何もない1日、お腹を触る

思ったよりも存在感のあるお腹。
私の食欲が増した結果。末路。妊娠してるわけではないです。
へっこませても隠しきれない下っ腹。もの悲しい気持ち。

痩せるか痩せないかは結局、カロリー収支です。
最近は自分の食生活に怠惰になっていたから、
昨日、「あすけん」というアプリを入れて食事を登録してみたら
早々に楽しくなっちゃっている始末です。
以前、パーソナルジムに通っていた時にコナミのカロリDietというアプリを使っていたことがありますが
去年サービス終了していたようで・・でもあすけん中々いいです。
食材を細かく登録できるから、自炊でもカロリーが計算しやすいです。

彼は、私のお腹を見ても嫌がりません。かわいいお腹と言ってくれます。
どうせ痩せるんだから太ればいい、食べるのも体力のうちだと言います。
目の前の存在を全肯定する彼の懐の深さは尊敬に値します。
私は彼のお腹が出てきた時、いろんなことを言った気がします。
あの時の私の彼に対する愛情は「痩せている男」という「条件付き」だったのかもしれません。

彼が肯定してくれようと、自分で自分を許しちゃダメだ!
かといって、無理なダイエットは不健康になるからダメだ。
健康で文化的な生活のために、順当に、週2でジムに行こう。

そうして3月からなんとか週2、少なくとも週1のペースを守って継続中。
そしてここからは、食生活をきちんと記録しよう。
目標は、8月の人間ドックまでに体重を元に戻す・・とは行かずとも
筋肉量アップ込みで、この数字にしよう、と心に決めます。

さて、あすけんが「一日300kcal」を運動で消費するように勧めてきます。
どうやってその目標を達成したらいいものか、筋トレは昨日したし。
とりあえず雨の中買い物に歩いて行きました、ちょっと早歩きで。
夕方には雨も止むそうですから、そこから少し散歩でもしたらいいでしょうか。

オランダに行った時、街ゆく人々の体型は自由でした。
日本人みたいに小柄で痩せた人間はそうそういません。
ぴっちりしたパンツを履いた女性も、肉付きのいい巨人が多いです。
日本ってなんて小さな見た目の価値観に囚われているんだろう、と思いました。

でも帰ってきてしばらくたった今、やはり日本にいるということは痩せていなくてはならない、というような強迫観念にかられます。
家族は弟を除き痩せ型でした。今では父もお腹がぽよんとしており、母も母で更年期に肉がつき、それを隠すようなダボっとした格好をすることもありましたが。
太っている人をなんとなく毛嫌いするのは、やはり「太っている人を下にみる」ことを否定しなかった家族の影響もあるだろうし、私自身の小さい頃の体験もあると思います。

太っているからといって、その「太った」集団に何かラベリングができるわけではない・・という声もありますが、いや、そうでしょうか。
病気や薬など要因のある太り方はあるものの、やはり一般に「太る」ということはカロリー収支を調節できていないからであって、運動と基礎代謝を上回る食生活をし続けた結果なのです。
「自己管理において怠惰だ」と言いたくなってしまいます。
まあ、その言葉が今私にそのまま返ってきているんですけどね。

太ると悩みが増えます。
人に会いたくなくなるし、自分の体をもっと嫌いになります。
好きな服を着るんじゃなくて体型がバレない服を着るようになるし
過去の写真を見てガックリしたりします。
人間ドックの数値だって悪くなるでしょう、
無駄に太ることにいいことはありません。
食糧危機が起きたときに餓死するまでの時間稼ぎができるくらいです。

人それぞれ、スタンスに違いがあることはわかっています。
これは決して常識なんてものではなく、
私の中の「太るのは悪いこと」という主張です。
とはいえ、書いてて悲しくなってきました、くう。。
日本や韓国以外の国に行けば楽観的になれるでしょうか。
痩せなければいけない、と誰に言われたわけでもないのに
痩せていないといじめられる、という気がしてくるのはドラマや漫画の影響も大きいかもしれませんね。韓国ドラマだと良くありますよね、デブだと馬鹿にされて虐められて、痩せて復讐するやつ。。

そもそも、自分の見た目にこだわるのは、
自分が他人に対して行っている行為そのもの(鏡)だと思います。

客観的に見た今の自分をいつでも受け入れることができたなら、
どんなに心が楽になるでしょう。
どうして当たり前にそれができる人もいれば、
こう苦心している人もいるのでしょう。
答えはきっと、自己肯定感なんでしょう。
最近悩むと全部自己肯定感に収束してくるんでちょっとうんざりしてるんですが、それくらい根本的なものなのでしょう。

子育てにおいて、何にしても、なんでも肯定して愛してあげるということが重要なんだろうと思います。
信じる、無条件に愛する、その行動が子供の自己肯定感を高めて、
どんなものにも基礎となる力をくれる。

条件が整わないと愛されない。
今回のような「痩せていなければ他人から愛されない」と無意識に怖くなってしまう私は、条件付きの愛情ばかり意識していて、「自分がどうなろうと愛される」気なんてちっとも持てません。

人のせいにするようですが、母は私に、無条件の愛情をあんまり表現してくれませんでした。
条件を満たさなければ距離を取られるような恐怖感がありました。
これは、別のノートでも書きましたが。

私は母からの愛情をお手本に生きているから、まだ周りのことを「条件付き」でしか愛せていないのかもしれません。
なんであっても生きていれば愛される。
そういう無条件さを自分にも他人にも与えられるようになるには、私がこの点で母に怒りをぶつけ、そして許し、自由になる必要がある気がします。
すでに死後の世界に行った母に、直接言うことはできないし、安心をもらうこともできないけど、消化していかないといけません。

・・深刻になりすぎかな?もっと楽に生きてもいいぞ〜(天からの囁き)



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