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甥っ子姪っ子に読まれたいねん:1 「秋来ぬと」

 先日、二週に一度の買い出しの時、母(あなたたちのおばあちゃん)と、朝晩は涼しくなって来たという話をした。
 夜、さむっと目が覚めて布団をかぶったと母が言うので、そんなに寒い?と聞いたら、山からの風が冷たいという。

 わたしの住む団地と母の住む実家は、ほんの数分しか離れていない。わたしの部屋は四階、実家は二階建てだからそれほど差が出るとは思えないし、むしろ、四階の方が風が通って涼しいのでは、という気もする。
 ただ、窓の向きが団地と実家では違うので、風の入りやすさは違うのかもしれない。

 歳をとると気温に対して鈍くなるというから、まだまだ気をつけなあかんで、とこちらは心配する口調になる。
 あんたの方が心配や、といつものことを言われて、へいへい、とわたしは苦笑いをする。

 住之江すみのえの岸による波よるさへや
 夢の通ひ路 人目よくらむ

古今和歌集

 古今和歌集こきんわかしゅうに入っているけれど、百人一首で有名な歌だ。
 作ったのは藤原敏行ふじわらのとしゆき。あんまり古風ではない、隣のおじさんみたいな名前だ。
 住之江というのは、父(あなたたちのおじいちゃん)が子どもの頃住んでいたあたり。

 “よる”が、夜と恋人が寄るに掛かっているとか、夢の通ひ路とは、夢の中で恋人に会うための道だとかそういうもろもろは、学校の先生に聞いてほしい。
 
 藤原敏行が作った歌でもう一つ有名なものがある。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども
 風の音にぞおどろかれぬる

古今和歌集

 秋が来たと目にははっきり見えないけど、夏とは違う風の音に驚いたわ(ほんまに秋が来たんやなあ。)

 …意訳です。

 秋ぬ、だと、秋が来ない、になってしまうけれど、ここは、秋ぬ。
 完全に秋が来たで、という感じ。

 母が感じた、さむっ、も、歌人が詠めば後世に残る歌になるのだ。

 まだまだ暑い昼間を過ごした日の夜、寝室に入ると思いのほか暑くない。そういえば台風の後、日が落ちても続いていたもわっとした空気がなくなった。
 この歌が脳裏に浮かぶようになったら、どんな夏も必ず過ぎることを、毎年のように思う。

 テストの点にはならないけれど、大人になっても結構身近にあるから覚えておいたら毎日がちょっと楽しいかもしれないことを書きます。
 簡単にいうとお節介。

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