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こんな本を買ってみた、買っていた

『SUNTORY Gourmet 』3 サントリー・グルメ 

1960年~1970年頃の香港の写真集を探している。できればあの頃のカラー写真で、アート関係の写真というよりはベタな観光写真がいい。兼高かおる・世界の旅=香港編のような。もしくは、映画ジャンポール・ベルモンド主演、「カトマンズの恋人」のエキゾチシズム感溢れたあの頃の香港を。とはいえ、これがなかなか見つからない。

だが、その流れでこんな一冊を入手した。『suntory gourmet』・3
本書は、1971年にサントリー社から全7冊発行されている。PR紙ということなのか非売品という扱いで、おそらくは業界関係者、またはお得意様に配布されたのであろうか。ハードカヴァー、大型本、表紙にはsuntory gourmetという英語表記のみ、豪華かつストイックである。このなかの3巻目、この特集がなんと私が探し求めていた1970年代の香港なのだ!(一部日本の時代食器)

今でこそ、グルメという言葉は当たり前だがこの時代に仏語で” gourme”である。グルメ?そんな言葉などなかった時代に・・・。グルメという言葉は、もともと、フランス語が発祥で美食家、食通、ワイン通をさす言葉である。もしかしたら、日本でグルメという言葉が使われるその先駆けとなったのがこの本書タイトルからではなかったか。

全7冊は、イベリア、南米、香港、巴里、スカンジナビア、建国二百年に沸くアメリカ、そして、ドイツと、幅広く、世界の食文化を現地取材をもって伝えるというこの時代にあってインターナショナル、実に意欲的な企画であったことが伺える。さらには、日本語で書かれた記事に英訳文が併記され、この時代からサントリーの視野は日本だけではなく、広く、海外を見据えていたことと想像する。

私は、この”suntory gourmet”の全7冊美品を探している。だが、非売品、お得意様に配布のPR用ということで部数は少なかったのだろう、今これを見る機会は少ないような気がする。

さて、香港特集、これが、凄い。

まずは、中国料理の材料ということで43種の食材が見開きページでドンとカラー写真で紹介されている。フカヒレ、燕の巣、クラゲこの辺りは分かる。しかし、魚胆・魚の浮袋、魚の唇、熊掌、鹿沖・雄鹿の性器、この辺りは現在、日本で実物をほとんど見ることはないのではないか。

『suntory gourmet』3

そして、香港の市場、

豚をかついでいく女の子がいる。
あひるを売るおばさんがいる。
そのむこうでは、いかにも苦そうな、堅そうないんげんやきゅうりが並んでいる。
道傍に、カニの入った籠が並べられ、カニの白い腹が光っている。
露店で食べる人もいる。餃子、モツ煮込み、椰子やライチ・・・・。香ばしい匂いが流れている。
誰が漁師なのか、肉屋なのか、農夫なのか。
そんなことはどうでもよい。ここは庶民の健全な食欲と、いそがしい毎日があるだけである。

『suntory gourmet』3

私はこれを見て思い出したのが、いや、思い出さずにいられなかったのが両親に連れて行かれた1970年代後半の横浜中華街なのだ。

そこには、所謂、町中華とはまったく異なった空気感をもっていた。味はもちろん、高級、中級、庶民の味、飲食店のバリエーション、街の雑多感、猥雑な空気感がそこにあった。そう、あの頃、あの場所には、遠くて近い異国が間違いなくそこにあったのだ。
ぶら下がった鶏、小さい店の調理場からのぞく豚の頭に軽いカルチャーショックを憶えたものだ。いや、今なお記憶に残っているくらいだからトラウマに近いものだったのだろう。

今は、どうだろうか、横浜中華街だけではなく飲食業そのものが、見た目も優先され、何か、味そのものも、おしなべて日本人ナイズ、いや、世界的にイマドキナイズされてはいないだろうか。クリント・イースト・ウッドが大好物が日本のsusi鮨であるこの時代、食文化も、かっての時代に比べて、ワールドワイド、グローバリゼーション化がこれでもかと進んでいるのだろう。いまや、食通をうならせる未知なる食材とはもはやよっぽどの秘境にしかないのかも知れない。かって、海外旅行とは、観光ではあるが、また未知との食材と出会う、旅でもあったはずだ。

調理場からのぞく豚の頭、トラウマ・・・。
だが、私はそれから、何年も中華街に通いつづけている。その魅力がそのトラウマを吹き飛ばしたのだ。
庶民の健全な食欲と、猥雑、雑多な街のパワー、うん、本書を読んで、中華街ビギナーな頃の自分を思い出した私である。


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