古本屋になりたい:33 雨の日と月曜日
父方の祖母が亡くなったあと、遺品の整理をしていたら、特別ご招待、第6回JRファミリー大バザール!と印刷された、薄い紙の封筒が出て来た。優待券でももらったのだろうか。
裏を返すと、祖母の字でメモ書きがあった。
“お父さんの姉の子供
宝塚の
(田中義一)”
封筒と中身は関係がなく、中には古い新聞の切り抜きが入っていた。
「タイガースよさらば」というコラムで、筆者は村山実。往年の阪神タイガースの名投手だ。背番号11は永久欠番となっている。
現役を退いた後は、1969年から1972年、1988年から1989年の二度、タイガースの監督を務めた。
この切り抜きが、いつのどの新聞のものなのか分からない。祖母が取っていたのは毎日新聞だったか。父の弟である叔父が持って来たスポーツ新聞の切り抜きかもしれない。
タイガースよさらば、というタイトルなので、現役を退いた後、二度の監督就任の狭間か、完全に引退した後か、と考えて良さそうだが、おばあちゃん、上を切らずに残してくれていれば、日付が分かったかもしれないのに。書籍化されていないかとWikipediaを当たってみたが、はっきりしたことは分からなかった。
コラムには、「ナニワ節」「病床の田中代表 大粒の涙が…」の見出しと共に、一人の人物の写真が載っている。キャプションには、“メモ用紙に「タイガースヘ、ハイレ」と書いた田中氏。これが村山に阪神入りを決心させた”とある。
昔のタイガース関係者の誰かが親戚らしい、と言う話を父から聞いたことはあったが、父は詳しく知らない様だった。祖母が元気なうちに聞いておけば良かったのだが、私はこの祖母のメモを見るまで、父からそんな話を聞いたことを忘れていた。
球団代表の田中さんという人が、どうやら親戚らしい。祖母のメモ書きによれば、祖母の父の姉の子どもが、田中義一阪神タイガース球団代表、ということになる。遠すぎて全くピンと来ない。
詳しい方にはよく知られた話なのだと思う。
関西大学の学生だった村山実を、当時の大阪タイガースにスカウトしたのが、田中義一である。同じ関西大学出身ということで、その役目を引き受けたのだろう、と村山は書いている。
肩を壊して、他球団がスカウトの手を緩めても、田中義一は医者を紹介するなど変わらず村山と関わり続けた。
しばらくして、田中は脳出血で倒れた。見舞いに来た村山に、病床でもタイガース入りを熱心に誘ったというのが、コラムの見出しと写真のキャプションに見えるエピソードだ。
村山実が、タイガースへの入団を決めて契約を交わした日が、昭和33年11月11日。その日に選んだ背番号が11。
“ナニワ節村山実”の阪神入りの一席というところでしょうか、という言葉でコラムは締められている。
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大阪市内の祖母の家に行くのは、土曜か日曜だった。早くに亡くなった祖父の月命日に近い週末だ。
お寺さんが来る時間より早めに祖母の家に着くと、たいてい祖母は阪神戦の野球中継を観ていた。土日だからデーゲームだったのだ。
お盆の頃なら高校野球、冬はラグビーかアメフトを観ていた。
スポーツ観戦を継続して楽しむには、ある程度目が慣れることが必要だ。選手のプレーに対して祖母があれこれ言うことはなかったけれど、時々、あーっとか、アウトや、とか呟いていた。
祖母の家に来ると父は息子に戻ってしまうのか、お寺さんが来るまで畳にゴロンと横になって肘を突いて寝てしまいほとんど野球中継は観ていなかったのも、野球好きなはずの父の見慣れない姿として記憶に残っている。
母方の祖母の家では、遊びに行くと、同居していた独身の伯父が競馬中継を観ていることが多かった。祖母がテレビを観ていた絵は思い浮かばない。
明治の終わりや大正生まれの一般的なおばあちゃんは、野球やスポーツを観るのが好きというイメージがあまりない。
父方の祖母が野球中継を観ている姿は何度も見たのに、毎回少し珍しいものを見た気がしたのを、今でも思い出す。
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祖母が野球を見慣れていたのは、そもそも日本のプロ野球創成期から野球に馴染みがあったからだったのかと、村山実のコラムの切り抜きを読んでようやく分かった気がした。
村山をタイガースに導いた田中義一球団代表は、もともと兵庫県宝塚で、宝塚駅と清荒神を繋ぐ宝清バスというバス会社を経営していた。
1920年代後半、日本では学生スポーツだった野球を、職業野球として盛り上げようと、関東で正力松太郎が奔走したことはよく知られている。関西でもその機運が高まり、阪急電鉄と阪神電鉄が中心となって動き出した。この時に、阪神電鉄グループ傘下になっていた宝塚のバス会社社長であった田中義一が駆り出されたのだ。
父は幼い頃、宝塚にある神社に養子としてもらわれそうになったことがあるらしい。長男やのに、と父は笑っていたが、お坊ちゃん暮らしができていたかもしれない。
境内を走り回ってこっぴどく怒られたことがあるので、養子になるなんて絶対いや、と当時は思ったそうだ。
祖母も父も大阪で生まれ育っているが、曽祖父まで遡ると宝塚にゆかりがあるようだ。今となれば、祖母に詳しい話を聞いておかなかったことが悔やまれる。
三代続くと江戸っ子だという。
我が家は三代続くタイガースファンだが、曽祖父も、甥っ子が創設に関わった当時の大阪タイガースのファンだったとすれば、四代目ということになる。
田中義一の名前は、球団代表として、村山実の球団入りの他、藤村富美男排斥事件などでもちらほら登場する。
祖母が残した切り抜きを見るまで名前も知らなかったけれど、写真を見る限り、父や叔父によく似ている。短髪の白髪に少し面長の顔、度の強そうな眼鏡をかけて、少し歯が出ているように見える。
遠い親戚だと思っていたのに、急に身近に感じられるようになった。
もっとも、昔のおじさんはみんなこんな風貌だった気もする。
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雨の日と月曜日は…、と歌ったのはカーペンターズだが、あぁ月曜日か、野球ないなと思うのはセ・リーグのチームのファンだ。
セ・リーグの球団本拠地で野球場がドーム型なのは、ジャイアンツとドラゴンズの2球団だけだ。天気が悪いと今日野球あるかな、と天気予報を気にするのもセ・リーグっぽい。
私は球場に通うほど熱心なファンではないけれど、少なくとも関西に住んでいれば、地上波の野球中継は毎日の様にある。
雨の日と月曜日以外は。
タイガースの試合の観客動員数が多いのは、人気球団だから、今年強いから、ということはもちろんなのだが、何より、今も地上波の野球中継が継続して行われていて、生活の中に阪神タイガースが息づいているからでもある。
オリックスも応援してるんよ、ほんまに。
南海やったホークスのことも気にしてるって。嘘ちゃうで。
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あまり本に関する話にならなかったので、一つおすすめの本をご紹介。
父に貸したところ、知っている話ばかりとのことではあったが、やはりアメリカ人社会人類学者が書いているということが面白い。
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ちなみに、切り抜きの裏はこんな感じ。
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