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コラム 命の終焉

 突然との遭遇のうち、最も劇的で、かつ驚愕を伴うのは、おのれの命の終焉を自覚した時でありましょう。
 実はぼく、これまでに三度も救急車のご厄介になりました。
 特に、二度の心筋梗塞は、少し遅れておれば命が危うい状態でした。この病気は、胸部の痛みなど特有の症状が言われていますが、最も特徴的なことは「ああ。おれは死ぬかもしない」という不安感です。
 ただし、ぼくの場合は「死ぬかもしれない」とは思いましたが、「ああ。これでおれの寿命が尽きる」とまではいきませんでした。おかげさまで、ぼくはあちらの世界の寸前までは行きましたが、そのたびにこちら側へ立ち戻ることができました。
 事故や災害などで一瞬のうちに絶命することをのぞき、数日前か、数時間前か、少なくとも数分前か、「いよいよだ」という確信を悟った時、はたしてぼくはどうするか。
 意識朦朧として、ほとんど脳細胞が働いていない、従って死の訪れも分かっておるのかどうかも判然としない、という無の中で逝くことが理想ですが、なかなかそうはいきません。
 医師であったカミさんの伯父上は、これも医師の長男に向かって「今を臨終と言うのであろうか」と問い、間もなく逝きました。
 肉親や親しかった人の、いろいろな死の間際に接してきましたが、それは各人各様でありました。ただ言えることは、最後の最後はだれも予測がつかない、ということです。
 おかしな言い方かも知れませんが、ゆとりのある心持ちで死に臨むか、はたまた、生きることへの執着から逃れられずに未練にしがみつきながら逝くか、どちらも人間らしい、その人らしいと言えます。ぼくも、ホンマモンの自分の姿で死にたいとは願っておりますが、ちっとばかり怖いなあ、という気もいたします。

 ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃  西行

 西行のこの歌、これまではあまりに「デケスギじゃ」の感じで好きではなかったのですが、お釈迦様が入滅(にゅうめつ)したと同じ如月(きさらぎ)のころに死にたいものだと詠い、実際にそうなったのですから、なんともうらやましい限りです。
 ここでいう花とは、桜の花です。ただし、ヤマザクラです。ソメイヨシノは江戸末期に作られて、それ以降に植えられました。
 西行には桜を詠んだ歌がたくさんあります。人間が生を享(う)け世を去るまでを、桜に託して詠っておる、といっていいくらいです。ちなみにこの歌、西行の辞世の歌と言われておりますが、そうではありません。
 辞世の句や言葉というと、なんとなく美しい散りぎわを思わせるものが多いですが、森鴎外の遺言は、鮮明にして簡潔、思うところを言い切ったものです。

(略)死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ 奈何ナル官憲威力ト雖 此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス 余ハ石見人 森 林太郎トシテ死セント欲ス 宮内省陸軍皆縁故アレドモ 生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辭ス 森 林太郎トシテ死セントス 墓ハ 森 林太郎墓ノ外一字モホル可ラス 書ハ中村不折ニ依託シ宮内省陸軍ノ榮典ハ絶對ニ取リヤメヲ請フ(略)
 大正十一年七月六日             森 林太郎 言(拇印)

 鴎外はこの遺書を、死の三日前に親友に口述しました。いろいろな解釈があるようですが、ぼくは、おのれの死に当たって世俗や権力を超えて人間らしくありたいものだ、と素直に読みたいと思います。鴎外の小説のように、無駄な描写や装飾がないところにすごみを感じます。
 
 さて、ぼくには、西行の無常観も、鴎外のきっぱりもありません。
 だれにも、必ず訪れる死は、ぼくにも例外なくやってくるでしょう。そのとき、どう向き合えばいいのか。今まで、本気で考えたことがありませんでした。考えるのが怖かったというより、身近なものとしてとらえていなかったからです。
 ところが最近、あちらからこちらからの突然の訃報があると、ぼくの突然の時を思い浮かべることがあります。
 その時、なぜか、チェリスト、パブロ・カザルスの『鳥の歌』が聞こえてきます。カタロニアの古いキャロル(祝歌)です。日ごろ鶴田浩二などを口ずさむぼくですが、時たま粛(しゅく)とした気分になることがあり、そんな時に聞こえてくるのが、いつもこの『鳥の歌』です。
 この歌と一緒なら。どこにでも行けそうな気がするのです。
 そのときのぼくは、おびただしい光のシャワーの中にいます。映画「2001年宇宙の旅」と同じシーンです。映画のボーマン船長は、時間を超越した白い部屋で、赤ん坊に戻りましたが、ぼくはどうなっていくのでありましょうか。
 見ていたい気もしますが、それは最後の最後までのお楽しみにした方がよさそうです。
 ぼくの白昼夢は、クロネコのお兄さんのインターホンにかき消されました。届いたのは、京都で寿司職人をしている、中学の同級生からの鯖寿司でした。これね、ちょっと炙って食すると最高です。
 うん、やっぱり、人生は、それまでを楽しみ、種明かしなしのフィナーレを迎える方が面白そうです。


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