「心の病」なんかない。を読んで

まず手に取った時、タイトルでズキっと心が痛んだ。
「心の病なんてない」というのは「うつ病は気持ちの問題だ」という主張と同義に聞こえた。その言葉はきつい。
だけど違った。この人のいう「心の病なんかない」はそうした「うつ病患者への攻撃性」を含むものではなかった。あとがきにこうある。

いつの頃からか、「心の病」や「心の病気」という表現が広く使われるようになったが、私はどうもその表現に抵抗感がある。
精神疾患のために苦しんでいる人の心が病んでいるとは、どうしても思えないからだ。
むしろそうした人たちの心は綺麗すぎるほどで、だからこそ悩みが大きくなるのだろうと思っている。

当事者視点で言うのもなんだけど、「心が綺麗すぎる」の、わかる。
純粋に、素直に、真っ直ぐに頑張り過ぎている程、勝手に苦しむ。
力の抜きどころをわかっていて、世の中の理不尽さから諦める(明らめる)ことを学んでいる人の方が、しなやかでのびやかで、強い。
ちょうど別の本で、真っ直ぐに立つ樹木と海草が比較されていたような感じ。
著者はこうも書いていた。「心が病んでいるのはむしろ、平然と今のストレス社会を生きていける人の方ではないかと考えもする。」

心が病気になるわけではないのだ。
私は、精神疾患は精神作用にたずさわる脳の機能の失調だと考えている。

ゆえに、「心の病なんかない」という主張。
心は病気じゃない、大丈夫だよ。これは脳の機能失調なのだから。そういう理屈。

そもそも心ってどこにあるのだろう。
よくイラストでは心臓のあたりにハートマークが描かれて、「こころ」とされるけど、精神の所在なんてわからない。どこにあるかわからないものが病気になったと思うと辛いけど、「精神作用にたずさわる脳の機能の失調」であると思えば、気持ちが少し軽くなるのは私だけだろうか。
何も、私の心とやらが木っ端微塵になったわけではない。

脳から分泌されるホルモンによる調整がうまくいかなくなった、そういうだけのことならば、薬で補助することはできるし、日頃の生き方でその機能を元気にすることはできるという希望が見える。

この本は、大野裕という精神科医の方が日経新聞で連載したコラムの記事を1冊にまとめたものらしい。だから見開き2ページで完結する小話が淡々と続く。その中で、心に響いた(心ってどことかいいながら早速心って言ってる)文章を抜粋してまとめておこうと思う。

体でも当たりどころが悪いと大ケガをするが、心にも「当たりどころ」があるのだと思う。「仕事中心型」は人間関係の摩擦があっても耐えられるが、成果が上がらないとつらくなる。「人間中心型」は仕事が捗らなくても大丈夫だが、人間関係がうまくいかないと落ち込みやすくなる。この2つのタイプにきれいに分かれるわけではないが、人それぞれにストレスを感じやすい環境がある。

「当たりどころ」という表現が好きだ。弱点や弱みではなく、当たりどころ。こう表現することで、急激に落ち込んだのは自分の弱さのせいだ、欠点だ、と思う気持ちはかなり弱まる。当たりどころが悪かったなあ、と思えばいい。
私はこの2択で振り分ければ「人間中心型」側だろう。部活での挫折、大学での落ち込み、前職の休職、現職の休職、どれをとっても最後の一手は孤独感だったと考える。誰も助けてくれない、私は責められるだけだ、と恐怖と不安でいっぱいだった。
生涯の仕事がトイレ掃除でも、素敵な仲間と働けるならばそれはそれでいいじゃないか、と思ったりもする。私は復職したら、素敵だと思える人間関係を構築することに重きをおくべきだろうか。

どうも私たちは、スパルタ思想から逃げられないようだ。苦しくても頑張れば成長することができる、辛さから逃げてはいけないと、つい考えてしまう。確かに、そうした頑張りが必要な時はある。しかし、心が発する注意信号を無視することは、結局は自分を否定することになって、かえって精神的に弱くなる。つらくなった時には、自分の気持ちに素直に耳を傾けることが大事だ。

