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古本屋になりたい:49 アナログ

3月の半ばだっただろうか。
あるミスの清算に、いつもは行かない方面の電車に乗り、知らない駅で降りて、知らない街を歩いた。
スマホに地図を呼び出して、その指示に従って素直に歩く。
途中から田んぼの真ん中を歩くことになっても、確かにその向こうに目的の場所はあるらしいので、やはり素直に歩く。

まだ田植えの始まっていない田んぼの中の道を突っ切って、高台にある公民館のような建物をぐるっと取り巻く坂道を上り、駐車場や小さな工場の脇を通って坂を降りると、少し広めの道路に出た。左に首を巡らせると、また急な坂が丘を巻くように続いていて、先は見通せないもののあの向こうが目的地だなと分かった。

右に顔を向けると、坂を下った先は田んぼに入る前に歩いていた幹線道路のようだ。田んぼの中を歩く必要はなかったんじゃないと思いながら、まあ帰り道はそっちにするか、と目的地に向かう。

バス会社の本社がなぜこんなバス停もない辺鄙なところにあるのか、ロビーの待合室で、定期券が切れているのに気づかず乗り降りしてしまったバス料金の清算のため、担当の方を待ちながらぼんやりと考えた。
定期券を有効期限外で使った場合、一回あたりの料金の二倍お支払いするのが、ルールだ。見せる方式の定期券の、期限切れに気づかないなんてことは絶対にない人間になりたい。

担当のおじさんはとても丁寧な方で、わざわざ来てくれてありがとうございます、みたいなことを言われた私は恐縮した。絶対いつかやる、やってしまう、と思っていたミスで、私には防ぐ方法がわからない。それでもこちらのミスであり、ルール違反には違いなく、それはもう大人しく支払いに行くしか方法はない。
なんでそんなところまで支払いに行かなきゃいけないんだ!とぶちぎれる人が居るんだろう。
中には数日ぐらいいいやんけ、的な確信犯もいるのかもしれない。
近くの営業所ではなく、駅から離れた、本来なら車で行くしかないような場所にある本社まで清算に来るというのも、一つのペナルティなのだろう。車がないからバスに乗ってるんだけどな、とはまあ思う。だから、歩くしかない。

帰りに数駅足を伸ばしてアウトレットに行ってみたが、何も買いたいものがなく、タリーズでコーヒーを飲んで帰って来た。
形のあるものを買う気分にならない時というのはあるものだ。

定期券の購入や更新なら、最寄りの営業所でもできる。
海の近くの駅の改札の脇に小さなブースがあり、昔ながらのやりとりで定期券を更新する。

アクリルガラスの向こうにおじさんが座っていて、こちら側の狭いカウンターで用紙に名前や会社や乗り降りする停留所を書き、小さく空いた窓から定期券と一緒に差し出す。継続でいいですか、というくぐもった声が、ガラスの真ん中に開いたたくさんの小さな穴から聞こえる。定期券をどこかに差し込み、そこだけは流石にパソコンで操作をして、日にちやなんかを書き換える。
コイントレーに代金を入れて渡し、お釣りがコイントレーに入って戻って来る。そのお釣りの硬貨は、ため銭から一枚一枚取り出される。

最新の機械を取り入れる必要もないほど、見せる方式の定期券を使っている人は少ないのだろう。
他の機能は持ち合わせない、バス定期券の購入と更新のためだけの場所である。

3ヶ月とか半年とか、まとめて定期を買っても良いのだけれど、人生何があるかわからないしな、と1ヶ月更新にしている。だから忘れそうになるのだし、実際忘れてしまったのだが、もう一つ、私がわざわざ毎月定期券の更新に海の近くの駅まで足を伸ばすのは(バスはあるのだが、大した距離でもないので歩いている)、駅前に本屋があるからだ。

つい先日、定期券を更新した私は商店街に向かった。
18時過ぎだが、だいぶ日が長くなっていてまだ辺りは明るい。商店街の中がすでに暗いのは、18時までの店も多いし、定休日の店もあるからだろう。
まだK書店は開いている時間だ、と近づいて行くと、シャッターが降りている。嫌な予感がして、店の前まで来た。小さな張り紙がしてあって、5/31で閉店したと書いてあった。

先月、定期の更新に来た時には、K書店に寄らなかった。その時にはもう、このシャッターは閉まっていて、この張り紙もしてあったのだ。
気づかないで、今月はK書店はいいか、どうせ買うものないしとそのまま帰ってしまっていた。

TwitterではないXを調べると、2月から閉店の告知はされていたらしい。

店内に私1人、ということも多かった。店員さんも黙ってカウンターの中にいるだけで、数年前に拡大されたマンガコーナーにも、お客の姿はほとんどなかった。
何も買わずに帰るのもな、と悩みに悩んで文庫か新書を一冊買って帰る。そんな買い方しかしていなかったし、そもそも月に一度すら行けていなかったのだから、閉店を惜しむのは筋違いだろうか。

海の近くの駅周辺には、歩いて行ける距離にもう本屋はない。一つ隣の駅に個人経営の古本屋が、反対方向に二駅の大型スーパーマーケットに中ぐらいの大きさの本屋があるだけだ。
古本屋はともかく、新刊を買うなら、都心へ出る方を選ぶ。それくらいの品揃えなのは、その辺りに住んでいたこともあるから分かっている。分かっていても、分かっているから、と言うべきか、行かなくなってしまえば、ここもそのうち閉店してしまうだろう。
国道沿いにK書店の系列店があるけれど、ここは私の行動範囲からは外れていて、もう何年も行っていない。

ここらへんの若い子たちは、とすっかり歳をとった私は考える。どこで本を買うのだろうか。
図書館でも、電子書籍でも良いのだ、確かに。若者の読書離れはウソ、という話も聞く。
とは言え、自分で紙の本を買う喜びや楽しみは、もはや若いうちに味わう必要がないものになっているのかもしれない。

都心の本屋は混んでいる。レジ待ちの列もできる。本を読む人はまだまだいる、と思わせてくれる。
本は都会で出会うものに、もうすでになっているのだ。

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