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DIE WITH ZEROを読んで

まず、自分の老後の姿を想像して、その立場になってみます。

ここ数年、瞬く間に寝床にいる時間が多くなって、外出もほとんどしなくなった。
たまに子供が孫を連れて遊びに来てくれてたけど、最近はしばらくない。
私の人生はなんだったか。楽しかったような、辛いこともあったような。
総じて、人並みだったんだろうな。

小さい頃、弟を叩いて怒られたな。
中学生の時、合唱コンクールでみんなが寄せ書きをくれたな。
高校生の時、部活で優勝して舞い上がったな。
社会人になってから、パートナーとの日々は平和だったな。
初めての海外でオランダとスペインに行ったのは刺激的だったな。
子供が産まれたときは・・
パートナーが退職した時は・・・
それから・・

そう、死を目前にしたとき、
人生に残るのは、他の何物でもなく「思い出」。

若い時一生懸命育てた人脈は、歳をとるにつれて自然と薄れたし、
楽しくて買い集めたものたちには、その価値を見いだせなくなってしまった。
死を目前にしたら、人脈も物の価値もなくなった。

そして、たくさん稼いで老後のためにと節約して貯めておいたお金は、使うことができずに口座に眠っている。
病気の治療代は、高額医療の補助があるおかげで青天井ではないし、保険である程度のお金もでる。思ったよりも治療費にお金を使わなかったな。

人生に残るのは思い出。思い出は経験の積み重ねから出来上がる。
でももう、歳をとった今、「経験」の幅が限られている。
もう、経験をこれから増やすことなんてほとんどできない。
新鮮さがあるのは、デイサービスで新入りの方の話を聞くときくらい。
海外に行くことなんて夢のまた夢で、電車で人混みに行くのすら億劫だ。

こうなるんなら、健康を損なう前にいろいろ出かけておくんだった。
いつまでも健康でいられるような、盲信があった。
健康を損なわないように若い自分に投資しておくんだった。
心よりも先に体が歳をとっていた。
それに気づかず、慢心した自分の責任だ。

漠然とした不安で良かれと思ってきたお金を貯めたけど、そもそも無理に医療にお金を注ぎ込んでまで延命したい命だろうか。
今やパートナーも他界して孤独な毎日で、寝たきりにでもなってしまったら子供たちにだって迷惑をかけてしまう。

・・・

と、寂しい老人となった未来の自分に立って考えてみると、
人生に残された過処分時間はそう多くないことに気づくのです。
そして若いうちにいろんな経験を積もうと言いながら、実際には怠惰に過ごすだけの日々、それが永遠ではないことを、焦りと共に実感します。

一冊の本を通しての著者の主張を要約してみると、こうでしょうか。

「人生に残るのは思い出。思い出は経験から生まれる。
 歳をとるとできない経験が出てくる。
 できるうちに経験をしろ、そのために金を使え。
 金を残して死ぬのは金に変えた時間が無駄になったということだ。
 有り金はゼロでしね。」

私たちは、良くも悪くも今の状態が永遠に続くような漠然とした妄想に囚われています。次の瞬間に地震で全てが崩壊するなんて思わないし、最愛の人は元気でずっと生きているような気がする。
でも、人生はカウントダウンです。残り時間はこうしているうちにも減り続け、私も最愛の人もみんな等しく、一秒ずつ死に近づいています。

それを真っ直ぐに見つめず、「金がない」という不安から逃げるために、働き、時間を金にかえ、ほぼ無計画に貯め、定年を迎えます。
定年に達した時には資産が人生最大を迎えるのだけど、膝なり腰なり腎臓なり、どこかしらが悪くなっていて遠くへ行くことが難しくなり、そうなるとモノを買う以外にお金を使うことが減っていきます。

そうじゃないだろう、金は使うべき時に使え、そういう主張をぶつけられます。
健康と時間と金、この3つが人生における大切な要素。
その3つのバランスはライフステージによって変わっていき、
若いうち、健康で時間がある時には金はさほどないし
歳をとって、金も時間もあるのはいいが最大の資本である体、健康がイマイチになっていたりします。

金がないから行動しない、と思っていつかお金が貯まった時にチャレンジしようと先送りの20代を過ごしているような私ですが、
「今リスクを取れないならいつ取るんだ」という著者の言葉は、その通りなんだと思います。リスクをとって行動するのは、若いからこそできることです。まだ取るべきじゃないリスクなんて、ないのかもしれません。
若い方が失敗の痛手が少ない。歳をとってからの方が失敗は響く。
だから、リスクが怖くて後回しにするのは、リスクをより増大させているようなものかもしれないのです。

少し戻りますが、単純で、シンプルな一言だけど、
「人生は思い出の蓄積」
だなんて、今まで思わなかったように思います。

人生ってなんのためにあるんだろう、という問いに対して
「そもそも生きる意味なんてないんだよ」
「楽しければいいじゃない」
「生きてるだけでまるもうけ」
そうした答えはあっても
「人生は思い出だよ。最後に残るのは思い出。」
この一文には辿り着けませんでした。

