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薬学博士への道①

高校時代の私は、率直に言うと成績はとても悪く、常に下から数える方が早いという状況に置かれていました。

それなのに、自らの将来に対する決断として、薬学部を志したのは消去法が支配的な要素でした。数学や物理学においては、私の理解度は絶望的であり、しかし化学に対しては未だに少しの興味を抱いていたこと。また、白衣をまとった科学者の姿に対する憧れや、薬学という響きの持つカッコよさも、進路選択の一因でした。
しかしながら、国立大学に進学する成績は私には及ばず、やむなく偏差値50程度の大学に合格しました。親も、その大学での進学をぎりぎりのラインで許してくれました。自己評価では下位での合格だったと自覚しており、高い学費を払い通わせてくれたことには今でも感謝をしてもしきれない思いです。
この時は私が博士課程に進学するなどという可能性は、私にはまったく想像できないことでした。
ギリギリで合格した私がギリギリ薬剤師になるという将来に対する不安が、徐々に心に忍び寄ってきました。そこで、自らの人生において何を成し遂げたいのかを真剣に考えるようになりました。この自問は、幸運なことに私の人生を大きく変える契機となりました。

薬剤師としての将来のありたい姿を描いているうちに、私は有機化学の重要性に気付きました。有機化学に強い薬剤師が、医療関係者や患者からより多くの信頼を勝ち得ることができると頭が悪いなりに出した結論でした。そのため、決して得意ではない分野である有機化学の勉強に力をいれました。

意外ではありますが、薬学部の勉強は私にとってそこまで苦ではありませんでした。数学や物理学の要素は少なくはありませんでしたが、その比率は比較的低かったため、私にとっては良い点でした。ある意味、鶏口牛後の状況に置かれたとも言えます。もし国立大学や上位の私立大学に進学していたら、私は落ちこぼれていたかもしれません。

5年生に進級し、実習を終えると、私にとっては本格的に進路を考える時期が訪れました。病院や薬局の臨床現場を経験し、将来の方向性を模索する中で、どちらを選択するかについてはっきりとした決定打は見つかりませんでした。

薬学部の卒業後には製薬企業やCRO(Contract Research Organization)といった医薬品メーカーでの勤務や、さらなる学びの場である進学という選択肢も私の前に広がっていました。この時期は、私の人生において重要な岐路でした。
お金の話になりますが、薬学部卒業後の給与水準について、当時の一般的な認識は次のようでした。製薬企業が一番給料が高く、次いで薬局、そして病院という順番でした。
製薬会社のMR(医薬品営業担当)は高給与で知られていますが、激務であることが一般的な認識でした。自分には営業職が向いていないと、アルバイトを通じてその実感を得たことから、MRの職種は私の選択肢から外れました。また、有名な大手製薬企業の研究職や開発職は、国立大学や上位私立大学出身者でも入りにくいとされており、私がそのような企業に入社できるというイメージはありませんでした。
私立薬学部の卒業生は、主に病院や薬局、MRなどの職種に進む傾向があります。

私にとって、病院も薬局もどちらも嫌ではありませんでした。しかし、ある日研究室(有機化学の研究室に所属していました)の教授から「進学する気はあるのか」と問われた際、直感的に「はい」と答えました。進学して博士号を取得し、企業での研究活動に挑むという、一見無謀とも思える挑戦をすることを決意したのです。また、夢破れても資格があれば薬剤師として生計を立てられるという安易な思惑もあったからでした(薬剤師の強みでもあります)。
この進学への直感は、私の家族背景に根ざしています。父が大学教授であり、母は博士進学を希望しながら叶わなかった経験を持っています。家族全体が博士進学に対する抵抗感を持たない環境が、私に博士進学を決意させる要因となりました。教授が、私の進学のために他大学の先生との繋がりを使ってくれたことは大きな支えでした。

この先の道は決して平坦ではないことを理解しながら、私は薬学博士への道を歩み始めるのでした。

余談ですが入学当初、下位だった私の成績ですが卒業までの数年間、一生懸命勉強し、努力を重ねてきました。その成果として、卒業時には成績が一番ではありませんが、上位に位置していたと思います。幸運なことに、私の努力は報われ、国家試験にも合格することができました。その結果、薬剤師資格を取得することができました。

国家試験の合格は、私の進路における最初の大きな障害を乗り越える重要なステップでした。その合格があったからこそ、私は博士課程進学への夢を追い求めることができたのです。

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