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名画。愉しむ。そのヒント・・・

AIが人間を凌駕しようとする時代です。
人間が、人間であった時代」を忘れないように
人間らしさを示す絵画について、背景と人間を書いてみます・・・。

人は「なぜ絵を描くのでしょうか?」
私はその理由を、次の「3点」から考えています

一つ目は、「生きるため」です。
アフリカに伝わる「岩絵」には「狩猟」に繋がる絵が描かれています。
近世の「職業画家」は、生活の糧を得るために描く。売れる絵画です。

アフリカの岩絵

二つ目は、自然や神に対する敬虔な心情です
宗教画を見るまでもなく、いかなる民族も信仰に繋がる絵を描いています。霊魂を鎮めるために描くのです。

三つ目は、人間は絵を描くことが好きだからです
自己表現の一つとして本能的に描くことを愉しんでいます。他の動物は描きません。人間は、自分自身のために描くのです。

(1) ルネサンスの巨匠たちの作品
では、宗教から人間を解放した「ルネサンス期」から入るとしよう。
ルネサンス期の巨人、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェッリは「実に人間臭い」ですね。
女性だけでなく、男性を愛したり、自由です。「臭さ」さえ描く対象です。
勿論、世俗にたけたスポンサーのメジチ家-教皇などの存在も忘れることができません。天才たちも、それぞれ奔放で個性的です。

中でも、ダ・ビンチは、万能の天才で、絵画はその中の1つにすぎませんでした。自分自身を、ミラノ公国などに売り込む意図をもっていました。天才といっても、かなり人間臭かったです。人体を解剖したり・・・ね。!!

人体図

ミケランジェロは、自分は彫刻家だといっています。
彼の「ピエタの聖母マリア」は若すぎると思います。恋人ですよね。(笑)
実物はもっと若い。バチカンの「システィナ礼拝堂」に行けば、ミケランジェロの驚嘆する才能に出会うことができます。礼拝堂の天井が高いですね。絵はよく見えません。(笑)見えないのに感動するのですか?

ピエタ

ラファエロは37歳で亡くなりましたが、工房をもち、最大50人のスタッフに仕事を分担させて利益を得ていたようです。彼の自作か否かは判定が難しいそうです。「顧客の要望に応えて工房の職人が描いた」のです。
当時はすでに「工房での制作」は普通でした。顧客は富裕層の王侯貴族・上級市民などです。この面でも天才の幅は広いです。

聖母

ルネッサンス期の「素材はキリスト教」にまつわるものですが、作品に表現されたものは「古代ギリシャ・ローマ」で現世的・快楽的・肉体的・肉感的です。禁欲的でも宗教的でないです。極めて人間らしいです。

ボッティチェッリ

ラファエロの「アテネの学堂」で描かれたギリシャの哲人たちは、まさにキリスト教の枠を超えた人物たちでした。聖人像ではありません。  

 <チョット寄り道> 絵画を定着するための接着剤
15世紀初めに油彩技法が発達することで、色彩の可能性は無限に広がります。それまでの絵画は、「フレスコ画」や「卵テンペラ」で描かれていました。つまり、鉱物などを砕いた顔料は「粉末」のため、それだけでは定着しないので、固定させるには、何か接着剤になるものが必要になるのです。

フレスコ画 …
石灰に砂や大理石の粉を混ぜて漆喰を壁に塗り、その漆喰が乾かないうちに粉末の顔料を水で溶いた絵具で絵を描くという技法です。漆喰が乾くことで硬い結晶質の壁面が出来、その壁自体に色彩が定着する方法です。

フラスコ画

卵テンペラ・・・ダ・ヴィンチは、乾いた漆喰の上にテンペラと油彩の混合技法で「最後の晩餐」を描きました。この技法は粉末の顔料を水で練り、卵に混ぜて描くものです。
絵具が乾いて卵のタンパク質が固まると、ビロードのような軟らかい光沢と貝殻のように固い絵肌が生まれ定着させていく技法です。
卵テンペラ絵具は乾くと縮んでヒビが入りやすいので、絵具を厚塗りして絵肌に変化をつけることは不可能でした。

(2)政治的な意図をもって描かれた作品

政治的な意図・宣伝・啓発・告発に「絵画が使われた作品」があります。
これは「芸術ではない」という人もいます。が、私は、ひとつのジャンルだと思います。写真がない時代ですからね。

