めてしまう人もいる。
もちろん、何を持って適材適所とするかはそもそも判断が難しい。結局は支援する側の主観になってしまう。
恐らくこれがこの人にとっての適材適所であろうと、ある程度の経験やデータ、本人の意向で決めてしまうしかないからである。
適材適所が実際に成立してるであろう場面は、現実として限り無く少ない。それもまたいつまで続くのかも不透明である。
自分の中で導き出した1つの答えとして、仕事において適材適所というパズルは、一生続けていかなければならないゲームであるということだ。
本物のパズルのように仕事に正解があると思っているタイプの人間にとっては、仕事をするのは辛くて、耐え難い物に感じるであろう。
一生クリアできないゲームなのだから。
人間は社会的な生き物であり、それぞれ役割を担って生きているはずだ。
ただ、だからと言って人間は仕事をするために生まれてきた訳では無い。
この世にある仕事に上手くハマればただの幸運だ。それは障害のある無しは関係無いだろう。
そもそも、恐らくは適材適所というパズルを仕事というものに当てはめてしまうこと自体がナンセンスだという話なのだろう。
そうはいっても支援者としては手を止める訳にはいかないので、明日以降も完成のしないパズルを埋め続けていこうと思う。
もちろん、あくまでポジティブな気持ちで!
それこそパズルを作る時のような、ワクワクしながら楽しむ気持ちで!(^^)
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