スティーブ・ジョブスと坐禅
世界を変革した男、スティーブ・ジョブス(米)が禅の影響を受けたということは有名ですね。彼はアップル社を創業したカリスマです。
彼は、若い頃、ヒッピーでしたね。ウワサですけど・・・。
だから、インドに旅行し、禅の思想に触れ、禅の哲学を自分の生活と仕事に取り入れたといわれますね。それで、アップル社のビジョンと、革新的なアイデアを追求することができたといいます。
真実は、本人しかわからないでしょうね。
(1)スティーブ・ジョブスが大切にしていたことは3つ
① 「単純であること」
② 「使いやすいこと」
③ 「美しいこと」
これは、禅の精神から来ているものであるといわれます。
では、禅の精神とは何でしょうか?
この禅と仏教について考えてみたいと思います。
<チョット寄り道> 坐禅のスタート
仏教の開祖のゴーダマ・シッダールタは、約2500年前に、バラモンの難行・苦行の修行を止めて、ブッダガヤの菩提樹の木の下で「坐禅」を組み、「悟り」を開いた者(覚者)になったといわれます。
仏陀は「悟りの内容」を積極的に話すことに躊躇しましたが、
やがて弟子たちに向かって語り始めました。「初転法輪」です。
これが「仏教の始まり」です。
「人生は苦である」という認識が出発点にありましたから、この「苦」から脱する方法として、仏陀が「最初に取ったスタイルが坐禅」です。
坐って、瞑想にふけることを徹底して「悟り」にたどり着く。
大雑把に言って、これが禅の始まりだといわれます。
(2)ジョブスが修行したのは「サンフランシスコ禅センター」
アメリカの禅の拠点「サンフランシスコ禅センター」は、1966年に鈴木俊隆師によって開かれ, ジョブスを指導した乙川弘文さんは、その助手として渡米したといわれます。
ジョブスは、ここで「只管打座(しかんだざ)」を修業したのですね。
彼は、乙川弘文老師から「ひたすら坐る」という「瞑想法」の指導を受けたといわれます。
禅の精神が、ジョブスによって、「無駄を削ぎ落した」シンプルなビジネスモデル・製品に繋がったのかもしれません。
いいかえると、「単純」「わかり易い」「美しい」というコンセプトは、禅の精神の具現化したものかもしれません。
<チョット寄り道> 般若心経の英訳
鈴木俊隆老師はアメリカにわたり禅を広めた人です。
「般若心経を英訳」し、禅を欧米に広めたことで有名です。
鈴木大拙師と共に、欧米では「二人の鈴木」として著名です。
友人と話していたら、鈴木俊隆老師は、焼津市にある林叟院(りゅうそういん)の住職だったそうです。永平寺で講義していた鈴木包一師の父上だったのです。現在は東京にいるようですが・・・。
(4)禅の始まりと達磨大師
一般的な禅は達磨(だるま)大師からスタートしたといわれます。
達磨大師は仏陀から数えて、28代目の弟子だそうです。
南インドの王子として生まれましたが、修行の末に会得した禅を携えて、中国に禅を伝えたのは、6世紀頃とされています。
少林寺で9年もの間、洞窟の壁に向かい、ひたすら坐禅を続けた「面壁九年(めんぺき)」という逸話がよく知られています。
経典に頼らず、坐禅という実体験から悟りに辿り着こうとする禅のあり方を「不立文字(ふりゅうもんじ)」といいますが、これも達磨の言葉です。
文字で伝えられることには限界があり、体験に勝るものはない、という教えの基本です。
達磨大師は洞窟で坐り、手足が腐って歩行困難になったけれど、目覚めた悟りの境地は揺らぐことがなかったといいます。これが「七転び八起」です
(5)「臨済宗の禅」と「曹洞宗の禅」の違い
日本の禅は13世紀、鎌倉時代初期に発展しました。
その立役者は、「栄西」と「道元」です。
臨済宗は栄西によって中国からつたえられました。
「臨済宗」は、坐禅を「悟りに達する手段」として捉え、坐禅の最中に「公案」という課題を与えます。
