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「ウクライナ国民を極東サハリンに強制移送」と シベリア抑留

2022年3月26日のニュースにて、ウクライナ国民数万人(特にマリウポリ市民)がロシアによりロシア北部(シベリア)や極東サハリンに強制移送されている、というニュースを聞きました。現在(2022年8月)でも継続して、ウクライナ人・捕虜など多数の人々がロシア北部などに移送されているようです。このニュースを聞くと、多くの日本人はシベリア抑留を思い出すのではないでしょうか。

マリウポリ

マリウポリは人口46万人の都市です。年間平均気温は約10度で、温暖な気候です。ロシアによる開戦前には、ショッピングモール、モスク、動物園、博物館などの観光、美味しそうな食事などがいくつかの旅行ガイドに掲載されています。

ネットに掲載されている風景を見ると、日本の普通に存在する観光地と何一つ変わらない穏やかな地域と理解できます。この地域が現在戦場となり、市民の多くが砲撃により死に至っていると考えると、ロシアや中国と領土問題を抱える日本も他人事ではありません。

ロシア北部

一方でロシア北部に位置するシベリアは、緯度が高く、冬は-73度という人間が居住可能な場所における最低気温を記録するほどです。年間平均気温は-20度を下回る地域も多いです。

16世紀にロシアはこの地域に進出し、商業、政治、軍事的にソビエト連邦の一つになっています。経済的に自立困難な地域が多いことも影響し、ソビエト連邦崩壊後もロシア連邦内に留まっています。2000年代に入り、石油、天然ガスの輸出によりシベリア経済は活性化しています。

シベリア抑留

シベリア抑留とは、第二次世界大戦の終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜や民間人らが、ソビエト連邦によって主にシベリアなどへ労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する、日本側の呼称です。

その数は、57万人以上と推測されています。多くの日本人は、強制的に収容され非常に過酷な労働条件で、まさに奴隷として扱われました。シベリアにおける地域発展のためにはコストパフォーマンスの良い労働力が必要という発想で、そのためには戦敗国の捕虜など反論できない立場の人々に強要します。

ウクライナの大飢饉「ホロドモール」

ウクライナとロシアとの歴史は、簡単に済ますことはできません。代表的な事案の一つに、1932年から1933年に生じたウクライナでの大飢饉があります。これはロシアを支配するスターリンによって生じたと解釈されています。ロシアにとってウクライナで生産される小麦などの穀物は、社会主義国家を成立させるための外貨獲得の重要な手段であり、ウクライナからの穀物を徴発し続けました。

1931年から飢饉が始まりますが、ロシアによる徴発は徹底して実行され、作付け用の種子も徴発されました。大飢饉が生じた後に、飢えたウクライナ人が外に逃げれないように国境を閉鎖し、都市に逃げることができた農民を助けることを法律で禁止しました。

ウクライナでの犠牲者数は、500万~1500万人とされます。強制収容所で死亡した人もかなりの数にのぼります。飢饉の際の穀物生産量の低下は約12%とされ、ウクライナでの大飢饉は徴発が過度に実施されたがための人工的飢饉の要素が強かったと言えます。

ロシアとウクライナの因縁の関係は脈々と続く一環と考えられます。今生じているロシアとウクライナの戦争は、脈々と続いている両国の紛争の一部に過ぎなません。小国は大国にどのように対応していくのか、ということを小国・日本は常に考察しておく必要がありますね。


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