ワンダラーの秘密 (1)

少しだけ震災の描写があります


ワンダラーには、AからZまでと比喩される、多岐にわたるお役目があるそうで、それはワンダラーの一人ひとりが何かしらの部分を担っているということを意味しています。

みなさんはご自分のお役目をご存知ですか?

ちなみにわたしは門、あるいは門番として、日々の暮らしを生きています。

実はわたし自身、自分がワンダラーなんだと認識したのは、ごく最近のことなのです。
ここ何年かの話なのです。

人に指摘されて初めて知った言葉であり、概念でした。

なのでわたしはまったくの新参者であり、目覚めの遅れたワンダラーであり、もうちょっとで塩漬けのりんごのまま、今回も痛恨の道を歩んでいたかもしれなかったギリギリのヤツなのです。

ま…今となって振り返れば、
決してそんなことはないですね。

情報は伏せられるべくして伏せられ、地道に体験と経験を重ね、今回こそは間違いなく確実に目覚めるよう、万全の体制が敷かれていたのだろうと思います。

門番という仕事も、はじめから散りばめられていたピースを拾い集めて、違う並べ方をしてみる…というアナグラムのような、それでいて、もっともシンプルな一幅の掛軸のような明快さで、今までもずっとそこにあったかのような親しみをもって開示されたという、そういう経緯で呈示されたものです。こういう曖昧な表現はどうかと思いますが、ワンダラーの方には通じるかなと思います。

1994年頃からノートにはあれこれと書いてありましたが、それがあると死ぬに死ねないと思い、最近まとめて処分したので大変ホッとしたところです。

それまでのわたしは、
何年も何年も境界線を歩き続け、
ある時は崖から落ちてみたり、
そのまま奈落の底を彷徨ってみたり、
いつまでも泥沼で夜を明かしてみたり、
自分で狭い穴ぐらに首を突っ込んでは、
暗い暗い!と文句を言ってみたりしました。
毒の淵に脚を突っ込んでは
痛い痛い!と言ってみたりもしました。

そうして、おおかた、
人間でいることに耐えられなくなった頃
東日本大震災があったのです。

まるで映画のワンシーンのように、
映像が、音が、脳裏に焼き付いています。
そして、破壊の臭いと、芯まで凍てつく寒さが身体に刻まれました。

ささやかな日々の暮らしが、
そこに在った地の営みが、
遠くからやってきた
暴力的とも言える圧倒的なエネルギーで
なぎ倒され、へし折られ、巻き込まれ、
そして、どこまで押し遣られていったのか、
それらはとても言葉にはできません。

爆撃を受けたかのような更地になった、
泥水で覆われた一面に追討ちを掛けるような
その直後の凍える吹雪も、
翌日の澄み渡る青空も、
到底、現実とは思えないシュールさで展開されました。

そして、過ぎ去った日々の暮らしがあった場所には、当然のような顔をして、日常であったものの別の姿が立ちはだかり、跡形もなくなった営みの抜け殻が居座りました。

わたしが生き方を完全に変えたのは、
やはり、この体験に拠るところが大きいです。

それは、明日が当たり前に来るなんていうことは幻想にすぎない、という実体験に基づく信念に近い確信です。

今日、今この時を生きるしかないんだ、という現実でした。

今日しかない、というその思いで生きてきて、10年以上が経ちました。

その10年の中に、ワンダラーとしての目覚めの瞬間が、ある意味、現実の瓦解がありました。












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