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古本屋になりたい:22 爪切り

 私の爪切りには名前があって、その名も「のびたらつめきりの助」という。「きったらやすりの助」という仲間がいたはずだが、いつの間にかいなくなってしまった。

 このあざとい名前は、私が付けたわけではない。
 住友銀行に「くまのバンクー」というキャラクターがいて、様々なグッズが作られていた。「のびたらつめきりの助」も、そのグッズの一つだった。

 調べてみると、「くまのバンクー」は1995年に初登場している。私が大学に入った年だ。1回生の時は実家から通ったもののあまりに遠く、2回生から一人暮らしを始めることになって、住友銀行からもらったグッズとして家にあった「のびたらつめきりの助」を、一人暮らしの部屋にもらって行くことにしたのだ。紺色のケースに入っていたのだが、これも失くしてしまった。

 この「のびたらつめきりの助」を、私はかれこれもう30年近く使っていることになる。
 先日、伸びた爪を切り終わりバネを元に戻そうとしたら、引っかかって途中で動かなくなって、少し焦った。根元が折れたら、修理は出来ない。壊れた爪切りを取っておく意味がないので、たとえ「のびたらつめきりの助」と言えどもおさらばすることになるだろう。
 想像しただけで、寂しくなってしまった。

 「のびたらつめきりの助」、そして「くまのバンクー」の生みの親は、クリエイティブデザイナーの佐藤雅彦である。

 思えばこの30年余りというもの、私のみならず日本中が、佐藤雅彦の息のかかったもの、とは言い方が良くないが、佐藤雅彦のアイデアの中で暮らしてきたようなものだ。
 私の記憶で一番古いのは、NECのCMに登場した「バザールでござーる」(1991年)だが、その少し後、サントリー「ピコー」のCMも手がけていたようだ。オレンジペコー(ピコー)の茶葉を使った缶の紅茶というのも新しかったが、外国の女の子が歌い踊るPeter piperが可愛らしくて、みんな真似したがった。クラスの誰かが歌詞をコピーしたものを配っていたのを思い出す。

 大学を卒業する直前の2月、就職が決まった会社の新入社員研修でアメリカに行った時(!景気の良い時代の終わりの残り火)、帰りの飛行機内の新聞で、吉川ひなのとイザムが結婚したこと、「だんご3兄弟」という曲が流行っているらしいことを知り、みんなで驚き、そして戸惑った。ほんの1週間日本を離れているうちに、なんだかとんでもないことが起きていて、浦島太郎になるってこんな感じ?とベタなことを思った。
 吉川ひなのとイザムは関係ないが、「だんご3兄弟」もまた佐藤雅彦の手の者だった。

 2002年、NHKで現在も続く「ピタゴラスイッチ」が始まる。
 今や、世の中の人はもう、小さな球が紙コップやらクリップやらの日用品が繋がる中を次々と流れていく、あの装置のことを、ピタゴラスイッチという名前だと思っているだろう。
 そういえば私は一時期、アルゴリズム行進の曲を、着メロにしていた。

 ドンタコス、ポリンキー、スコーン。湖池屋のCMも、佐藤雅彦だった。あの独特の絵や音楽、映像を見れば、次第に佐藤雅彦が関係している、と分かるようになってくる。

 そして現在。
 出勤前や寝る前に、何気なくNHKにチャンネルを合わせる習慣のある人は、「0655」や「2355」をついつい見てしまうのではないだろうか。

 1998年10月から2002年9月まで、毎日新聞で、「毎月新聞」という月一の連載があった。
 見出しと3段の記事、3コマまんが、ミニ余録。小さな新聞、新聞内新聞、毎日新聞の中の「毎月新聞」。
 佐藤雅彦の考え方が、新聞記事風のエッセイで手軽に読めた。

 創刊準備号の見出しは、「じゃないですか禁止令」だ。
 私(たち)って〜じゃないですか、という話し方を初めて聴いた時の違和感(憤り、と佐藤雅彦は書いている)、この言葉遣いがどんどん広まっていきそうな不安、そしてニュースキャスターまでが使うようになった現実。
 この創刊準備号だけを読むと、どこか年長者の若者への苦言のようにも見えるのだが、このあと、どの号でも佐藤雅彦は、私たちが何気なく使う言葉や習慣を、「何気なく」をやめて少し意識的に見てみることを勧めている。

 例えば、1月20日発行の第3号。
 年末の紅白歌合戦での和田アキ子の歌唱が良かった、と書き出し、熱弁の割に少し古い話題だと思われるだろう、とも書く。
 しかし、あの年の和田アキ子の歌唱は素晴らしかったね、と何年ものちのいつか、再び話題となり息を吹き返すこともあるだろう。たった20日前のことは古びて見えるのに、同じことが何年も経って思い出されて、新しい話題となるかもしれない。

 決めつけで面白みを失っていた世界が、パッと反転して一気に色づくような、新鮮なものの見方。

 だんご3兄弟のことも、記事にある。
 1999年2月17日発行の第4号。ミニ余録。「おかあさんといっしょ」から1月の歌を依頼されて「だんご3兄弟」を作詞した、それが今、幼稚園や小学生、大学生の間でも話題になっているらしい、とのこと。
 第5号。いつか「ブームになったら危険信号」をテーマに書こうと思っていたら、自分の手がけた「だんご3兄弟」が、ブームになってしまった。ブームとして消化されることは想定していなかった「だんご3兄弟」は、いずれ荒野に放り出されてしまうのか…。

 2002年3月20日発行の第41号には、「ピタゴラスイッチ」放送開始の予告もある。
 1990年代の後半から2000年代初め、見渡せばあちこちに、佐藤雅彦の手がけたものがあった。

 私が、なのか、私たちが、なのか、30年も触れていると、佐藤雅彦的なものにこちらもすっかり慣れて、あっこれは絶対佐藤雅彦だな、とわざわざ思わなくなっている。
 一時期ほどたくさん仕事をしていないかもしれないが、佐藤雅彦のものの見方は、色々な人に引き継がれて、日本の社会に馴染んでしまったのだろう。
 あれほどCMや、テレビ番組(ほとんどNHKだが、見ていた子供たちが次々と大人になって行っていると考えると、影響はかなり大きい)を手がけていたのだから、当然と言える。

 「毎月新聞」は書籍化されて、毎日新聞社から単行本として出版された。今は中公文庫に入っているようだ。
 iモードなど絶妙に懐かしい言葉も出てくるが、内容は全く古びていない。
 むしろ、当たり前を反転させるものの見方は、今の時代にこそ合っていると言えるかもしれない。

 人を変えるのは難しいが、自分の方が視点を変えるだけで、世界が違うように見えてくるということを、佐藤雅彦は教えてくれる。

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