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エリザベス・テイラーによって作り出されたエリザベス・テイラーという悲劇・・・、

12才で映画「ナショナル・ヴェルヴェット」で人気子役となり、後に世紀の美女「クレオパトラ」を演じたエリザベス・テイラー。彼女の最大の情熱は世界有数のジュエリーをコレクションすること。カルティエのビルマ産ルビーとダイヤモンド、ブルガリの素晴らしいエメラルドとダイヤモンドのスイート、夫であり俳優、リチャード・バートンからの贈り物である33.19カラットのクリップダイヤモンド、映画史上最も美しい女優と謳われたエリザベス・テイラーの至宝のジュエリー、コレクション・・・。まさに、溜息のもれる世界です。お部屋のモダンなインテリアにさりげなく調和いたします。是非、お買い求めくださいと、いうのが当店のこの豪華本のキャッチ・コピーであるが・・・、

『Elizabeth Taylor My Love Affair With Jewelry 』

私はふと、思う。なぜか、このエリザベス・テイラー、その素の人生、エリザベス・テイラーそのものがどこか見えてこない。いや、これは、偏見でもなく、ましてやバッシングなどでは断じてないのだが。もちろん、この女優を魅力的ではないという人は老若男女問わずその存在あきわめて稀であろう。だが、この人を知れば、知るほど、そうした気持ちに陥っていく。俳優の私生活がみえないというのはよく聞く話だが、エリザベス・テイラーが演じる『バターフィールド8』のコール・ガール、『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』の中年のアル中婦人、そのものズバリの『クレオパトラ』・・・、では、本当のエリザベス・テイラーとは、その実際の人物とは・・・、それが私にとってあまりにも不透明なのだ。マリリン・モンローのようなセックス・シンボルではない、オードリー・ヘップバーンのようなコケテッシュな魅力に溢れているわけでもない。映画史上最も美しい女優、とはいえ、単にその見た目の美しさだけではない、アカデミー主演女優賞を生涯二度にわたって受賞している実力派女優であるにも関わらず・・・。

エリザベス・テイラーは子役としてデビューし、すぐに人気スターになったのだが、ある映画関係者の話しに、”テイラーの目はあまりにも大人びすぎていて子供の顔じゃない、”といったような意見もあったようだ。
そう、その子役時代の映画を観ると、確かにそうかも知れないと思うところもある。その大人びた容姿、落ち着いた雰囲気、それは単に演技の上手い子役という域を超えている。ある意味それは奇異でもある。

後年、テイラーはあるインタビューでこんな発言をしている。
「映画に出演している有名なエリザベス・テイラーは、私にとって、何ら、深い意味はありません。単にうわべだけの商品だと言えます。私は、セックスクィーンでもセックスシンボルでもありません」

テイラーは生涯にわたって、7人の相手と8回の結婚をしている。日本はもちろんのこと米マスコミにとっては、上お得意様だったことだろう。”あなたは、なぜ、そんな結婚をくり返すの?”という身近な人間の質問に対し、また、彼女はこんなことを答えている。
「わからない、私にもさっぱり分からない。ただ、両親から言われたことは、好きになったら結婚しなさいと・・、私はきっと古風なんでしょうね」

私は、このようなテイラーの発言は私のその漠然たる思いへの十分な答えになっているような気がする。だが、実際のテイラーとは、その答えはいまだ宙をさまよったままである。

ただ、事実をのみを述べるならば。
テイラーは宝石を愛し、その死後残された宝石のコレクションの数、価値はおよそ、1億5千万ドルとされている。
なぜ、彼女は、ここまで、ジュエリーに固執したのだろうか。

さらにまた、
テイラーは当時のアメリカの女性たちにとってファッション・アイコンだった。テイラーの衣装の購入はパラマウント映画社の衣装デザイナーだったイーディス・ヘッドやMGM映画社のヘレン・ローズがテイラーの顔、胸、腰に合うデザインを選ぶように助言していたという。
映画のなかのエリザベス・テイラーの衣装について、意見する、考える、デザインする、それはもちろん、デザイナーにとっての仕事であるから、この話は、テイラーの私生活での衣服について言っている話だと思う。すなわち、”アンタ、そんなみっともないカッコで外にいかれちゃ困ります。大女優なんですから・・・”という話だろう。

もちろん、テイラーにとって、ジュエリーも同じような意味としての存在だったのだろうか・・・。

だが、私は、つい最近、ある女性モデルの方の話がふと耳をよぎることになった。それによると、
”女性にとってジュエリーと服を選ぶこととは、まったく違う経験を呼び覚ますことになる。気持ちを揺さぶられる、刺激的かつ、ユーモアがあること。
私は、繊細な部分と遊び心を巧にミックスすることを心がけていて、それは、まるでゲームのようなものかも知れません。平面におかれたものが、身につけた瞬間、立体的になって女性を飾る。”

私はこの話を聞いて、ふと、なにか、このエリザベス・テイラーという人が理解できるようになったのだ。大袈裟な話かもしれないが、なにか、その生涯を思い知れるような。

テイラーは幼い頃より、映画の道に入った。大人の世界、甘えのゆるされない世界、さきほどの、”テイラーの目はあまりにも大人びすぎていて子供の顔じゃない、”と揶揄される世界。
テイラーの母親、サラは熱心なステージ・ママであり、テイラーが演技で自然に泣けるまで容赦なく稽古を続けさせたという。
テイラーは、自我が形成される以前に、ずっと前から、そうした世界で、様々な人物を演じ分けなくてはならなかった。たかだか12才の子供が。
おそらくは、そのような役を演じ分けるうちに、幼いテイラーは自分自身、自分自身の人格、本当の自分とは何かを見失ってしまったのではないかと想像したりする。
あえて言えば、だからこそ、様々な人物を演じる分けることができたということにもなりはしないだろうか。

相手役の男優を心から愛する。だが、それも、撮影が終われば、その火山の火口に飛び込むような愛も、自然と消えてゆく、何もなかったかのように。生涯にわたる8回の結婚、それは、ひどく映画のクランクイン、クランクアップと重なる。

エリザベス・テイラーとジュエリー、それは私自身が考える以上に、そこには深いつながりがあったことだろう。
”女性にとってジュエリーと服を選ぶこととは、まったく違う経験を呼び覚ますことになる。気持ちを揺さぶられる、刺激的かつ、ユーモアがあること。”

きっと、それによって、エリザベス・テイラーは純朴な子役から娼婦まで様々な役を演じ分けることができ、世紀の美女、クレオパトラでさえも、堂々と威厳をもって演じることができたのだろう。

かって、『南米のエリザベス・テイラー』という作品をリリースしたジャズ・ミュージシャンの菊池成孔氏は、自身の作品に対しこんな解説をしている。

南米のエリザベス・テイラーというのは、象徴であり、具体、存在したかもしれない、女優の悲劇という妄想と同時に、各々、無関係なBPMで演奏されるラテン・リズム・フィギュアの事。

南米のエリザベス・テイラー 菊池成孔氏の解説

エリザベス・テイラーとは、エリザベス・テイラーによって作り出されたエリザベス・テイラーという悲劇・・・、
だが、これほど見事な美しさもない。
私のそれも、すべて、妄想かも知れない。なんていっても、妄想が好きな私なのだから・・・。


『Elizabeth Taylor My Love Affair With Jewelry 』

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