生きづらさと優しさについて

こんばんは。日曜ももう少しで終わりですね。
がんばってる皆様、せめて今晩はよく眠ってください☺️

私も明日からもちろん出社ですが、今日はその前に簡単にタイトルのことを考えてみようと思います。

私は、優しい人ほど生きづらさを抱えてると思います。優しさ=他人を優先できる人。
で、生きやすさ=他人を踏みつけてもいい人だと思ってます。他人を踏みつけてもいい人=他人はどうでもいい人。(※あくまで、優しさを全く持ってない生きやすさを持ってる人って意味ですよ!)

そうなると、優しい=生きづらい特性ということになります。
でも、そうなると優しさは欠点にもなっちゃいます。
その違いがわからず、私はずっと考え込んでいます。

私は親に、他人を優先して、他人の心を思いやれる人になれと言われて育ってきました。
優しい人かどうかは分かりませんが、他人の顔色を見る人間です。
しかしまあ、これがまた生きづらい。欲しいものを欲しいと言えない。そうするうちに、欲しいものがわからなくなる。

でも、優しさは美徳とされています。キリストも、打たれたら逆の頬を差し出せと言った(らしい)

そうなると、優しさというのは幻で、他人を踏みつけても平気な人が、競争で優位になるために作った幻想じゃないかなとか思っちゃうわけで。

でも、私は優しさの話に感動するし、嘘じゃないと思いたい。

と、色々言ってますが、私の言ってる上記の「優しさ」は極端な話で、「優しさ」は「自己を優先」してこそ持つべきものなんだと思います。
まずは自分を大切にしてから、サブステータスとして身につけるもの。
そうじゃないと、優しくない人に食われるだけで終わってしまうから。

実際、今って食い物にされる優しい人が多いと思います。それなら、食う側に回った方がいいんだろうかと悩みます。
あ、自分が優しいとは思ってないですよ。私はただの、自分と他人の境界線がわからず、勝手に手を出す世話焼きタイプなんで。

でもだからこそ思うんですよね。
優しさは美徳じゃない。それが今の世界だから、本当の意味で美徳になればいいのになって。

だから私は、優しい人には優しさを、優しくない人には優しくないものを返すようにしています。
生きづらさを少しでも解消するために。

でも、生きやすい人を非難するつもりも、生きづらい人を卑下するつもりもありません。
ただ、みんなはどうやってバランスを取ってるのかな?って思う。自分と他人の間のラインを。

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