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古本屋になりたい:30 恒川光太郎「風の古道」

 兵庫県伊丹市に、猪名野いなの神社という古い神社がある。
 JR伊丹駅を出て、荒木村重の居城で黒田官兵衛が幽閉されていた有岡城址を横目に、酒蔵通りを西へ歩き、産業道路と呼ばれる県道を北へ上がっても良いし、そのまま西へ進んで、おしゃれな外観のタリーズコーヒーと白雪ブルワリーレストラン長寿蔵の間の道を進んでも良い。伊丹市立ミュージアムや、旧岡田家・石橋家住宅などを覗きながら、伊丹市立図書館、通称ことば蔵を目指せば、その視線の先にすぐ猪名野神社が見える。

 お正月には伊丹中の人が初詣に訪れて、参道は人でいっぱいになるが、普段はいたって静かだ。江戸時代初期の再建という本殿と、拝殿、小さな社がいくつか。本殿の傍には土俵がある。

 この辺りの猪名野・稲野という地名は、百人一首に収められた歌にも詠まれている。

ありま山いなの篠原ささはら風吹けば
いでそよ人を忘れやはする

大弐三位だいにのさんみ

 いなの篠原(猪名の笹原)とは、古代、伊丹市周辺に広がっていたとされる草原のことだ。

 現在の伊丹駅前はマンションの建設ラッシュという感じで、ここ数年でかなり人口が増加しているのではないかと思う。
 そのマンション群を頭の中で消し去ってみる。
 駅の東側を流れる猪名川から、西の猪名野神社のあたりは、緩やかな起伏はあるものの視線を遮る高いものは見当たらないようだ。一面の草原だったら、それはさぞかし見応えのある景色だっただろう。

 猪名野神社の後ろから北に向かって、緑道が続いている。Google マップで見ても、緑の一本道がずっと繋がっているのがよくわかる。

 緑道の左手は高くなっていて、木が大きく茂って陰を作っている。茂みの上の高台は住宅街だ。
 右手は歩くにつれて低く深くなっていき、階段を降りた先に公園が覗けたりする。こちら側にも住宅街が広がっている。
 この高低差は伊丹段丘と呼ばれるもので、猪名野神社は段丘の最南端ということになるだろうか。

 しばらくは気持ちの良い遊歩道が続く。
 私が歩いたのは、ソメイヨシノが終わってヤマザクラの白い花びらが目立つ頃だった。歩きはじめは少しひんやりするくらいだったが、時々すれ違うウォーキング姿の人に触発されて歩くペースを上げると、すぐに汗をかいて来た。
 途中、白洲次郎の父・白洲文平の屋敷跡があるというパネルを見つけた。数年住んでいたのに、白洲次郎が伊丹にゆかりがあったとは全く知らなかった。

 公園が見え、桜が咲き、鳥の声が聞こえ、ところどころにベンチがあり、いかにも遊歩道と言った景色が続いた後、緩やかに下り坂になり、県道近くで道は「逆くの字」に折れ曲がった。
 「く」の急カーブは車道とクロスしていて、それが境界の印でもあったかのように、向こう側は全く違う景色になった。
 相変わらず左手は木が茂っているが、ずっと低かった右手の景色は、ここからは遊歩道と同じ高さだ。くの字のカーブの手前は舗装されていた道も、未舗装の土を踏み固めた道になっている。

 道は民家の裏手に面していて、庭は前に造ることが多いのか、手を伸ばせば届くようなところに建物が迫っている。
 道幅は高いところを歩いていた時よりも少し広くなっていたが、遊歩道というよりはどうもそのまま、人の家の裏を歩いている感じがする。
 新しい家も比較的年季の入った家もあるが、平日の昼間で人の気配がない。すれ違う人もすっかりなくなって、このまま先に進んで良いのか少しためらうような気持ちになる。

 木の陰が差しているものの、暗くて危険という感じではない。何よりすぐそばに人家があり、そういう意味では安心感はある。

 私がまず思い浮かべたのは、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」で、主人公が笠原メイと探索する、家々の裏のどこにも繋がらない道だった。
 しかし歩いているうちに、これは「風の古道」にそっくりだ、と思い始めた。

 恒川光太郎の「夜市」(角川ホラー文庫)に、表題の「夜市」ともに収められているのが、「風の古道」という中編だ。

 主人公は7歳の頃に、遊びに行った公園で父とはぐれ、迷子になった。誰もいない桜並木を一人で歩いていると、前方からおばさんが歩いて来て道を教えてくれるのだが、その道は、「車一台分かもうすこしの幅がある、未舗装の田舎道だった」。

 おばさんは道の先を指さして、この道をまっすぐ行ったら着くから、寄り道しないでまっすぐ歩くようにと言い聞かせて、主人公を送り出す。

 道の両脇の風景はブロック塀や生垣、板塀に囲まれている家が並んでいたが、どの家も玄関を道側に向けていなかった。両脇に建つ家がこの、路地裏と呼ぶには少しばかり幅の広い未舗装道に向けている向きは、一つ残らず、後ろか、もしくは側面なのだ。表札付きの門など一つもなかった。また、電信柱もなかった。郵便ポストもなかったし、駐車場もなかった。

恒川光太郎「風の古道」

 この時、主人公は無事に見慣れた景色に辿り着き、家に帰ることができた。
 夢の中にいるような気持ちで、曲がりくねりながらも住宅の中を切れることなくずっと続く道を辿って、ひたすら、誰とも出会わず歩き続け、ようやく帰って来たのだ。

「ははあ、その道は遊歩道だよ」
父がいうには、小金井公園の近くには武蔵野市まで延びている遊歩道があるのだそうだ。
 母親は複雑な表情でいった。
「駄目よ、知らない人と話したりしては。その人は、たまたま、いい人だったから良かったけれど」

恒川光太郎「風の古道」

 *

 私が歩いた伊丹市の緑道は片側だけが住宅だったけれど、どの家も道に背を向けているのは同じだった。遊歩道側に玄関を設けても不便だろうから、現実的にはそれでなんの不思議もないが、いや、私、風の古道に紛れ込んだ可能性無きにしもあらず…。

 私はその時すでに十分に良い大人で、現実とフィクションを混同するようなことはない。しかし、ここまで本で読んだイメージにぴったり合うシチュエーションに出くわしたことがなかった。私は一人、軽い興奮状態だった。

 物語の主人公は、12歳の時再び風の古道に紛れ込む。
 そして今度は、なかなか帰って来れない。

 私は、もちろん帰って来れた。
 片側が民家、片側が林の未舗装の道を、ちょっともうそろそろ現実に戻りたいなと思うくらいには長く歩いて、ようやく広い道に出た。
 国道171号線。通称イナイチ。

 木陰が途切れて、日差しが強くなっていた。私は汗をびっしょりかいて、イナイチ沿いの餃子の王将に入った。出て来た若い店員さんがちょっと笑っていたのは、汗みどろの私がやけに晴々した顔をしていたからだろうか。
 無事に風の古道から生還した私は、餃子と炒飯をもりもり食べ、伊丹緑道ひとまずのクライマックスである緑ヶ丘公園の、池に浮かぶ不思議な中国風御堂を見学した。
 帰りは、自動車がビュンビュン走る産業道路を歩いた。

 いつかもう一度あの道を歩いて、今度はもっと先の昆陽池こやいけまで行ってみようと思いながら、引っ越してしまいそのままになっている。

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