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ヨーロッパ絵画を、支援者・スポンサーの観点から見る

私は、ヨーロッパの絵画が好きです。特に、17世紀から21世記にかけての名画が好きです。そこで、絵画の歴史を支えた「支援者・スポンサーの観点」から整理してみます。
魅力的な作品の背後に、財力を持った支援者がいますからね。
   
 (1)17~18世紀: 王侯貴族がスポンサーの時代
17世紀~18世紀の絵画の主流は、「肖像画」でした。
肖像画のモデルは、スポンサーの王侯・貴族が多かったです。
派手にカッコよく、かなり修正を加えて描いている“作品”が多いです。
写真」がない時代ですから、絵画で『お見合い』をしたり、縁談を進めたり、お城の中を飾ったりしたのです。
その他、タピストリー・織物が豪華でした。

タピストリー(織物)

画家は職人でしたから「宮廷画家」になることが最高目標でした。
宮廷音楽家もお抱え職人でしたね。独立した「芸術家」ではなかったです。
しかし、宗教改革の影響で、ローマ教会は神の栄光を讃える「バロック様式」を推奨しました。神の栄光を感じさせるための仕掛けです。ゴテゴテした様式から、やがて洗練された「ロココ式」に発展します。

ロココ式宮殿

<チョット寄り道> 日本のお抱え絵師

日本の典型的な「お抱え絵師」軍団は「狩野派」です。
躍動する絵画の生命力とは程遠く、御殿や寺院の障壁画を、流派の作法(粉本)にそって描くのが勤めでした。お手本に従って描いたのです。個性を出してはいけません。しかし、時に狩野探幽のような天才も輩出しました。

狩野派の絵画

勿論、名画も生まれましたが、在野で腕も磨いた伊藤若冲・葛飾北斎のような躍動感あふれる絵画を生み出すことはありませんでした。逆に大衆に人気があった「浮世絵」に、魅力的な作品がたくさん生まれました。

工房をつくり、顧客の注文を受けて制作した画家

この時代の代表的な画家は、ルーベンス・ファンダイク・ベラスケス・グレコなどです。 
グレコは、ギリシャ人ですが,スペインで活躍した画家です。工房で、職人が注文にそって描いたので、どれがグレコのオリジナルか、区別がつきにくいです。

エルグレコ     

(2) 19世紀: 市民階級がスポンサーになった

19世紀の絵画のスポンサーは市民階級でした。
社会の主導権を握った新興の市民階級(ブルジョワジー)は、王侯・貴族たちの趣味から脱却して、教養がなくても分かり易い絵画を求めました。

新しいスポンサーの土壌が生まれたのです。
画家自身も、自由に発想し、主体的に画材を選んで作品(商品)にしたのです。例えば、オランダの海洋貿易で財を成した新興市民階級は、「海洋風景」「静物」「街の暮らし」を描く絵画を好みました。色とりどりの絵画が生まれたのです。    

オランダの風景画

自然主義」・・・市民・農民の生活に即した絵画も好まれました。
ミレーの「晩鐘」「種まく人」などが典型です。この画材は、「王侯・貴族階級の趣味ではありませんね。日々の生活をスケッチして描いたのです。
旧来のスポンサーの貴族は狩猟に行って射止めた動物などを描かせました。

ミレーが描く農民        

印象派」・・・日本にも人気があるピサロ・マネ・モネ・ルノワールなどが沢山作品を描きました。絵画で商売が成立したので「画商」が活躍した時代が来たのです。買い付けたり、売ったり、紹介したりする仕事です。

また、娼婦をモデルにしたということで議論になったマネ「草の上の昼食」など、画材も素材も大きく変化しました。まさにプルジョワ趣味ですね。

マネ:草の上の昼食

<チョット寄り道> アカデミックの絵画
新しい作風は、常に「軋轢」をおこしました。「生き残ってきた作品」は、時代の潮流に乗ったものです。(顧客(商売)がついた作品です)

アングル:アカデミック絵画

官制の展覧会は、スポンサーが政治・行政に近いところにありますから、斬新な作品に対しては厳しい評価をくだします。
特に伝統を重んじる評論家・作家のアルベール・ウルフらは、自分の「権威」が犯されますから、手厳しかったようです。
アカデミックの絵画からすれば、印象派の絵画は邪道です。

印象派は、「軋轢」の中から生まれた
アカデミックの展覧会から追放された画家たちは新しい展覧会を開きます。モネの「印象:日の出」から「印象派」という名称が生まれました。

