ドーパミンは人間らしく生きる上で必要 しかし、ドーパミンには種類があると考えている それは、光と闇の2種類 闇、というのは急激なドーパミン上昇によって爆発的な快楽を得られる物だ。 その代償として、その後に急激にドーパミンレベルが下がり、激しい不快感に襲われる。 不眠、うつ、不安感、欠乏感。 具体例は、ポルノ、ジャンクフード、ゲーム、SNSなどのデジタルコンテンツだ。 光は、逆にドーパミン上昇が緩やかだ。その代わり、持続性がある。闇のドーパミンのように急降下しない。いわば、
浪費は、ストレスによって起こる。 実は、本当にその商品が欲しい、そのサービスを受けたい、その食べ物を食べたい と思ってない場合がある。 単に、ストレスが一定値溜まり、それをうまく発散できずに、お金を払う事によってバランスを取ろうとしている節がある。 実際は、人との温かい触れ合いがないことによる孤独感、セロトニン、オキシトシン系のホルモン不足があげられるだろう。 そして、ドーパミンを出すために物を買い、その後の快楽を想像してポチる。浪費しちゃう。 ウォルトやウーバーなんて
なんだかんだ悩んだり 迷ったり、モヤモヤしてるのは暇だからかもな そのくらい時間的余裕を頂けてるともいえる。 もし、10分ごとにやる事が詰まっている芸能人のようなスケジュールならば、 悩んでる暇もなく目の前の仕事に集中せざるを得ない。他者を気にする暇もない。 結局、仕事終わった後の時間とか、 朝起きてから何しようとか、 休日の過ごし方とか、 周りの人はどうしてるとか 暇だから出てくる発想。 そのくらい、余裕がある今に感謝するか。 ありがとう。 周りと外見やステータスを比
自分を偽って得られるもんなんてない 最近そう感じている 結局は、相手にも自分にも本音で正直に向き合った方がいい わからない事は、分からないので教えて下さい 出来ない事は、すみませんが出来ません これが言えるだけで違う。 分からないことを分かるように振る舞ったり 出来ないことを無理に出来ると言ってしまったり そんな事をして、後から後悔して自責するのだ もう、そんな謎の行為はやめよう。 世間の声とか、今の時代は、とか知らんから。 お前は、どうなんだ?って話。 自分自身の本
結局、自分はこの先どうしたらよいのか このまま、くすぶっていても始まらない 何か新しい行動に打って出るしかないだろう 今までできなかったことも今ならできる気がする それは、心のよりどころが見つかったからだと思う 今は、自分を受け入れられている どんな自分も、自分なのだとあきらめている 結局、どこまでいっても自分の個性は消えない いくら、人の前でかっこつけようが、理論武装で偉そうなこといおうが、高級スーツをまとおうが、変わらない 僕は僕。 子供のころから変わらない。 なのに
自分が頑張れないのは、当たり前だったという話 現代の日本で、独身で、食うものにも困っていない そして、インターネットがあれば、どんな快楽も手に入る ポルノもジャンクフードも、映画も漫画も本も こうやってnoteに文章を書いて人に見てもらうこともできる つまり、無限のコンテンツを所持していて、ご褒美が手に入る それなのに、何を頑張れというのか 仕事を頑張って出世したり、残業して稼いで手に入れたいものは? 女?金?高級な家や車? 所詮そんなものだ。そのために頑張れるわけがない
努力ってのが、昔からできない。 勉強とか就活とかその他の活動。 でも、趣味を夢中でやれたこともある。 その違いはなんなのか。 努力の方程式は 欲求×成功期待感×危機感 なのだそう。 だとしたら、欲求がない事、成功期待感がない事、危機感が無いことを努力しようとしても無理。 欲求がちょろっとあっても、それが成功する見込みがなかったり、やらない場合のリスクが無い場合は、総合的にはやらない選択になる。 努力ができる人って、欲求が強いだけじゃなくて、成功するイメージ、自信、そし
人は皆変わりたい だから自己啓発本が売れる 自己啓発本の凄いところは、 それを書いたのは他人であるのに 自分も変われる気がするところ 結局人は、その人の生い立ちや遺伝、周囲の環境から影響を受け、人間としての思考、判断基準が形成される だから、同じ場面でどう感じるかも違うし、どんな選択を取るかも違う だから、その人が成功した方法で別の人が成功する保証がない 再現性がないということ なのに、自己啓発本は古くからずっと売れている ベストセラーになる本も多くでている な
