自らをもって由とする

2023.5.8


何かを為し 何かを成すこと
何も為さず 何も成さなかったこと

これらは経験である

経験によって生み出された
満足感
挫折感
喪失感

それらは体験であり
己の『見た景色』の数々である

経験による体験も
見た景色によって影響を受けた価値観も
己を構成する一つひとつへ反映され浸透するが
「己そのもの」ではないし
過去への執着を引き起こしているものも
「己そのもの」ではない

「心」や「感情」は己へ直接繋がっている
神経のひとつではあるが
それでも「己そのもの」ではないということ

すべての経験や出来事は
「己」がこの世界を知るために開けた
一つひとつの扉であり 
目にした景色なのだ

肉体を含め この世の一切合切は
「己」がこの世界を通して
自分自身へ情報をフィードバックさせる
一連の「経験」であり
実体でもなければ絶対でもない

過去の感傷や経験
得たもの失ったもの
それらは「己」を知るため
拡大するために投影された体験であって
「己そのもの」ではないのだ

ということを知ることから
やっと歩き始められる

肝心なことは それらの体験から得た
ものごとの「一側面」から見た景色や感情に
留まることではなく
それらの景色を『見てきた』「心」が
どのように『今 己自身に』
視野の広さ 視点の高さ 認識の多様さを
もたらしているかという点なのだ

経験と体験によって己が限定されることは
本来 本末転倒なことであって
様々な体験や感情を知ることで
人は自由になっていくべきなのだ

「自らに由る」選択をすることができるのは
心が自由な人のみだからだ

自由であること その意味を知るために
敢えて人は限定された認識の中で体験をする

それを 思い出すことだ





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