モネ「印象・日の出」

写実主義」・・・日本に人気がある「睡蓮」は、モネの「日本式の庭園」から排出されたものが多かったといいますね。
ヨーロッパの「l幾何学的な庭園」の美とは、全く異質な美の世界ですからね。いつか、庭園の比較を書いてみますけど、中国式とも違うのですね。

モネ「睡蓮」

後期印象派」・・・ドガはバレーダンサーの支度部屋からの作品が多いです。ゴーギャン・ゴッホの作品は、画家が生きていた時は、あまり売れなかったそうです。ゴッホの弟の画商テロの活躍が有名ですね。

ドガ:踊り子

(3)19世紀後半~20世紀: 油絵から、デザイン絵画へ

19世紀後半~20世紀にかけて、スポンサーの要求以上に「画家の自己主張」が強くなります。だから、一定の潮流とか、統一性を決めきれないです。

アールヌーヴォー」・・・芸術の新しい波。ガレのガラス絵などです。

ウイーンを中心とした世紀末の美」・・・クリムト・シーレは独特です。

シュールリアリズム」・・・ダリを代表とする超現実主義です。

アールヌーボーの作品

 装飾化された油絵は建築物の壁画になったり、上流市民の邸宅の装飾になったりしました。

クルムト

フォーリズム」(野獣派)・・・マティスやドランは、原色を多用し激しい色彩を特色とした強烈な作品を描きました。

マティス

キュビズム」・・・ピカソ・ブラックの多角的な焦点から描く手法が特徴  です。自分の感性・観たもの・主張を絵画で表現するのです。
ここにはスポンサー・支援者への気遣いはありません。受け入れるか、受け入れないかについて画家は責任を持たないのです。 

ピカソ

<チョット寄り道> ルネッサンス以前のスポンサー
ヨーロッパ中世絵画・建築のスポンサーは、教会・王侯・貴族ですね。
教会は、神の栄光を絵画や建築で表現するために投資し、巨大な教会建築をつくり教会を飾りました。ステンドグラスもこの中で発展しました。
敬虔な修道院の中にも、宗教画が描かれました。祈祷書の中にも、優れた作品が残っています。

ペリーの祈祷書

王侯貴族の中で、ブルボン家・ハプスブルグ家などは権力を誇示するために、華麗な絵画を描かせました。有力な貴族の館も、家系図にそった肖像画などで絢爛豪華になりました。

(4)20~21世紀: 企業がスポンサーになり、印刷技術が発達

20世紀から21世紀にかけて、猛烈なスピードで印刷技術・写真が発展し、絵画との間にあった「壁」を打ち破っていきます。

印刷技術の発展が、「1点ものの油絵」から「多様な美術品」を生み出しました。版画・複製画・写真は、瞬く間に「市民の生活の一部」になったのです。「絵画の価値」が、急速に経済力を持った市民の間に普及していったからです。

アンディ・ウオーホル

アンディ・ウオーホルはアメリカの画家です。彼が「現代アート」に与えた影響は計り知れなく、現代のCM・NFTアートに通じる道を開いています。

(5)まとめ:王侯・貴族から、市民階級。そして、大衆社会へ

振り返ると、ルネッサンス期にドイツの画家デューラーが、「木版画・銅版画」の作品をつくり、「油絵とは異なる印刷の美」の世界を切り拓きました。「エッチング」に繋がる作品を生み出し、大量生産が可能になりましたね。時の流れと共に、絵画の親しみ方が変化していったのです。 

エッチング

私の書斎にも、ギリシャから購入してきた写真・中国の莫高窟の天女の複製品などが飾ってあります。「大衆社会の到来」とともに、絵画市場が確立し、絵画を売買し、評価する位置も変わりました。大量生産が可能になり、商品になりました。私の書斎は「複製画」「写真」の美術館です。

現代絵画:ミロ

先日、いわゆる「金持ちの家」に遊びに行きました。玄関に入ると、いたるところに絵画が飾られていました。観賞用ではないから「おかれていた」のが正しいです。決して、成金の悪趣味ではないのです。彼の資産なのです。

写真芸術

彼は、大変な教養人ですから、審美眼も確かです。オークションに行って、気に入った作品を購入しているのです。「好きな作品を買っているうちに、沢山たまってしまった」と笑っていました。
収集家ですから「絵画を買う目」は、美術館でみる眼より鋭いのです。
私は、彼の確かな眼力が好きです。これも、絵画の愉しみ形の一つです。


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