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「My, Way」自分らしく、自分らしく

     やっぱり、「自分らしく生きる」のがいいですねえ

永く人間をやっていると「分岐点」というのがありました。
その時は、あまり意識しなかったですが、
やっぱり「あの時」があったのです。
そして、選択した道をドンドン歩いていく結果になったんですね。

「あの時」は何度もありました。
戦争や天災のようなことではなくて、
全く個人的な「あの時」にすぎないのですけど・・・。

いつも、「一歩前に」を心掛けてきたのですが、
それが良かったのか、悪かったのか?
後悔してもどうしようもないので、いまや「あるがまま」です・・・(笑)

     もし「1年で人生が終わる」としたら

「もし1年後に死ぬと判ったら・・・」という文字が、マスコミで非常に多く取り上げられていますね。地震・災害・癌などは、遠いところのものではなく、すぐ隣にあるものだと実感させられます。

先日、咽頭癌で、のどに食べ物が通らなくなった・・・という友人に会いました。水分さえ取れないのです。困りましたね。
これを乗り越えて見せる!」といって、友人は去っていきました。
私は、「大丈夫さ!」と手を振りました・・・。

本気で「あと1年の生命だ」といわれたら、あなたはどうしますか?

能登半島に住んでいる人は、まさかの正月でしたね。
生命が果てるのは「瞬間」ということを、私たちは突き付けられましたね。
だから、「いまを一生懸命生きるしかない」というのは簡単ですが、
浅い死生観で、日常を過ごすことができる人は少ないでしょう。
修行を積んだ僧侶・牧師でもオロオロしてしまった例を見てきました。

それに、「自殺したい」という人で、本当に死ぬのは、「4人に1人」だと聞いています。安楽死について、いろいろな議論がありますが、私には、まだ死に正対する「勇気」がありません。

   And now、the end is near, I did what I had to do

これは有名な「My, Way」という歌の一節です。
「人生の終わりに近づいちゃたよ!自分ができる限りのことをしたけど」

フランク・シナトラの歌で有名ですが、作詞したのはポール・アンカです。
人生の生きがい、方向を見失っていたシナトラに、アンカがこの歌をプレゼントしたことは有名ですね。自分のためでなく、シナトラのために作詩した
同じ歌手なのに、「自分の為でなくライバルに」・・・。
所属する会社から「叱られた」そうですね。そして、大ヒットした。

  内容のある、味わい深い「スケールが大きい唄」です

 自分の「終わりの時」を悟った人が、自分の人生を振り返って、
少々の後悔を含めて「精一杯生きてきた」と、友人に語りかける詩です。

だから、若い人が歌っても「言葉遊び」になってしまい、
歌詞が浮いてしまいますね。本当は厳しい歌です。
    And now, the end is near
    And so I face the final curtain
    My friend, I'll say it clear
    I'll state my case, of which I'm certain

私が「好きな歌のひとつ」です。
たくさんの歌手の唄も聞きました。
私はシャーリー・バッシ―(英)の唄が好きです。
彼女は「007」の<ゴールドフィンガー>を唄って有名ですね。
この歌は、その人の人生を唄うので、近ごろは、怖くて唄えません。(笑)

 自分の人生を心のままに貫き通すことは、並大抵なことではありません。
何事も好き勝手にやってきた人で、人生を振り返って「納得できる人」は少ないからです。
後悔・嘆き・不満・やりきれなさの方が先立つ人の方が多いのが現実です。

    人生を唄った日本の唄は・・・

山河」という五木ひろしさんの唄がありますが
「俺の山河は美しかったか~~」なんて言い切れる人は何人いるでしょうか私が知る限り、有名・無名の区別なく「いない」ですね。(苦笑)
小椋佳さんは、どんな心境で この作詩をしたのでしょうね。
小椋さんが、自分自身で歌うとしたら、どんな表現をするでしょうね。

美空ひばりさんの「川の流れのように」は、秋元康さんが作詞したようですが、実際はどのような心境で作詩したのか・・・
「My.Way」と比較して考えると面白いですね。

    「I do IT . May WAy」って、すごいことです

最近、私は親友の葬式に立会いました。老衰でした・・・。
別の友人が、心臓の難病に陥り苦しんでいます。
知人の若い奥さんが、2人の子供を残して、先日この世を去りました。

みんな「Ido it,myway」に必死です。
これは、私自身にも言えることです。
生きていること、それ自体が闘争なのです。
 
And now、the end is near,・・・」です
そして、IT革命・少子化・グローバル社会で揺れ動く社会を前にして、
私の専門分野である教育の世界で、
私はまだ「I did what I had to do」と言い切ることはできません。
だから、[the end]は、まだ、まだ先なのです。
 
私は、時々「やりすぎ」て困ります。(笑い)
「一生懸命にやっても、やらなくても、同じさ・・」と、最小限にとどめてしまうことができないのです。
否、「やりすぎる前にstopをかけている若い人」の方が問題だと思います。
私の「MY,Way]は、まだまだ続きます。

 

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