先日読んだ本で『「苦しい」の後には必ず「楽しい」「嬉しい」が待ち受けている。』とあった。苦しいをポジティブに捉える方法だ。
しかしこれを読み違えてはならない。これは「苦しい」の後に必ずやってくる「楽しい」を意識することで、脳内ホルモンが出るからやる気もUPするよ!という話であり、決して、断じて、苦しむことの正当化をしているわけではない。
それを忘れて「苦しいあとはきっと楽しい」だけを信じ込んで素直に受け入れ過ぎてしまうと、自分にスパルタになってしまう。「必ず道は拓けるから・・」と苦しみに耐えることをよしとする。私はそういうタイプだ。苦しまないと報われるものもない、そう信じて苦しむことを選んでしまう。

時によっては、終わった後の「楽しい」ことを意識することでパフォーマンスを上げてグッと頑張るべき時もあるし、もうそれ以上頑張らないで「あきらめ」たり「逃げ」たりすることが大事になったりする。(あきらめも逃げもポジティブな思想・戦略であるとその本にあった)苦しみが許容範囲を超えるまで待っていてはうつ病になってしまう。

自分に鞭打ってスパルタで生きていても、自分の否定にしかならない。
「苦しい」を、捉え方次第で「楽しい」に変えることができる間は、いい。どうにもできない、受け流すことすらできないようであれば、その時はじっと自分の心のいうことを聞いて、「あきらめ」るか「逃げ」るかにしよう。今のところは、そう考えておく。

心の健康には「遊び」の部分が必要なのだろう。ある組織改革で、無駄ということで重複する仕事が切り詰められたところ、職員の精神的疲労がかなり溜まっているという。一見合理的だが、無駄がない采配で職員の余裕はなくなり、疲れて少し休むことすらできなくなった。効率を上げる手立てをとりながら遊びの部分を忘れないことが、心の健康、組織の健康にも大切だ。

これは、仕事をし始めたら注意しなければいけないと思う。
最近の「タイパ」重視な世の中で、無駄は悪いものという印象が強まってきた気がする。私も自分に振られた仕事はできるだけ効率よくこなそう、それが良いアピールになるだろう、と勇んでしまいそうで怖い。

前職でも、「いつまでにできる?」に対して、できるかできないかのギリギリの期限設定を自分で課してしまうことがあった。でもそれは、今日の生産性が明日も明後日も続くと仮定すればの話であって、人は精神にも体調にも波があるからそううまくは進まない。

そもそも、「今見えている仕事」だけで終わることは絶対にない。
ITの仕事では工程のスケジュールを引く際に「バッファ」を必ず積むが、このバッファがバッファとして残ることはない。大抵、仕事は減ることはなく増えていく一方なので、必ずバッファは食い潰される。
自分自身のスケジュールを引く際にも、自分にスパルタにならないで、健康的な線を引くように心がけたい。

「お父さんは偉いんだね」と言われたら否定しないことが大事、と言われたことがある。子供の心の中に作られた憧れの父親像のいくつかを自分のものにしようとするからだ。
しかし、子供は親の良い面ばかりを見ているわけではない。親の欠点にも気付いてくる、このミクロながっかり感が成長のために重要になる。プラスもマイナスもある一人の人間として親を見ることができるようになるし、自分の足で動こうという前向きのエネルギーにもなる。
親を批判しながら、同時に親の良いところは取り入れて新しい自分を作っていく。親が完璧であろうとしすぎると、子供は息が詰まって成長しづらくなる。ほどよい関係が大事なのだ。

私は、親を世界一素晴らしいと思っていた記憶がある。
理不尽な怒りに血の気が引いたことはあるけど、その時の私は、この世の「正解」である親から否定された、失望された、という傷のつき方だった。怒りは湧かなかった。
ちゃんと親にがっかりし始めたのは、就活を終えて、社会人になってから。ちょっと遅過ぎたと思う。