今まで、経験がどれだけ大事か熱弁されても、なぜ大事かを理解しきれていませんでした。
でも答えは簡単ですね。
経験は思い出になって、それそのものが人生になるからです。

生きててつらい時、なんでこんなにつらいのか、とか
楽しいことは何か、やりたいことは何か、と自分に問いかけたりします。
それで違うことに意識を向けられる時もあるし、そうでない時もあります。
でもこの問いかけでは、すごく短い時間軸の中でしか物事を考えられません。人生というスケールからすれば、ちっぽけです。
だから、常に有限であることを意識して
「私の限られた時間とエネルギーを何に使う?」
そう問いかけてあげたほうが、今日という一日を有意義に過ごせそうです。

「金を稼ぐこと」と「大切な人との経験」はトレードオフであることを認識し、最適化を目指せ、という話もありました。
「最適化」は本書を通じての普遍的なキーワードです。
なぜなら、持ち金をゼロにして死ねないということは、時間の使い方の最適化に失敗したということだからです。

なんとなく、なんとなくで金を稼ぐことは可能性をオールマイティにカバーしてくれるものだと思いがちです。
でも、大切な人との時間は、金では買えません。
大切な人は永遠にはいません。子供は大きくなり、親は死にます。
その大切な経験を捨てて、金に変換していることを忘れてはいけません。

そしてズバリ、「金ではなく、健康と時間を重視すること。それが人生の満足度を上げるコツなのである」と、著者は言い切っています。
人生は思い出の蓄積、の表現の仕方を変えただけ、とも取れます。
でも「ねえママ、人生の満足度ってどうやって上げるの?」なんて子供に問われたら、答えられたでしょうか。それに対する答えとして、健康と時間を重視することだ、と言っているのです。

じゃあ実際に何から手をつければいいのか。
言いたいことはわかったけど明日からも漠然とした不安のまま時間を金に交換する日々が続きそうだよ。
そんな私たちに、具体的な方法をいくつか紹介してくれています。

・タイムバケットというツールを使ってみること
 →自分の人生でやりたいことを年代ごとにリストアップする。なんとなく先延ばしをする・・という過ちを避けやすくなる。
・死ぬまでに必要な金=1年間の生活費×人生の残りの年数×0.7
 →これは色々注釈付きなのであまり深く言及しません。
・資産のピークは金額ではなく時期で決める(最適は45~60歳としている)
 →つまり、資産が減っていくタイミングを決めるということ。
・リスクの大きさと不安は区別すること
 →考えうる最悪のシナリオを想定すると、意外と大したことないな、と気づけるかもしれない。不安によってリスクを過大評価していると、リスクを取らないことのリスクが見過ごされる。

どれも、真似してみるだけの価値はあると思います。
私はこのほかに、小さな経験も忘れられないものにしようと思いました。
経験に金を使え、若いうちには旅をせよ、そんなスタンスの著者ですが、
海外旅行はいけたとしても年に一、二度です。
それに、旅行以外の日々が「無」なわけではありません。
笑ったり、泣いたり、新しいことを知ったり、日々はちっちゃな経験の積み重ねです。

ということで、一言でいいから日記をつけてみようと思いました。
今やGoogle Photoが毎日のように昔の写真をお勧めしてくれるので、それを見返すことで思い出を呼び起こすことはできますが、
写真を撮っていないものや、写真にはない情景は全て薄れてしまっていることを度々実感します。

だから、日々少し新鮮な経験をしたらそれをマンスリーダイアリーに残してみようと思います。そうすれば老後の私も、読み直して追体験できるはずです。老後の思い出追憶のための、今の私にできることです。

タイムバケットは、いくつかアプリをインストールしてみたのですが、イマイチ・・。
やりたいことを書くのは、付箋の方が良さそうです。そしてそれを、大きめの紙に年代別にスペースを分けて貼り付けてみる、というワークをしてみようと思います。

最後に、「ゼロで死ぬというのは正確には無理なことだ」という前置きから始まるあとがきの言葉を引用します。

だが、それはまったく問題ない。
ゼロで死ぬという目標を持つこと自体が、あなたを正しい方向に導いてくれる。あなたは、何も考えずに働き、貯蓄し、できるだけ資産を増やそうとしていたこれまでの人生をかえ、できる限り最高の人生を送れるようになる」

DIE WITH ZERO

金をできるだけ稼ぐ、というのを目標にして生きるのは資本主義社会の奴隷としてはパーフェクトですが、いち生命としてはおかしな状況ですよね。
紙幣は人が作り出した概念であり、資本主義も偶像ではないでしょうか。
同時に時間も概念かもしれませんが、これは他の生命体全てに共通するものです。健康もそうです。
私たちは資本主義社会の都合のいいように金を稼ぐことの大切さを意味づけられ、盲目的に働くことで他の悩みから逃げているのかもしれません。
大切なのは経験と、その思い出です。
それがこの本から学び、生きる間胸に留め続けるべき重要なフレーズです。
冒頭の寂しい老人の未来にしてしまわないように、留めておきたいです。

どうか死ぬときに、
思い返す自分の人生が誇らしくて微笑んでしまえますように!

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