ESくん
サードプレイスって、既存のAやBの場所で落ちつけないからどこにもないCを求めるパターンと、巨大なAとかBの中から準A準Bのように子や孫のCを派生させるパターンがあるよね。志向的には前者は未来と、後者は過去と共にある。
網口渓太
両方あるな。ふたりにとって家はどっちのタイプなんだろう? それとサードプレイスを外側から評価してるから、フォースアイだね(笑)
EMちゃん
あら、しょーもない男。どっちもじゃない。
ESくん
入りは前者、入ってからは後者かな。どっちもどっちになってるから、ちょっとゾーニングが甘かったな。それより、「サードプレイス」と言って「しょーもない男」と聴いたらOZWORLDの『NINOKUNI』をかけないわけにはいかないっしょ。
当時21歳やでこれ。たしかにボクは『あさがたのミートパスタ教』ではあるのかも(笑)
網口渓太
何かを強制されたりとか、支配されたりするのは生きづらいから、誰でも
いやなものだけど、OZworldくんはちょっと違う世界の見方に気が付かせてくれるよね。だってさぁ、『あさがたのミートパスタ教』だって、名前は無
意味でしょう。でも、その羽が伸びてる感じが、とてもいいよね。
ESくん
そもそもオズくんはカルボナーラが好きで、ミートパスタはいちばん食べ
ないらしい(笑) 自由だよね。
網口渓太
『天才の心理学』のE・クレッチュマーは、「天才とは、積極的な価値感
情を、広範囲の人々の間に永続的に、しかも稀に見るほど強くよびおこすこ
とのできる人格」って書いてたけど、どこかそういう雰囲気があるね。ニノ
クニか。商いは飽きないに越したことはないけど、第三の場所ねぇ。
EMちゃん
二十世紀前半のパリのカフェも、シュールレアリスムのアーティスト達と
か、作家のヘミングウェイとか画家のピカソとかが、毎日のように通ってい
たっていうじゃない。さっきのESくんの見方のまねをしたら、元々大物だ
った人がカフェに集まったのか、カフェに集まった人たちが次第に大物にな
っていったのかは、気になるところね。
網口渓太
あぁ、面白いかも。天才って過程をおろそかにされがちな所があるから。
EMちゃん
ハッ! 飯田美樹さんの本じゃん! そういえばそういう章あったね。
ESくん
この本を読んでるとさ、ありきたりな言葉だけど、昔も今も人が思うこと
って似ているし、それは国が違っても変わらないんだなと思わされるね。ボ
ーヴォワールの思考回路とかまさに現代人のそれ。
気持ちはわかるけど、ちょっと青すぎる気もしないではないけどね。
網口渓太
なるほどね、だからサードプレイスが必要になるってわけか。今はアニメ
とか推し活とか、ゲームとかVRとか選択肢も増えてるね。で、ふたりはな
ぜか家に居着いた(笑)
EMちゃん
ですです(笑) だから今日はお家カフェしましょ。ハイ、ライチのソーダ
作ったよ。バニラアイスクリーム付。
ESくん&網口渓太
うまい!
網口渓太
浅田彰先生じゃないけど、ふたり共どんどん逃走して、旅をして、遊撃し
てよ。三十代半ばから死ぬまで旅を生活にした松尾芭蕉じゃないけど。
ESくん
反対に、蕪村は三十代半ばに旅を止めて京都に定住したよね(笑) 渓太く
んは浅田先生のスキゾが好きすぎるから仕方がないね。
網口渓太
おぉ、引用の合わせ方がうまい!
EMちゃん
なるほどー、パラノ型はボーヴォワールの言う大人で、スキゾ型は子供ね。
ESくん
てことは芭蕉はスキゾに目覚め、蕪村はパラノに目覚めたのか。プロとア
マチュアっていう対比も作れそう。なるほど、だからアマチュア推しなのね。
EMちゃん
そして、「本当にすぐれたプロというのはアマチュアであることをやめな
いひと、スキゾ的な逃走の用意を欠かさないひと」ね。
網口渓太
毎日カフェに通い続けることを欠かさないことだね。実際パリはすべてが
決まっていて、秩序が重んじられ、閉塞感を感じる場所でもあるみたい。
EMちゃん
いいないいな。パリのロトンドとフロールでお茶するのが私の夢のひとつ
なのよ。やっぱり好きなモノとか人がいる場所って、テンション上がるわね。
ESくん
ちなみに日本には似たものとして「連」があるよね。芭蕉も蕪村も、他にも伊藤若冲、平賀源内、杉田玄白、鈴木春信、山東京伝、歌麿、北斎、馬琴、写楽、十返者一九、蔦屋重三郎まで、彼らの活動はいずれも連(サロン)なしではありえなかったと、田中優子さんが書いてた。
網口渓太
「連」ね。ふたり共仕掛けなよ連。さっきEMちゃんが言ってくれたけど、好きな人と一緒にいるところ、好きなものがあるところに出向いて、三角関係どころか、六角関係、八角関係とやっていきなよ。なんつってな(笑)