父との思い出 ブチ切れ編
たかもちげんとの親子話を少し。
*あくまで個人的感想です。実際の印象は違う方々が多いはず…
とにかく怖い。すぐ手を挙げ尻を叩かれる。これが幼少期の記憶。
途中から布団叩きやアクリル定規に変わっていきますが「叩く方の手も痛いから」と言っていたような…
叱られる理由は真っ当だったのだと今思い返せば思うのですが、「オレばっかり」と顔に出しふてくされる生意気な長男だったのだろうなと。とにかくいつも叱られていた記憶があります。
父は「お前は相撲をやれ。実力でしか上にいけないぞ」が口癖で【痩せの大食い】と言われてる息子に無茶を言うなよと。そもそも相撲に興味ないからと思っていましたし、高校の時には「金出すから2年アメリカ留学して英語を身に付けて来い」と言い出し「バスケ部のキャプテンやってる人間になんてこと言うんだ」とハッキリ断ったこともありました。「お前、大学で何勉強するんだ?バスケ続けるなら大学に行ってもいい」と言われ受験勉強を始めたのにいざ合格した際には「オレはお前に大学に行かせてくださいと頼まれていない」と入学金振込〆切前日に頭を下げさせられたりしました。
そんな父を母は「とにかく子煩悩な人」と言うので、まぁそうなんだろうなと今更ながら思います。
優秀な次男三男と比べ好き勝手に生きてる出来損ないな長男を何とかしたいと思っていたのかもしれないですね。
当時はそんなこと微塵も感じず、私は私の青春をひたすら謳歌してました笑
そんな中、ある時に大喧嘩になったことがあります。
帰宅し開口一番「お前に対して申し訳ないと思っていることがある」と唐突に切り出します。
私「??いや何のことかわからないし、そんなこと言われたくもない」
父「(ブチッ)親が申し訳ないと思ってんだからお前も思え!思い出せ!」
私「何だよそれ?身に覚えないことに対してどう思えってんだよ」
まるで意味がわからなくないですか?
私には【いちゃもんをつけられた感】でしかありません。the理不尽。
この発言の真意をちゃんと聞いておくべきだったと実はいまだに後悔しています。
また、父と面と向かって張り合ったのはこれが最初で最後だったと思います。(後に母からおそらく父にはこういう意図があったであろうとのことは聞いております。)
続けて
父「お前はわがままだ!」
私「はぁ?お父さんの方がわがままでしょ!」
父「オレはいいんだ!ずっーーーーと子供の時に我慢をしてきて、大人になって稼げるようなってやってるんだからいいんだ!!」
私「自覚あるのかよ!知るかっ!」
もう少し会話があったかもしれないですが、大筋はこんな感じだったかと。
そしてついには感情の沸点に達したのでしょう怒り狂って暴れ出します笑
あとにも先にも暴れた父を見たのはこれっきり。「お父さん止めて!」母が泣いて止めに入ります。騒ぎを嗅ぎつけた弟が2Fから降りてきて「何やってんだよ、謝れよ」と事態の収束を図ろうとしますが、謝る理由もないので私は無視。父はそのまま外へ出て行きますが家の中は滅茶苦茶な訳で。。。
その後この件には特に触れることなく、かといって親子関係がギクシャクすることもなく…(というよりも生活サイクルが違いますし、私はこの頃独り暮らしを始めていたのでそもそも会う機会が少なくなってました)
そしてある日、「お父さん死ぬから」と家族が揃ったリビングで突然癌患者宣言をします。ちょうど手掛けていた作品が医療ものであったこともあり色々と調べた結果、摘出手術はするものの転移・再発は不可避でありもう長くはもたないと。
自身の死後、母の生活が大丈夫なように準備があること。兄弟に財産放棄の書類にサインすること等を告げ、孫の誕生を待たずに2000年7月に逝きました。遺言ノートらしきものには家族への想いが綴られており、今でも読むと泣けてきますが、もう少しせめて私が親になるまで生きていて欲しかったですし、酒も一緒に飲んだことなかったので酌み交わしつつ喧嘩の続きなんかも。
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