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衣食が足りたら、礼節が・・・?

      あまりにも不甲斐ない・・・

あまりにも「情けない事態」が続いていますね。
このままで、日本は大丈夫かしら・・・?
沢山の人が心配して、嘆いています。
そこで、「漢文」の中から「これホント??」というものを抜き出して
考えてみたいと思います。
まず最初は「衣食足りて礼節を知る」からです。

倉廩実則知礼節 衣食足則知栄辱                 
倉廩実則知礼節、衣食足則知栄辱     <出典 > 菅子 牧民

〔倉廩(そうりん)実(み)つれば則(すなわち〕礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る。〕
倉廩とは「倉庫のこと」・「牧民」とは 人民を治めることです。

「米倉に穀物がいっぱい詰まっていて、衣食が足りていれば、道徳心をもち礼儀と節操を知るようになり、名誉と恥辱の違いを心得るようになる」
と・・・
庶民に[生き方」「倫理」「道徳」を教えていると解説をする人が多いですが、この解釈は間違っています。
想像してみて下さい。こんなことって、あるはずがありません!

あなたは「衣・食が足りたら、礼儀正しい人間になる」と、思いますか?

裏金問題」で指弾されている政治家は、衣食が足りている人ばかりです。
豪邸に住み、ブランド品で身を包み、充分な飲食を楽しんでいる人たちです
だから、「欺瞞」・「傲慢」・「虚栄」になる人が多いですね。
目に余る「節操のないリーダー」をみて、ウンザリする人が多いです。

孔子より、百年も前の「中国・春秋時代」に活躍した「管仲」(~645)という斉の宰相の言葉であると伝えられています。

では、いまから約2300年前の春秋時代に「衣・食が足りていた人」がどれくらいいたと思いますか?
ほとんどいないですよね。

支配者(貴族)以外の「庶民」は、衣・食どころか、
寝床も曖昧で、貧しい生活を強いられていたと思いますね。

「礼節」どころじゃない。その日を如何に生活するかだけで、必死です。
圧倒的多数の人が、文字は読めない。文字があることすら知らない。

それなのに宰相の「管仲」は、何を言いたかったのでしょうか・・・・?
彼は「」の族で、宰相(総理大臣)だから、
庶」つまり「民=大衆」の現状を知らなかったはずがありません。
では「なぜ?」

     春秋時代になって、生産力が向上した

このころになって、木製の鍬・鋤の先に「鉄を巻く」ことができるようになり、生産が7~8倍に上昇したのです。
空中窒素を土中に入れることができたからです。

私は、何度も中国の田舎に行きましたが、地方・田舎に行くほど、ひどい状態で、いまでも「貧弱な衣・食・住」に耐えている人がたくさんいます。

そのように考えると、管仲は「誰にむかって発信しているか」が問題です。当然、庶・民ではありません。
これは政治を行う者・つまり「為政者」に対して発信した言葉であることが理解できます。

言い換えると「民生が安定することの重要さ」を言っているのです。
日々の暮らし、生活にゆとりができさえすれば、民の道徳意識がおのずと高まるから、「民衆の日々の暮らしを楽にできる政治」をしなさい。
しっかりした「経済政策」をとるべきだといっているのです。
表面的な言葉に惑わされないようにしましょう。          

   セレブの人の「傲慢さ」は、「優しさ」にまさる

私は、たくさんのセレブ(富裕層)の人たちと接してきましたが、
彼らの中に「優れた人格者」がいますが、「この人に道徳を語って欲しくない」という人がたくさんいました。
有名人・著名人・マスコミ人の「裏・表の格差」はひどかったですね。
彼らの「汚職・不倫・贈賄」を聞くたびに、強い怒りを覚えます。

小椋佳さんの「もういいかい」の歌詞は鋭いですね。
気になる方は、確かめて下さい。
私の専門分野である「子供の教育」のためには「本性」が出ます。
利権と教育は繋がっていますからね。
進学のための格差は拡大する一方です。