最近、また朝起きられなくなった まだ本格的になる寒くないのに 体を無理やり起こすために買ったエアロバイクも機能していない まーたやっちまった 衝動買いは本当にやめたいね 3.4万円もするバイクじゃなくて2万くらいので良かったはずだ 色々調べすぎて良いのを買った でも結局習慣化しないと無駄な気がしてる 朝起きた瞬間も特段眠くない ちゃんと睡眠時間は取れている なのに、起きるモチベーションが湧かない やはり、人生の目的が設定されていないから 思考が曖昧で行き場を失い とりあ
結局今年も大きな変化がなく残り2ヶ月となった ポジティブな変化をしたいと願いつつも いつからか同じ自分に戻ってゆく 結局は、これまで蓄積した記憶に支配される 失敗や諦めのネガティブな記憶 そのネガティブ記憶が積み重なった結果 ポジティブな思考が浮かばなくなる どうせまたダメなんだろう きっと上手くいかないんだろう こういう出発点から始まる この思考の出発点に影響を与えているのは世の中の事象ではなく、自分の記憶 その記憶が世の中の事象にたいしてネガティブな反応をする
自分の人生が好きですか? あなたは、自信を持って自分の人生が最高だと言えますか? 質問を変えます。 あなたは、自分が好きですか? 自分自身を最高だ、と胸を張っていえますか? この手の質問は苦手だ。 なぜなら、そんな風に思ったことがないから。 生まれてこの方、なんとなく流されて生きてきた。 人間関係がなんとなく苦手で、家庭をやり過ごし、学校生活をやり過ごし、なんとか社会人として一人立ちできたという感覚。 求めていたのは、一人暮らしの自由な生活のはずなのに、満たされない。
仕事をやり切った日は、心地よい。 心地よく会社を出るので、その後、マックとかコンビニチキンとかジャンクなものを食べる発想がない。 それよりも、身体に良いものを食べよう、とか。 体型を気にしてヘルシーにしよう、となる。 逆に、仕事で中途半端でやり切れない、自分を責めるような日は、ジャンクフードに走る。 フライドチキンとかフライドポテトとか、ラーメンとかスナックとかが食いたくなる。 心のスキマを高カロリーで埋めようとする どうやら僕の場合は、そうらしい。 そのような時は変に
人の行動には思考が影響する 思考には記憶が影響している だからこそ、ネガティブな記憶が多い人は ネガティブな行動になる 記憶→思考→行動→成果 この図式を考えた時に、 ネガティブな記憶→ネガティブな思考→ネガティブな行動→ネガティブな成果となる 例えば、人に会って色んな体験を共有したいけど、会うことが出来ないという事がある。 それは、人に会うという行動の前に 「変な人と思われたらどうしよう」 「あの時失敗したな」 というようなネガティブな記憶や思考をするから。 そのネ
今の自分は、罪悪感を感じている。 主には、仕事で全力を出せていないこと。 そして、人生に対して真剣に向き合わずに先延ばしにしていること。 仕事で全力を出していない、というのはいわゆる逃げだ。 会社が悪い、とかいうつもりは毛頭ない。 自分が悪い。 自分は営業の仕事だが、実際には訪問せずに、車でビジネス本を読んでいることが多い。これも将来の糧になるのだと理由をつけている。 しかし、実際は、仕事中には仕事中にやるべきアクションを取らないといけない。それは本心では分かっている。だ
出来るだけサボろう 頑張らないようにしよう 先のことなんて考えず、今のことを考えよう 朝は寝れるだけ寝よう 起きれる時間に起きよう 仕事はほどほどにやろう なるようになるんだから キツイことは避けて、楽に出来ることをやろう 苦手なことは無視して、得意なことだけやろう 成長なんて言葉は捨てて、安定を見よう 決して出来ないことを無理にやろうとしないこと 出来ないことは他の人がやってくれる 将来のための投資?しなくていい 今さえよければいいじゃない 今自分が有意義に過ごすため
感想、まあ美味かった。 普通の月見にスクランブルエッグがプラスされてる。 ただ、マックで1番美味いのは結局ポテトだな。 バーガーでいうと、照り焼き。 結局バーガー自体が、味の濃さで脳をバグらせてくるので、月見だろうが、スクランブルエッグだろうが、あまり関係ない気がしている。 満足度はあまり変わらない。