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プロの意識

久しぶりのnoteでおしゃべり。
雪もだいぶ溶けました。外では雪解け水のぽたぽたという音が心地よい。

さて、ここのところの自分の気づきを書いてみたいと思います。

私は施術家であり、主婦であり、母親であり、職員であり、いろんな顔を持っています。ある意味、一つのことを突き詰めてないから、どれも中途半端な気がしていました。そんな自分はダメなやつだと。無意識に自分を責めいたり、周りと比べたり、できない環境のせいにしたり、言い訳をしてみたり、いつもそんなようなところを思考の居場所として留まっています。

そんなおり、ある方に
「本当のあなたは強いんですよ、どうして弱い方に行ってしまうんですか?」
と言われました。さっき言った私の
思考の居場所とは弱い方のこと】ですね。
そこでふと自分に問いかけました。
「強さってなんだ?」

根っからの負けず嫌いで、余分に正義感もありますから、どうしてもその場ではいい顔をしていても、帰宅するとモヤモヤすることがよくあります。
その場では変化しているように見えていても根っこの部分が認めてない、許せてないためにずっと同じ場所に同じスタンスで構えてしまっているんだな、と。

ここからが本題のプロの意識について
その時どの顔でいたとしてもその時その時でプロである気持ちを持つ、
それだけで体も心も強くなれるということがあるのでは?
主婦のプロ、母親のプロ、ここでいうプロというのは
本物とか偽物とかそういうのではないです。

例えば子供が病気になったとします。
「なんでだろう」原因探しをします。
「私が悪かったか」などと自分を責めます。
「私もうつったら…」と不安になります。
弱い方に留まります。

ここで最近日常の中で響いた言葉⬇️
・職場で上司が言っていた言葉「ここが私たちの腕の見せ所よね」
・朝ドラで小雪が言った言葉「何くそ、って言って立ち向かった(母として)」
・ある人の言葉「弱い自分は嫌い、強く生きんと」

強いという言葉は誰かに対して勝つ!ということではないです。
自分が自信を持つ、ということともちょっと違う。
自分がその時担っている存在として立ち向かうということ。

主婦なら主婦として立つ
母親なら母親として立つ
施術家なら施術家として立つ
プライドという言葉しっくりくるかな。
それが、私が思うここでいうところのプロの意識ということです。
弱い方を居場所としているといつまでもどの顔でいても初心者なんだな。
そこをよりどころとしてしまう。
余談ですが、実際、弱気の自分でいると心も身体も病んでしまうことってあるな、
と感じます。

自分は打ち勝っていける、そう人から認められなくても、自分がそう思えば
大丈夫なんですね。折れない。それがプロなのだ。そう思うと私はもうとっくに
母のプロだし、主婦のプロだし、なんならシェフのプロでもある笑。

弱い方へ戻って弱くい続ける、悩み彷徨うのも生きる術かと思う。
でも先ほどの話に戻って、子供が病気になったとき
「私がやらなくて誰がやるんだ!」「何くそ!」精神で立ち上がる時、
一つギアが上がる気がしました。

そんなことに今頃気づいて、とは思いますが、
なかなか思い通りにならなくて、進まない時、
「この人と私、何が違うんだろうな〜」
「こういう人になりたいな〜」
ってイメージしてみます。
そっかその人の奥底にある強さだったか、となったわけです。
私にもある、と。

自分に落とし込むことはそんな簡単なことではないです💦
弱くいることで自分を守ってきたわけですから。

心のことをいろいろ考えることが好きです。
書いてみることで整理されることもあります。
というわけで、何をしてても、今の自分に正直に強くありたいと思う。


ご清聴ありがとうございました。


自宅整体サロン
hancoma
施術家 ETSUKO


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