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映画『悪は存在しない』と『銀鏡』の感想/上田映劇+トラゥム・ライゼ

noteでよくご紹介させて頂いている、長野県上田市の映画館、上田映劇さんと姉妹館のトラゥム・ライゼさんで、映画の鑑賞をしてきました

こちらはその感想の記事なのですが、申し訳ありません
一部、映画の内容についてショッキングな解釈をしている部分があるので、ネタバレだけでなく、暴力や残酷描写が苦手な方は閲覧をお控え頂くようお願いいたします
分かりやすく、ショッキング部分にはゾーニングした書式にしていますので、ご安心ください



『悪は存在しない』

自然豊かな長野県の山間の街に、都心の芸能事務所がグランピング施設を建設する計画が持ち上がり、地域の住民からの反発があったものの、その芸能事務所のスタッフ二名は街のことを知ろうと真摯に協力を求め、むしろ、その街に魅せられるように変わってゆく…という話なのですが、だいぶ思っていたのと違う展開を見せる内容でした
公式のあらすじ説明を読む限り、都会と田舎の対立構造というか、地元民と移住者のギスギスした気の滅入る心理戦のような話かなあと想像していたのですが、まったく違う方向でした
ちなみに公式のあらすじはこちらです

長野県、水挽町。自然が豊かな高原に位置し、東京からも近く、移住者は増加傾向でごく緩やかに発展している。代々そこで暮らす巧(大美賀均)とその娘・花(西川玲)の暮らしは、水を汲み、薪を割るような、自然に囲まれた慎ましいものだ。しかしある日、彼らの住む近くにグランピング場を作る計画が持ち上がる。コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府からの補助金を得て計画したものだったが、森の環境や町の水源を汚しかねないずさんな計画に町内は動揺し、その余波は巧たちの生活にも及んでいく。

フィルマークスあらすじより

人間同士の対立とか、悪いのはどちらなのかとか、そういう話ですらなかったんです
この話って何なのかというと、とても掴み所のない内容で、でも、見ててつまらないわけではなく、独特で朴訥で(時々棒読み)な人達の話し方とか、長野県の描写のリアルさが見ごたえあって面白いです 長野県住まいとして嬉しいところでした
冬枯れの林や、雪で覆われた凍りついた湖、澄んだ湧き水の流れ、山が迫るような背景に高く澄んだ空、名産の羊羹とワインが並ぶ食卓、食事時以外にはりんごがいつでも盛られた籠が置かれる、そんな長野県あるある感がいいです

しかし、映画的に何かを伝えてるんだろうなーと思うけど、どういう意味かが掴みとれないまま、どんどん進んでゆく場面がたくさんで、見慣れた長野県の風景をスクリーンを通じて楽しみながらも、この話どうなるんだ? とストレスが大きかったです
(もちろん良い意味の、考えさせられるストレスですが)
主たる登場人物の巧さんが忘れっぽ過ぎるところは、冒頭から台詞で言われていたけど、それが繰り返されるところや、巧さんが娘ちゃんに、触ったらいけないと警告していた木に、芸能事務所の黛さんが触って怪我をするとか、冒頭の水汲みをするシーン(まあまあ長い)と、枯れ森をずんずん進む不思議な視点に弦楽器の調べが絡むところ、それもラストにかけて少しずつ違った形で繰り返される
他にも何かを伝えていそうな場面ってたくさんあった、でも汲み取れないなあと悩むばかりです

手負いの鹿は、子連れなら人を襲うかも知れない、という警告は、巧さんと娘の花ちゃんのことだったのか?
鹿と花ちゃんが相対しているシーンは、鹿に遭遇したのではなく、自分たちは手負いの親子なのだと気がついた場面なのかも知れない
あるいは、あの鹿の場面は巧さんの心象風景なのかも

