【独り言】推しとの距離感について考える

自分で自分の首を絞めている感覚。

「推しのプライベートは詮索しない」
「推しに依存せず、距離感を弁えて推す」
推し活においてのマイルールの一部だ。

前に別の推しで距離感を誤り、苦しくて泣いたことがある。二度と後悔はしたくないと思ったのに。

なのに、また距離感を間違えた。
推しは気にしてないかもしれない。そうであればいい。人から言わせれば、そんなこと気にしないでいいと言う程度の事かもしれない。

でも、私は間違えた事に後悔したし、泣いた。自分の事を気持ち悪いと思ったし、いっその事いなくなりたいとも思った。

現場があって、それはつつがなく終わった。素晴らしかった。
推している界隈は小さくて狭くて、大人のオタクが珍しい。推しにも、推しが所属するグループにも「推し目当てで来ているオタク」として認知されている。優しくされているし、可愛がられている。

初めて会ったグループの1人と、そのグループを推しているオタクから「推しさんのファンですよね?」と言われた。私が推しのオタクであると認知されている事実が、素直に嬉しかった。

更に、グループの1人に「推しの〜が見たい」と何の気なしに話したところ、それが叶ってしまった。遊びとして面白いと思われたのだろう。
叶えてくれた人には感謝している。
たぶん、それで調子に乗った。思い上がった。
私は「特別扱い」されてるのだと。

次の日も現場があって、雨で寒かったけど行った。推しに会える時に会っておきたかった。

「こんな雨の中来るファン、𓏸𓏸さん(Twitter名)しかいない」とメンバーの方に言われた。
実際そうだったと思う。

そして現場が終わって、「ありがとうございました! また来月行きます」と挨拶してから帰りたいなと推しを待っていた。
現れた推しは私服姿だった。その時点で帰れば良かったのに。

私の一言がきっかけで、少し雑談が始まった。
聞いて、時々口を挟んだ。話が途切れたところで再度挨拶をして帰った。

推しのツイートで、あの後ご飯を食べたこと、方向音痴なグループのメンバーを帰り道まで送り届けたことを知った。いいなと思った。あのまま残っていれば、推しと一緒にご飯を食べれたかもしれないと思った。(屋台飯は信用できないし、人と一緒にご飯食べるの苦手だから残ってたとしても無理だけど)

時間が経って、そう思ったことに後悔した。泣いた。
「挨拶して帰りたい」自分の欲を優先した。
推しが「私服の時はスルーしてくれ」と言っていたのに話しかけた。
推しがどう思うかではなく、自分の気持ちを優先したことに吐き気がした。推しに嫌われたくなかった。信用を失いたくなかった。推しに迷惑かけないようにオタクしようと思っていたのに。

現場の写真も動画もSNSにアップすることが許可されている。
最初は記録用にと残して、上げていたそれらも承認欲求を満たす道具になっていると感じてる。
推しがいいねしてくれるから、推しのオタクとして有名になったから。だから上げてるのでは?

最近、写真を推しはいいねしてくれない。それに対して、いいね欲しい、悲しいと思うのも嫌だ。
推し始めた時は、いいねがもらえるだけで凄く嬉しかったのに。

もう1人の推しは写真も、何気ないその推しに対しての呟きもいいねしてくれるので好き!となる。それだけで好きの気持ちが増すのも、推しに対して失礼だと思っている。

推し活で泣くのも、辛いのも嫌だ。
現場続きで疲れたのだろうと一晩眠った翌日も、昨日よりは大丈夫だけどモチベが戻らない。
一旦、距離を置きたかったので推し専用のアカウントからはログアウトした。

推しと、友達にも、恋人にも、なりたいとは思ってない。自分が自然体でいられない。ずっと緊張する。推しの所属するグループに入ろうとも思わない。

常に一線引いてるオタクでありたい。

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