真面目系クズの趣味は悩むこと

自分は悩むのが趣味というレベルだ
仕事中も悩み、仕事終わってからも悩み、
休日もほとんど悩む時間に費やしている

現実は変わらないまま
時間だけは過ぎていく
年齢という数字だけは増えていき、
それに比例しない社会的立場や経験値や能力
比例して増えるのは絶望感

悩むことは無駄だとか
行動こそが現状を変える
そんな正論を言われても響かない
そんな当たり前の理論とか
現実に真っすぐ立ち向かう気力を
全て失ってしまったようだ

ひねくれた
天邪鬼というのは、言葉の響きは可愛いが
深刻なレベルで人生に影響を与えている
人から褒められると居心地が悪い
正しいやり方を捻じ曲げたくなる
自分を肯定することはなぜかできないが
否定することは得意になってしまった

人から人格を否定された時
とても怖いと思っていたはずなのに
ホッとした
人から嫌われたことや人格を否定されたこと
なぜか嬉しかった
本当の自分を見てくれたという感覚

そう、僕は本当はクズなのだ
一見良い人そうなのかもしれない
真面目そうなのかもしれない
優しそうなのかもしれない

実は、
自分の意志がない
自分の軸がない
自分の芯がない

だから、
人に意見しようにもできない
自分を否定し他人に迎合する
嫌われたくないし怒られたくないから一定のラインまでは頑張る

でも、一定のラインを超えて何かを求められたり
自分の意見を求められたりすると
とたんにきまりが悪くなる
その場から逃げ出したくなる
逃げられないと、嘘をついたりその場をやり過ごすのだ
自分由来の気力がないので、時にサボることもあるのだ

そして、
「嘘をつくのは悪い」
「サボるのは悪い」
というある意味真面目な考えを自分に持っているため、
サボった自分
嘘をつく自分
人と同じレベルでできない自分
こういった自分を裁き、責めるのだ

そして自分から責められるので
何をしても自信がつくことがなく
継続することができず
気力は失われていく

いつしか自分を自分で責めることが普通になった
サボりも嘘つきも自分を責めることにつながるから
ある意味安心感のある行動となり
やめられなくなっているのかもしれない

結果を出すまで頑張れない自分
人から認められない自分
人から愛されない自分
これらを正当化したいのかもしれない
ある時点からはもう、
ダメな自分
自己否定される自分
クズな自分
に安心感さえ覚えてしまったのだろう

頑張ろうという言葉が頭に浮かぶと、
頭が痛くなる
思考がぐちゃぐちゃになる
頑張っても無駄という理由が次々と溢れてくる

一方で、頑張ることが尊いという信念を持っているため、
それが頑張れない自分を責めるかっこうの理由になる

これが、本当のクズであれば
頑張ることが良いという考えがそもそもないため、
罪悪感さえも持たずにニートやったり
社会に迷惑をかけながら生き続けていく

自分のように真面目な考えを持ちながらも
それと相反する行動を取り続けている人間は
そのギャップに苦しみ続ける

こうすべき
こうあるべき
という自分の強烈なルールに対して
やりたくない
できない
という拒否の感情が生まれる

そのため、何かの目標を持つことが恐怖となった
目標を持つと
それを達成できない不安
失敗したときに襲ってくる罪悪感や自分責め
それらが混ざり合って頭の中を混乱させる

だから目標はいつしか作らなくなった
ただ自分責めの材料になるだけだから

目標も目的もない人生の始まりだ
しかし、これはこれで虚しい
目標も目的もないため、一日一日に違いがない
毎日が同じことの繰り返し

真面目系クズは
「一日一日を無駄にしてはいけない」
「人は年齢を重ねて成長していくものだ」
という考えを持っているため
結局は、目標を持たない自分に対しても
罪悪感や劣等感を持つことになる

頑張るにも頑張らないにも振り切ることができない
頑張ることもできない
頑張らないこともできない
そんな人間がいる

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