暴力の描写

傷を負った鹿と子どもの鹿と、それに向かい合う花ちゃん
次の瞬間、花ちゃんは倒れていて鹿の姿は無くなる
そして巧さんは同行していた芸能事務所の男の首を絞める
仰向けで片方の鼻から血を流す花ちゃんの呼吸を確めてから抱き上げて、森の中に姿を消す巧さん
首を絞められた男は覚まし、しばし咳き込んでからその場に倒れる
しかし、実際にあの場であったことは、迷子になっていた花ちゃんに巧さんが怒りにまかせて暴力を振るって、男はそれを止めようとしたけど逆上してる巧さんに首を締められたのではないか?
鹿とは何なのかと言うと、巧さんは花ちゃんの怪我は鹿がやったと思い込んだのと、自分たちは手負いの鹿だとの巧さんの自認のイメージかも知れない
「悪は存在しない」とは、巧さんが自分に言い聞かせてる言い訳の言葉だとしたらどうだろうか
ミステリ好きの発想の叙述トリックめいた解釈かも知れませんが…個人的にはそういう真相だと、納得がいく
巧さんってどうも精神的に追い詰められて、こう鬱状態の人に見える
忘れっぽすぎたり、無表情で一見感情の起伏がなく見えたり、娘のケアが行き届いていなかったりする それが衝動的な暴力を引き起こした、という解釈は安直だろうか
花ちゃんの母親、巧さんの妻は、置かれてた写真やピアノからするとおそらく死別しているのだろう
これも分かりやすい解釈になるけど、鬱の原因はそれなのでは

あくまで自分の、個人的な考えですが

『悪は存在しない』という作品は、想い描く“真相”により、視聴者ひとりひとりの心に描く、なにを悪とするかという価値観を炙り出す作品なのかも知れません
ポスターにも「これは君の物語になる―」って書かれてるし
だとしたら、とても難解だと見せかけて、すごくシンプルで素朴な話だと言える

そう言えば昨年末に見た映画で、一見すると設定が近しい印象のある作品があったのですが、その中にも、おっさんがおっさんにスリーパーホールドをかけて絞め殺すシーンがあったので、違う作品かと思ったら急にリンクしてきた! と不謹慎ながらちょっと面白くなってしまった 面白がる作品じゃないのに


『銀鏡』

フライヤー表
フライヤー裏

宮崎県の銀鏡(しろみ)地区に古くから伝わる年に一度の大祭に向けた、神職や氏子の方々の稽古の模様に日々の生活を伝えるドキュメンタリー映画
でも、ドキュメンタリーとしつつ、この地方の伝承や神事についての解説などの踏み込んだ内容ではなく、観光に訪れた人が息をひそめてこの地を見守っているかのような、貴重な神事に立ち合わせてもらってる、という気持ちになれる映像作品でした
夜を徹して行われる神楽舞の雄壮さ、囃子の心地よい揺らぎの拍子、銀鏡の方たちが何百年もの長きに渡り、伝えて護り続けた祭祀の凄味が響く作品でした

解説等はごく最小限だったので、推測するしかないのですが、陰陽道の基礎となった中国の星辰(星詠み)と日本の古事記などに祀られる土着の神々への信仰が融合して、この銀鏡の地の星への信仰が成立したのかも知れません
その神楽の舞は星の空の動きを表しており、星の恵みが降り注ぐことで、花も土も木も水も人も産まれたのだとする、感謝を捧げる神楽
普段は別々のお社に安置されている御神体である神楽の面が集まって夜通しの神楽が行われるのは、年に一度、この地の神々が集まって(お招きして)いることの表れなのだろうか

こんな感想を書いてしまうと申し訳ないのですが、クトゥルフ好きには刺さるものがありました
あと『ミッドサマー』もそうですね!
特定の地域で独自の発展を遂げた土着の信仰って興味がそそられ過ぎました 伝奇ものTRPGのシナリオになりそう
あるいは宗像教授と稗田礼二郎にも訪ねて頂きたいなあとか、色々と派生する妄想が止まらぬドキュメンタリーだったのです

という訳で、映画2本の感想でした
ふたつとも違う方向で感想を書くのがやや難しめだったのですが、映画館に出かけて、感想をどう書いたら良いかなあとあれこれと悩むのは楽しいもんです

こちらは恒例の映劇はんこです

 『悪は存在しない』 
『銀鏡』
上田市は今日も良い天気でした

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