自分が親になっても「親たるものはこうすべき」と自分に理想を課してしまうだろう。でもそれは同時に子供の首を絞めているようなものだからやめるべし、と割り切って、下手にうまく振る舞おうとせず、一人の人間としてぶつかることを念頭に置いておきたい。

性格を変えたいと悩んでいる人は少なくないが、まずは自分のありのままを受け入れて認めることが大事だ。欠点のように見えても、それと同じくらいの長所がある。
性格、その人らしさは簡単に変わるものではないが、行動のパターンは変化するし、変えることができる。考えることと行動することは別だが、区別しないまま悩む人は意外に多い。子供のやんちゃな行動に腹をたて、手を上げたくなる気持ちは母親として失格だと悩んだりする。しかし、考えたからと言って行動したわけではないし、行動は変えることもできる。

なるほど、確かに「考えることと行動することを区別せずに悩む」ことをよくしている。道ゆく人に敵意を抱いている気持ちを「考える」「思う」だけで、自分が犯罪者のような気がしたり。でも実際に何も行動していないのだから、犯罪者ではない。
自然と思うこと、考えることはあっても、それに対して自分の良心や理性が正常にブレーキをかけることができているのであれば、それはきっと悩むことじゃなさそうだ。

うつ病は、再発しやすい病気だ。良くなった後に何も手当てをしないと、半数以上の人に再発が見られるという。回復した後も、半年から一年は同じ量の薬を飲み続けたほうがいい。そうすると再発率は1割程度に減るという報告がたくさんある。量を減らすとそれだけ再発率が高くなることがわかっている。

これは知らなかった。私も今は服薬をしているが、復職して数ヶ月もしたらやめ時だろうと思っていた。周りだって、薬を飲んでいるうちは腫れ物だと思うかもしれない。ただ、著者のいう「高血圧や高脂血症の患者さんも正常範囲に落ち着いても薬を飲み続けるのと同様に」、再発のエビデンスを考慮するに、飲み続けたほうがいいのは確かだ。
その間飲酒も我慢か・・これが地味に辛い。でも意外と、地味に辛いだけだから、まあなんとかなるなという気もする。

企業でビジネスマンのストレスケアに関わっていると、うつ病の人が職場を異動しただけで元気になり驚くことがある。人間関係が変わるだけで気持ちが楽になる人がいる。異動については、当人から積極的に希望を聞き、可能な範囲で反映させる対応をしたほうがいい場合が多い。希望を聞いてもらえらということで前向きになるし、組織への帰属意識も強くなる。

別の本で、人の悩み・苦しみの9割は人間関係、というような内容があったかと思う。だからこそ、人間関係がガラッと変われば悩みもなくなり、元気になるのかもしれない。
私も、ありがたいことに現職の課長や部長が私の復職先について柔軟な対応をしようとしてくれている。こんなコネみたいな異動をしていいんだろうか、と迷いの気持ちがあるのは確かだが、コネも自分が作り上げてきた立派な財産だ、と前向きに捉えていきたいと思う。それに、なんであれ、私がまた休むより帰属意識を持って健康に働くほうが上司のためになる。

ただし、別のコラムに「異動から3ヶ月目、うつ発症に注意」とあったのでそこは気をつけたい。異動のような環境の変化に対し、表面的には問題ないように振る舞えるが、3ヶ月も経つと無理がたたり・・ということ。
私は、アラートを上げずに、「表面的には問題ない」ように取り繕うことばかりなので、耳が痛い。
自分の苦しさにちゃんと向き合って、建設的に「これは難しい」「これができない」などできないことをちゃんと周りにわかってもらいながら、失望されるかもしれないという恐怖に負けそうになっても「がっかりされたほうがハードル下がって好都合だぜ」くらいに捉え直して働いていけたらいいなと思う。


以上、私が心に残ったいくつかのコラムたちの抜粋。
他にも面白い小話など色々あるので、人によって、読む時によって、有益な情報は変わってくると思う。



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