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「北越雪譜」を読む:11

 江戸時代の書物といっても、今の感覚とそう変わらないなあと読めるのが「北越雪譜」の良いところなのだが、それに慣れてしまうと、時々現れる、いかにも昔風な考えや知識に驚くことがある。
 「雪中の虫」の項は特にそんな印象が強い。

 唐土もろこししょく峨眉山がびさんには夏も積雪つもりたるゆきあり。その雪の中に雪蛆せつじょといふ虫ある事山海経さんがいきょう(唐土の書)に見えたり。此説このせつむなしからず、越後の雪中にも雪蛆あり、此虫早春の頃より雪中に生じ雪消終きえおはれば虫も消終きえおはる、始終の死生を雪と同じうす。

北越雪譜 初編 巻之上
雪中の虫

 中国・蜀の国の峨眉山には、夏も雪が積もっているところがある。その雪の中に雪蛆という虫がいることは、山海経にも書かれている。この説は空想ではない。越後の国の雪の中にも雪蛆はいる。この虫は早春の頃から雪中に生まれ、雪が消えてしまうと虫も消えてしまう。一生を雪と共にする。…

 「山海経」は中国の地理書で、秦朝から漢代、紀元前4世紀から3世紀にかけて書かれた。地理書としては世界最古のものとされるようだ。「北越雪譜」ではさんがいきょうとルビが振られているが、一般的にはせんがいきょうと読まれる。
 ただ、地理書といってもほとんど妖怪のような生き物が紹介されているなど、奇書ともいわれるらしい。神話や伝説も扱う地理書と考えれば、古事記や風土記に近いイメージを持って良いのかもしれない。

 この「山海経」に登場する雪の中の虫が、単なる空想ではなくて越後国にもいると、鈴木牧之は紹介している。

 まずは、漢字の表記からの考察だ。
    (虫が嫌いな方ごめんなさい)
 雪蛆せつじょの、蛆という字は、ウジ、つまり蝿の幼虫である。
 似た字に「虫へんに旦」と書く漢字があり、これはさそりのことだ。刺すことを連想させるが、雪蛆は蜂のように刺す虫ではないので、字は蛆の方であっているだろう、と牧之は考えた。
 雪蛆とはつまり、蠅のように雪の中に生ずるもの、雪中の蛆蝿だ、と書いている。

 ここからがちょっと昔風なところだ。

木火土金水もくくわどごんすゐの五行中皆虫を生ず、木の虫土の虫水の虫は常に見る所めづらしからず。蝿は灰より生ず、灰は火の燼末もえたこな也、しかれば蝿は火の虫也。蝿を殺して形あるもの灰中はいのなかにおけばよみがへる也。

                     雪中の虫

 木、火、土、金属、水の五つの元素の中全てから、虫が生まれ出る。木の虫、土の虫、水の虫はよく見るので珍しくない。蝿は灰から生まれ出る。灰は火の燃えた粉だから、蝿は火の虫だ。蝿を殺してまだ形があるものを灰の中に置いておけば、蘇るのだ。…

 それはないですって、牧之さん。と突っ込まなければならない。
 生ず、というのが、湧いて出てくる、くらいの意味合いなのか、生まれるという意味なのかで悩んでしまう。木の中から、土の中から、水中から、確かに虫は出てくる。生まれてくるとも言える。
 たとえば私は大阪という土地で生まれたのであって、大阪の胎内から生まれ出たのではない。比喩的にはそうかも知れないけれど(お笑いを愛し、タイガースを愛し、粉もんを愛すがゆえに…)。
 つまり、木から虫が生ずるといっても、木に産み付けられた虫の卵から孵化したものが表に出てくるのであって、木が虫の命を宿したわけではない。
 これが現代の認識だ。

 ところがやはり、蝿は灰より生ず、とは、蝿は灰から生まれる、という意味で書かれているのである。
 蝿という言葉の由来は、生える、生まれ出る、湧く、というところにあるという。虫が湧く、という言い方には馴染みがあるが、現代ではそれは比喩的な表現に近い。湧いて出たようだから、湧くというのだ。
 江戸時代後期、知識人の鈴木牧之でも、生き物が生まれることは未知の世界で、特に虫のような小さなものは人間や家畜、犬や猫の生まれ方とは違うと考えていたようだ。

金中かねなかの虫は肉眼ひとのめにおよばざる冥塵ほこりのごとき虫ゆゑに人これをしらず。およそ銅銕どうてつくさるはじめは虫を生ず、虫の生じたる所色を変ず。しばしばこれをぬぐへば虫をころすゆゑ其所そのところくさらず。錆はくさるはじめ、錆の中かならず虫あり、肉眼におよばざるゆゑ人しらざる也。(蘭人の説也)

雪中の虫

 金属の中の虫は肉眼で見えないホコリのような虫なので、人は知らない。銅や鉄の腐り始めは、虫を生じる。虫の生じた所は色が変わる。よくこれを拭って虫を殺せば、その場所は腐らない。錆は腐る始まりで、錆の中には必ず虫がいる。肉眼で見えないので人は知らないのだ。(オランダ人の説です)…

 鉄の錆や、銅に出る緑青を、虫が腐らせたもの、と鈴木牧之は書いている。よく拭くと腐食しない、というのは一理あるだろうが、錆が虫のせいだとは、現代の人は考えない。
 しかし、オランダ人の説だよ、と言われると、なるほどそうか、と当時の人は納得してしまっただろう。
 ちなみに、オランダ人のレーウェンフックが顕微鏡で微生物や精子を観察したのは1670年代のこと。日本に顕微鏡が伝わったのは1750年とされる。

金中なほ虫あり、雪中虫無からんや。

雪中の虫

 金属の中に虫がいるのだ、雪の中にいないわけがあるだろうか。…

 私が江戸時代に生きていたら、膝を打ったかも知れない。



 「北越雪譜」の雪中の虫の項には、雪の中の虫を虫眼鏡で観察して描いたという図も付いていて、2種類紹介されている。
 一つは、ブラシのような触覚を持っているので蛾の仲間に見える。もう一匹は、バッタのように見える。

 インターネットで雪の中の虫、雪虫を調べてみると、これまた2種類出てくる。
 一つは、フワフワの綿毛のような羽虫で、しろばんばとも言われるアブラムシの仲間だ。井上靖の「しろばんば」の冒頭に出てくるあの虫だが、初冬の雪の前触れだそうだ。牧之のいう雪虫は、雪解けの頃に出てくるとあるので別物だろう。絵との見た目も違う。
 もう一つは、セッケイカワゲラ。こちらはバッタのように見える絵ともよく似ているし、黒く、空を飛ばずに這い歩くという特徴も、牧之のいう雪虫と同じだ。雪解けの頃に現れるので春の季語になっているという。

虫眼鏡にて視たる所をここに図して物産家ぶつさんかの説をつ。

雪中の虫

 観察した図を示して詳しい人の説を待つ、という謙虚かつインテリらしいことばで、この項は締められる。

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