「自由の女神」は、ドラクロワが「フランス革命の精神」を表現した作品で人々に大きな影響を与えました。女神が旗を振るなんてありませんよね。

自由を導く女神:ドラクロア

「サン=ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルトは「英雄のイメージ」を流布するために、ダヴィドの工房で描かせました。
400人近い弟子たちを抱えた工房で、ナポレオンの肖像画が沢山描かれ、英雄的なイメージの形成に一役買いました。いわゆる絵画ではないですね。
カッコよく馬でアルプスを越えるなんてありえないです。(笑い)

ナポレオン

ナポレオンは自分を崇めさせるために「政治宣伝」に絵画を使ったのです。

スペインのゴヤは、自由の精神を体現したナポレオンを尊敬し、圧政に苦しむスペインの民衆の解放を期待したのに、実際は「フランスの侵略者」にすぎなかったので、怒って「マドリッド1808年5月3日」を描いて告発しています。これも写実ではありません。

18085月3日:ゴヤ

<チョット寄り道> 生成AIにより「フェイク画像」多数登場

最近、生成Aにより「そっくりさん」の画像が流される事件がありました。
政治的な利用で「混乱を引き起こす」ためのプロパガンダです。

フェイク画像

画像だけでなく、音声・アナウンスの声まで偽造できることがわかったので、混乱はますます大きくなるでしょう。深刻な社会問題です。
政治的な意図をもっているという点で絵画と同じです。

(3) ルネサンスの美(再生)が顕すもの
ルネサンスとは「再生」という意味です。
キリスト教の「現世否定の美」から、「現世的肉体的な美」の再生・復活です。ギリシャ・ローマの絵画は残っていませんから、作品は「彫刻」です。海や山から、掘り出したものだからです。 

ラオコーン

作者不詳ですが、魅力的ですね。ミケランジェロが彫刻で目指していたものは、この肉感的な美であったと思います。比較するとそっくりですね。
ここには、肉体美を否定したキリスト像はありません。    

ダビデ    

<チョット寄り道> 中國の顔料
むかし、上海の骨董屋で、絵画を購入したことがあります。
水郷と水牛が描かれていて、とても気に行ったので、思い切って買ったのです。といっても、汚く狭い骨董屋です。値打ちなんてわかりません。(笑)
「鑑定団」に出したら、二束三文でしょう!(笑)
現在の上海では、とても、とても想像できない汚い店です。いい味でした。

中国の古典的な桃の花

中国画の顔料は、自然の鉱物や植物から作られたものです。
私たちは「墨絵」に慣れていますが、非常に豊かな色彩をもっています。
すりつぶして粉末にしたリ、水で溶かしたり、にかわなどを接着に使ったり。。。
時々、購入してきた絵画を、床の間にも飾りますが、独特の美しさです。
朱砂(しゅさ)は赤。青金石は深い青。雄黄(雄王)は黄色です。
植物の黄檗(おうばく)からも黄色を取ります。

数年後、私は、床の間がないマンションに引っ越しをする予定なので「捨てようか?」と迷っています。(苦笑)
「桃色」「緑色」など、ヨーロッパ絵画にはない色彩で、私はスキです。

(4) 市民階級の台頭を象徴する作品

夜警」という絵画はレンブラントの作品です。
市民たちが、街の夜警に集まっている絵画です。
出資者が集団で絵画に描いてもらおうとしたのですが、レンブラントは、中央に光を集めて、他の人は背景にして描いたので、出資者が怒っちゃったという作品です。経済力を持った上級市民の動きです。レンブラントは、「光の画家」といわれますが、光を有効に使った新しい手法で描いています。  

夜警

また、これまでの絵画には登場しなかった「市民」や「農民」の生活が画材として登場してきます。この画材なら、王侯・貴族は買いませんね。(笑)            

農民

<チョット寄り道> カスティリオーネが油絵で描いた乾隆帝

イエズス会の宣教師たちは、赴任地に信頼されるために、さまざま知識と技術をマスターしていました。
薬学・土木・法学などの他に、プロなみの絵画の技術も習得していました。
中国に行った宣教師のカスティリオーネは、油絵を描くことができました。彼が描いた乾隆帝の肖像画は、現在も威圧感を持っています。