衣・食・住が足りて「民の心」が分からなくなっているのです。
嘘を平気でいう政治家・実業界の人、影響力がある指導者に対しては、
日常の言・動に注意する必要があります。

これに対して、介護や福祉に携わっている人が、経済的に貧しく、恵まれない人が多いですね。矛盾しています。
自由や平等が重視される時代にあって、指導者たちはもう少し「礼節」にこだわってもいいのではないでしょうか。

私は「衣食足りて教養なし」・「栄養たりて教養なし」という現実に腹を立てています。ますます「格差が広がる」時代ですから、
「品格と見識」にこだわる人になって欲しいです。
 
<チョット寄り道>
「人はパンのみにあらず」(マタイ伝4・4)という新約聖書にある言葉を使って、「精神的に生きることの大切さ」をいう人がいます。
これは誤解を招きやすい解釈です。
聖書の言葉は、背後に「神の愛」があります。パンは神が与えてくれるものだからです。これと「衣食足りて・・・」を同次元で理解することは無理ですから、言葉の背景を知った方がいいと思います。

「衣食足りて・・・」は「為政者=君主の心得」を述べているのです。

       「豊かさとは」何だろうか?

最近は「衣食足りて・・・」いる人が多いですね。
飽食の時代」とか「ブランド品好み」とか「贅を尽くす」とか・・・
モノモチ・カネモチで「幸せそう」な人が目立ちます。

先日、留学先のタイから帰ってきた家族が
きれいなトイレに入ることができて幸せだ」とニコニコしていました。
バンコクを拠点として勉強している彼女は、ベトナム経由で帰国したのですが、タイ・ラオス・マレーシア・ベトナムなど東南アジア諸国のトイレ事情の悪さを体験したのです。

「私も、世界中を旅したけど、中国・インド・中東などひどかったね」
「尻を葉っぱで拭くところあったし、汚い水で洗うところなど経験したよ」
「トイレは、ホテルとかレストランとか、安全なところで済ますことだね」

日本のようなウオシュレットはないし、柔らかな紙も備え付けられていないからです。「有料」はまだしも「無料トイレ」は酷かったです。

私たちの「当たり前」は、世界の当り前ではないのです。

       「豊かさとは何か?」

「豊かさとは何か」ということで、仲間と「欧米諸国と日本を比較」して議論したのは、数年前のことです。
その時、道路・橋梁の整備・上水道・下水道など社会基盤の整備が「豊かさの指標」ではないかということになったことがあります

外国人から、日本の「公衆便所」に汚れのひどさが指摘されたのが「議論のきっかけ」になったのですが・・・。
その後、全国の自治体が重点的に下水道の整備に力を入れたり、清掃に注意するようになりましたね。そして、トイレマナーの向上もありました。
しかし、公園のトイレなど、まだひどいですね。
公衆便所はあっても、汚し放題でよい「大衆便所はない」です。

いま、北陸の地震の被害を聞くと、ライフラインの崩壊がひどいようですね。心配です。

      誰でもできる豊かさは「礼節」

衣食が足りなくても、誰にでもできる共有できる豊かさは「礼節」です。
簡単に言えば、「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」という
挨拶・言葉遣い・時間を守ること・身だしなみなどです。
この基本的なマナーを習得することが重要だと、私は考えています。
言い換えると、他人を尊重し、社会的なルールを尊重することです。

     「感性のコントロール」も能力です

感性は礼節の基本です。人と人の間に存在するものが感性ですが
感性は、自然に身に就くものではありません。

愛」・「恩」・「義理」などは、
経験や体験を通して習得し、達成されるものだと考えると良いと思います。
生まれたままに放置されたら、身につくものではないのです。

1920年にインドで「オオカミに育てられた少女」の話がありました。
この「アマラとカマラ」の話は信ぴょう性に問題がありますが
他人への気配り、相手の立場・感情を考慮した行動を考える時、参考になります。宮崎駿さんの「もののけ姫」も、こんな逸話の上に成立していたのかも知れません。

誰にもできる「礼節」は、衣食が足りているかどうかではないと思います。






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