弟子は坐禅を組みながら、師匠から与えられた「公案」に取り組み、答えがわかったら、自分の見解を述べるという「禅問答」が行われます。
このやり取りが「修行」です。「看話禅」(かんなぜん)といいます。
私は、「接心」という「雲水の修行の場」に特別に参加したことがあります
臨済宗はいくつかに分派し、現在は、「妙心寺」を本山とする寺派と、
鎌倉の「建長寺」を本山とする寺派が中心です。
「曹洞宗」は、道元が開きました。
『正法眼蔵』にあるように、坐禅に目的も意味も求めないで、黙々と「ただ坐る(すわる)」ことを徹底する坐禅です。
私は、広い永平寺を見学したことがあります。修行ではありません。
「只管打坐(しかんだざ)」を徹底するのが曹洞宗の禅です。
ひたすら「坐って、瞑想するだけ」です。「黙照禅(もくしょうぜん)」とよばれます。現在は、大本山の永平寺と總持寺が中心です。
<チョット寄り道> ひたすら坐る(只管打座)
友人が「心の落ち着きを取り戻したい」というので、おせっかいなことに「数息観」のことを話しました。勿論、私自身が体得していないのですから、無責任な話ですが・・・。(笑い)
「お線香を1本立ててね」と、1~10まで「自分の息を数えることに集中するんだよ・・・」。修行方法の話をしたのです。
彼女は、やってやってみたけど・・・「それができない」という。
「難しいよね。つまらないことがグルグル浮かんできてしまうし・・・」
だから修行なんだといいましたが、
実は、在家で実践している知人がいるのです。
自宅の壁に向かって参禅です。すごいです!
(6)『般若心経』はいつ書かれたのか
仏教の精神を凝縮させた『般若心経』がいつどこで書かれたか、はっきりしていませんが、5~6世紀頃ではないかと推測されています。
4~5世紀の鳩摩羅什(くまらじゅう)の「漢訳本」があるため、もっと早く成立していたと思われていましたが、最近の研究では、羅什訳は後の時代の偽作の可能性が強いのだそうです。学問的なことは、これ以上わかりません。
『般若心経』(漢訳)が確認できるのは7世紀初頭頃になってからだと言われます。有名な「玄奘(げんじょう)」がインドから中国に持ち帰った「大般心経」が原書とされています。
一番普及しているものは「玄奘(三蔵法師)」がサンスクリット語から「漢訳」したものです。彼は、大般若心経を600巻ほどにしたためました。その600巻のエッセンスをわずか300字弱で表現していたのが『般若心経』です。
<チョット寄り道> 般若心経に記されていること
仏陀は何も書き残していませんから、初期の段階から「口述筆記」が進められたようです。「紙」が発明される前ですから、仏陀の言葉は「樹皮・ヤシの葉・木版・動物の皮・粘土板」などに記されたといわれます。
チベット語の『般若心経』は、漢訳より長いし、原典はもう少し長いといわれます。サンスクリット語を漢訳できない部分は「音写」といって、そのまま残していますね。私たちが理解不可能になるのは当然です。
サンスクリット語をよむことができた友人が、先日、亡くなりました。
彼は京大・哲学科卒で、日蓮宗の住職をしていました。残念です。
インターネットで「検索」すれば、直接触れることができます。
大学・寺院が提供しているからです。
すごい時代になりましたね。これ以上は、ご自分で調べることを勧めます。
(6)色即是空・空即是色の入り口:理解のお手伝い
般若心経は、シャープリトラという弟子が、瞑想に入っている仏陀に代わって「観世音菩薩」に
「この苦しみから逃れるにはどうすればいいですか?」と、質問しことに応える方式(会話)で出来ています。
「私とか私の魂は存在している」と思っているけれども、実際に存在するものではない。
私たちの存在は「五蘊」(ごうん)といって、色(物質)・受(印象)・想(イメージ)・行(意志)・識(思考)から成立するものであって(五蘊)、これらは存在を構成する「集合体」にすぎないのです。
