見ている先を間違っていた
この半年、自分を整えたい一心でいろんな学びの場に顔を出し講座を受けてきた。
そこで気づきが多くあり自分が如何に自分を偽り、他人を欺いてきたかを圧倒的に目の当たりにした。
正直ずっと気づいていた。
知っていた。
自分の未熟さ
幼さ
狡さ
見るのが怖くて怖くて
知っているのに自分じゃないと拒絶し続けてきた。
所々の節目に
そんな自分と対峙するよう促されるように問題が起きたし
他人からのひどい言葉や態度
現実的にお金に苦労したり焦ったりという恐怖
子どもが思うように育たず自分を責めたり
(これはマジで子どもたちに失礼。思うように育ってないのは自分のせいって言いつつ子どもたちを信じていなかったのだ。最低な母親。。。)
そんな自分とじっくり向き合い
自分が作り出しているパターンに気づく。
気付くんだけど繰り返してしまうのはまだどこかで目を逸らしていたり
その原因や対処法が分かっていながら行動に移せず繰り返している。
私の場合、この繰り返しがなぜ起きているのかを掘り返し観察していたら
絡み合った原因のうちのひとつひとつが少しづつ解明されてきた。
まあ、よくあることなんだけど厄介に根深いのは
やはり愛されたい。が満たされていないこと。
今となっては両親がいかに大切に育ててくれたのかは理解しているつもりだった。
でも、頭で納得しても子供の私がずっと置いてきぼりのまま泣き続けていた。
私をちゃんと見て
抱きしめて
大好きだよと言ってほしい。
小さな私は物分かりが良い子どもだったからぐっとがまんして
がまんしていたことさえも無かったことにしていた。
そこをずっとずっと殺していた。
どこかで考えが幼稚だったり
年齢を気にしすぎたり
(若いが正義、若くありたいと思っていたのも大人になったら愛される側から愛す側にならなきゃいけない。まだ愛をもらってないのに人になんかあげられない!という心の狭さよ。可愛い私じゃないと愛されない。可愛いキャラじゃないのに可愛いって言葉に異常反応して誰か可愛い子に誰かが可愛いって言ってたら私のこと?って反応してそうじゃなくてガッカリすること多々あり。だせえ。)
最近学んでいるコミュニティーで先生が
ギバーとテイカーの話をされていた。
この言葉、自己啓発業界でよく耳にしていたのだけど全然頭に入ってこなくて
どっちがどっちよ?状態だったのだが
この方はほうとうに頭が良くて話し上手なため痛い程よく自分がテイカーだった(知っていたけど)かを知らしめられた。
どうしてこうなったかまで分かった。結局甘えだ。
愛して欲しいから愛をくれと誰かに依存する。
しかも巧妙にそうじゃないふりをして。
自分でもそんなつもりないくらいに。
夫に対してもそうだったと気づく。
私が色々してあげてるつもりが、全て彼から奪っていた。
なのに悪者に仕立て上げ、私は悪くないといつもイライラしていた。
なんて傲慢で幼稚なテイカー。最悪すぎてぐうの音も出ない。
死にたいとすら思う。
そんな真っ黒に汚い自分と向き合いながら
それでも希望を持ちたいし
幸せになりたいと願う。
真っ黒なのに恩恵ばかり最近頂いていて
ディクシャギバーになったり
アカシックリーダーの仲間ができたり
知り合いが増え私を好きでいてくれる人がいる。
私にもそんな愛をくれる人たちがいることが奇跡だと思う。
ちゃんと愛されている。
だからもうくれくれとせがまなくても良いんだよ。
自分を愛していると自信を持っていい。
私は真っ黒なダメなやつだけどそれでも良いんだよ。
生きてて良いと思うよ。
せっかくまだ地球にいるんだ。
諦めないでしぶとく生きてみてもいいよ。
せっかくだからちゃんと
周りを愛して良いんだよ。
自分なんかが烏滸がましいって思ってたけど
気にせずやってみたらいい。
ウジウジとやらずに傍観していじけてるけど
勇気出そうね、私よ。
ネガティブに浸っている場合じゃない。
この重い想いを降ろして軽く行ってみようじゃないか。
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