乾隆帝(油絵)

(5) ウイーンを中心とした世紀末の美 19世紀末期

ウイーンを中心とした美術界は、古典的な時代から、耽美的な新しい流れを生みだしました。ウイーンのスポンサーは「金持ちのユダヤ人」が多かったのです。画家を志したことがあるヒトラーが狙い、略奪しましたね。 

シーレ:自画像

クリムトは、油絵でなく、デザイン化した金箔作品が多く、官能的で魅惑的な作品をたくさん創作しました。

エゴン・シーレは、自虐的な作品が多かったですが、独特の世界観で「人間の内面」をえぐる絵画を描きました。

叫び・ムンク

ノルウエーのムンクは、1890年代は「世紀末芸術の時代」ともいわれ、
自然と人間の深いかかわりを表現し、「叫び」のような作品を通して、人間の繊細な感性・不安を描きました。

<チョット寄り道> 画家とモデルの関係
長期間、モデルを務めていた貴婦人と、画家との間には、微妙な男女の関係
が生まれます。クルムトは、生涯独身ですが、沢山の裸婦モデルを抱え、14人の子供がいたともいわれます。
豪華で官能的な絵画は、装飾的すぎるという意見もありますが、実体験が豊富だからでしょう。現在も人気があります。よくみると裸体ですよ。(笑)

クルムト

(6) ロダンの「人間臭い彫刻」

上野の西洋美術館の入り口に、ロダンの地獄門の彫刻があります。
また、静岡県立美術館には「ロダン館」があります。人間臭い彫刻です。

近代彫刻はロダンから飛躍的に広がりました。市民は、絵画だけでなく、彫刻にも関心を寄せました。近代彫刻の始まりです。

カレーの市民

 「カレーの市民」という作品は、百年戦争でイギリスに敗北したカレー市を救済するために、犠牲になった6人の像を表現した作品です。
カレー市は「英雄的自己犠牲」を献じた6人像を製作することをロダンに依頼したのですが、作家は「自己主張を貫く作品」を造りました。

つまり、企画者は「意気軒高とした勇者の像」を期待したのに、ロダンが製作した作品は、悩み・苦しむ人間像だったのです。
市民たちは怒ってしまい受け取りを拒否したという逸話が残されています。

私は、カレーの市庁舎の前に立ってみて、企画者の意図と、ロダンが制作した作品との間に乖離を感じました。こうした食い違いは多々あるものです。
美術館でみる作品の印象とは、全く違うのです。

日本の高村光雲はロダンの影響を受けた作品をたくさん残しています。

老猿

絵画への関わり方・・・

名画と言わず、市井の人が描く「絵画への関わり方」を分類すると、大きく4つに分かれます。

(1)純粋に絵画を愛し、鑑賞することを旨とする人
私を含めて、絵画を愛し、鑑賞することを愉しんでいる人たちです。
絵画に対する知識も「ある程度」持っていて、展覧会を愉しみにする人です。有名な作品に群がりますね。(笑い)

(2)絵画で利益を得ようとする人
絵画も「商品」ですから、欲しい人もいれば、売りたい人もいます。
この仲介を職業とするのが「画商」です。最近は、個人ではなく企業活動になっていますね。デパートや店舗で、絵画を展示し、販売したり、紹介する人たちです。画材の販売もこの中に入ります。
素人でも「絵具代は欲しい」というのが正直なところですからね。(笑い)

(3)ひたすら描くことにのめり込む人
絵を描くことが好きで、満足できる作品を描きたいと邁進する人です。
一つの快楽主義です。ストイックな努力をするスポーツと同じです。描くことに集中することであまり損得を考えない人です。孤独な画家が多いですね。素人画家は、作品が貯まって困るという声を聞きます。(笑)

(4)絵画を描くことで、名声をえたり、名誉を求める人
社会的に有名になったり、賞を獲得することを目指して描いている人です。
目標を持つことには賛成ですが、絵画を描く「才能を踏み台」にして、有名人にステップアップを図ろうとしているもいました。
小説家が分かり易いですね。「OO賞作家」とチヤホヤされても、次の作品が書けない人とか・・・。(笑)

このような観点から、絵画に親しむことも「ヒント」になると思います。


         


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