五つの内どれもが私ではない。だから、「私というものはどこにも存在しない」というのです。
すなわち「色即是空」だというのです。
「色」とは、この世のすべての事物・現象のこと。
「空」とは、固定的な実体はないということです。
だから「色即是空・空即是色」ということは万物の本質は「実体のないもの」で「虚しい空である」という意味になります。
解っているように書いていますが、すべてが、私の理解を超えています。
坐禅をして悟るしかありません。
Noteには、長年、参禅している人がいますから、その方のコメントの方が有効でしょう!(お待ちしています)
(7)禅寺の「石庭」
「禅の庭」は「自己を見つめる庭」です。
ひとことでいえば、絶対的真理、身体で体得する修行に励み、自らを空にすることができたとき、はじめて形となって「禅の庭」が完成するのだそうです。外観だけでは,禅庭を観たことにならないのです。
禅庭は「禅の美が表現された空間」であるといっているのです。
少なくとも、意味も解らず、賑やかに「観光」する場ではないのです。
正直にいえば、私には『般若心経』に遺された仏陀の教えが分からないです。頭でいくら考えてもわからないのですから、坐禅をして「無の心」に徹する必要があるのですね。
禅でいう「空」や「色」は「直観」ですから、キリスト教の「神学」やイスラム教の「コーラン」の<神の声>を聴くこととは、根本が異なります。
人間が「坐禅」を組み、自分の欲望(我執)を解き放ち「無」を体得することだから、解釈の世界ではないのです。
スティーブ・ジョブスが「只管打座」で覚ったことは、「直観の果て」にあるものかもしれません。
<チョット寄り道> 「禅宗」と「浄土宗」
臨済宗・曹洞宗の禅のほかにも、「黄檗宗の禅」があります。
黄檗宗は、江戸時代に中国から来日した「隠元隆琦」により開かれました。黄檗宗も臨済宗と同様に、坐禅をすることによって悟りを得るという教えを持ち、「看話禅(かんなぜん)」が行われます。
その他、亀山禅・宗峰禅・雲門禅などがありますが、いずれの禅も「自己の確立」を要求する宗教です。
甘えを削ぎ落し、徹底して自己を見つめ、自分が持つ「業」からの脱却を試みます。
自力本願です。栄西禅師の時代の臨済宗の坐禅は、時の権力者・インテリ・富裕層に支持され、妙心寺のような巨大な伽藍を形成することできました。
「庶民」は、同じころ「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで「救われる」と説く法然・親鸞らの「浄土宗」「浄土真宗」の「他力本願の信者」になった人が多かったです。
(8)openAIはチームで開発した
現在、生成AIの開発が進んで、「AIがAIを開発する」時代が近いといいます。私もNote で「警鐘」を書きました。シンギラリティです。
スティーブ・ジョブスのように、瞑想の果てに開発したのではなく、
「機械学習」を積み重ね、論理の果てに「飛躍」があったと思われます。
だから、特許のように「発想と技術を閉じ込めない」で、
多くの研究者に「門戸を開く」ことが、生成AIの開発をダイナミックに進めることになったのだと思います。
「機械学習」の精緻化ですから、テーマを細分化することも多言語化することも「目的的」な開発が可能なのですね。
「コロンブスの卵」のようなもので、発想・アルゴリズム・分析・組み立ての方法がわかれば「開発競争」が激化するのは当り前です。
今後のことは予断できませんが、開発が細分化・精緻化される「流れ」をみると、可能性への「期待」と同時に「恐怖」を感じます。
これは、私だけの「怖れ」ではないでしょう。
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