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永遠の語らい(2003🇵🇹)

原題: UM FILME FALADO(2003、ポルトガル=イタリア=フランス、95分)
●監督:マノエル・ド・オリヴェイラ
●出演:レオノール・シルヴェイラ、フィリッパ・ド・アルメイダ、ジョン・マルコヴィッチ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ステファニア・サンドレッリ、イレーネ・パパス、ルイス・ミゲル・シントラ

ユーロ開催に乗っかってヨーロッパ映画を観ていこうシリーズ・ポルトガル編。果たしてどこまで続くのか。

2001年7月。

ポルトガルからインドのボンベイへ父親を訪ねて船の旅をする母娘の二人を主人公とした映画。

母ローザ=マリアはリスボン大学の歴史の教授であり地中海の文明と歴史の遺跡を直に触れ、娘のマリア=ジョアナに歴史について語りかけながら旅は進む。

ポルトガル
発見記念碑、ベレンの塔、セウタの町。

マルセイユ
港で犬を連れた魚屋に出会う。
◇乗船客:デルフィーヌ(演:カトリーヌ・ドヌーヴ/フランス人)

ナポリ
卵城、ベスビオ山、ポンペイ。
◇乗船客:フランチェスカ(演:ステファニア・サンドレッリ/イタリア人)

アテネ
パルテノン神殿、円形劇場。
◇乗船客:ヘレナ(演:イレーネ・パパス/ギリシャ人)

ここまでは「一つの都市で観光」→「停泊」→「翌日の朝に誰かが乗り込んでくる」→「海面を突き進む船の先端のカット」の繰り返しという規則的な演出。

イスタンブール
聖ソフィア大聖堂。

カイロ
スフィンクス、ピラミッド。

ここで登場するのが船の食堂でアメリカ人の船長(ジョン・マルコヴィッチ)、デルフィーヌ、フランチェスカ、ヘレナ4人による会食シーン。

カメラはほとんど切り替わらず長回し(主役の母娘も後ろに映り込んでいてちゃんと食事をしている)、4人それぞれが別の言語を話しそれで会話はなりたっている。

ポーランド系アメリカ人の船長は英語、実業家デルフィーヌはフランス語、モデルのフランチェスカはイタリア語、有名歌手ヘレナはギリシャ語

話題は男と女、政治、文明、歴史、言語といったテーマである。


ここから船は紅海を抜けてついにアラビア半島、イエメンのアデンへ。

船長がマリア=ジョアナに人形をプレゼントする。

3人の女たちの中にローザ=マリアも加わる。

ポルトガル語を解する人がいないので英語での会話になる。

船に二つの爆弾が仕掛けられたと知らせが入る。

置いてきてしまった人形を取りに行って逃げ遅れた親子は死ぬ。

映画は終了。

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このラストでもう唖然。

この映画をどう解釈しようか色々考えていたが、一瞬にして無になった。

色々ポイントを整理してみる。

[1] 船旅のルート

出発地はポルトガルのリスボンで目的地はインドのボンベイ。つまり西欧の端から中東を通り東洋へという旅路である。

しかし旅路はカイロからアラビア半島を抜けたところ(欧州からイスラム世界への接近)をしたところで終わってしまう。

ここで母親が娘に色々文明と歴史について教授する内容が実はかなり重要だったのだと見終えてから気づく。

[2] 新たに船に持ち込まれたもの

親子は殺された。

もちろん爆弾をしかけたテロリストによって、だ。

娘が置いてきたアラブの人形を取りに行っている間に逃げ遅れて殺されたのだ。

どちらも新たに船に持ち込まれたものとして人形二つの爆弾という共通点があるし、アラブの人形=犯人はアラブ系テロリストだということを示唆している。

しかしこの人形を娘に渡したのはアメリカ人の船長である。人形さえもらわなければ死ぬことはなかったと言っていい。

夕食に親子を誘うも一度断られ、もう一回誘った席でプレゼントを渡したという所においても演出の意図が見える。

ただもちろん彼自身にそんなつもりはなく良かれと思ってやったことが結果的にそうなってしまったのだろうが、監督はそれを特に強調したかったのであろう。

[3] なぜ親子は殺されたのか

なぜこの二人なのか。

ポルトガル人のマリア=ローザが3人の女性の夕食の席に加わり、会話がすべて英語になった。

今まで別々の言語で喋ったとしても理解可能だったため自由な会話を楽しめていたが、恐らくマリア=ローザが理解できたのが英語であったため、全員の共通言語である英語で統一された。彼女の国籍というのは関係なく、この場が英語(=アメリカの公用語)で統一されたということに意味がある。

その直後に船が爆破されたというのが暗示的だ。

シンプルに考えれば、9.11テロのことを言っているのだろう。

舞台は2001年(ただし7月)。

二人の親子を、乗っ取られた二体の飛行機とみなすことも出来る。ちなみにボンベイにいる父親の職業はパイロットである。操縦者不在の飛行機。

そして爆破する船を見上げる、アメリカ人船長のラストショット。

「まるで自分の船を爆破された被害者のように見上げているが、原因を作ったのはあなたなのだ」と言っているかのようにカメラはマルコヴィッチの顔を捕らえて離さない。

観るものに対しての示唆と知的挑戦に満ちた素晴らしい作品。



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