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豪雪の山里から ~ はじめての米づくり

こんにちは。ようこそ

さて、7年前にこの山里に移住し
50歳過ぎて人生初、稲作というものを経験しました
田んぼの担い手になるというのが、地域おこし協力隊としてのミッションの一つだったのです

農作業の経験は限りなくゼロに近いけれど
大学は畜産科にいたから農業経験なしとは言えないけれど、田畑となると…そういえば小学校の時に授業で畑をやったようなやらないような…?っていうレベルでした

当然、稲作の「い」の字も何もわからず、
「次は何をしたら良いのですか?」と、文字どおり1から10まで
先輩農家さんにお伺いをたてていました
(さぞや煩わしかったことでしょう(;^_^A )

3反の田んぼも機械も何から何まで借り物
経験も知識もなく「農業やってます」とも言えないレベル

農法へのこだわりを主張する程の知識もありませんでしたが、
農薬はなんとなく使いたくないからと無農薬での米づくりをしました
だから、1年目からひたすら草とりばかり
移住の大先輩でもある先輩農家さんが、若かりしころに通ったのと同じ道だそうで、田植えから草とり、稲刈りまですべてを手作業にこだわってやった結果、腰を痛めちゃったから今は農薬を加減して使う農法(減農薬)に落ち着いているそう
果たして自分に耐えられるのか?

田植え以降は、夏に入っても、腰を曲げて草と向き合う毎日でした
30分もすれば、腰が悲鳴を上げる
それでもやり続けなきゃ終わらない
暑い中、お昼のチャイムが鳴っても田んぼからあがってこない自分を
近くの家の人が「あいつは死んでないか?」って
窓から眺めては呆れてたらしい

その頃の自分は、サラリーマン時代の悪い癖で
つい「昼前にあそこまでを目標にしよう」とか「キリの良いところまでやったら休もう」などと考えていたのだけれど
草とりに終わりは来ないのです
やってみて知ったのは、農作業は一つ一つは地味でも、それを延々と続けなくてはいけないということ。必要なのはダッシュ力ではなく持続力
それが分かっているから、先輩農家さんたちは
何をしてても時間が来たらお昼休み。ちゃんと休息をとります
後になってから気が付きました
そして、「キツくても根気よく続けられる」というのが、農家になる素質の一つかもしれないと思いました

実は、その頃の自分にとって田の草とりは、つらいばかりではありませんでした
それは朝8時から田んぼの真ん中で草を取っていたときのこと
田んぼの上を爽やかな風が吹きぬけ、頭上からはサシバの羽ばたく音と、ヒバリの囀りが聞こえてきた時に、ふと「そういえば以前なら、この時間は満員電車でギュウギュウになっていたな~」と気がつき、じんわりとした幸福感に癒されました
そう、当たり前だけれど、人間もただの生きもので、自然の中の一部分に過ぎないのです
人間らしく心地の良い暮らしっていうのは、こんなシンプルなことなのかもしれないと実感しました

それ以来、どんな仕事をするかとかどんな成果を上げるかいうことよりも、「人として幸せな生き方とはどういうこと?」というのが、自分の頭の中にとどまっているテーマの一つになっています(宗教家ではありませんが)

そんな感じで、初めての体験に大変さと楽しみを感じながら、なんとか腰を痛めることもなく秋には収穫の時期を迎えました
本当かどうか良く分からないけれど、収穫したお米は機械乾燥にするよりも天日乾燥させた方が甘みがあって美味しくなると聞き、昔ながらのはざかけにも挑戦してみました
そうして手間暇をかけて出来上がった、人生初の自作の新米(魚沼産のこしひかり)は、炊きあげるとふわっと薫りが立って、口に含むと甘みも粘りもあって、それは驚く旨さでした
それまでスーパーで安価なお米を買って食べていた、こだわりゼロの自分にとっては、お米本来のパワーに、この時はじめて触れた気がしました
そして人生50年、このお米の味を知らずにきてしまったのかと、本当に損をした気分になりました
なりゆきで何となく始めた米づくりですが、今も鮮明に記憶しているこの時の感動を、少しでも多くの皆さんとシェアしたいという想いが、芽生えた瞬間でした
その時の感情が、今も米づくりのモチベーションになっています


そして今、米を作り始めて7年たちました
ながくやってきたようで、まだたったの7回しか作っていません
年よりの米農家さんでも、冗談めかして「まだ40回しか作ってない」とか言うくらいですから
現に7回作って、問題なくうまく行ったという年は一度もない気がします
毎年、試行錯誤を繰り返しても、お天気に翻弄され、草に負けて打ちのめされています
だから、満足のいく米にはまだ行きついていません(飽きっぽい自分の性格からすると、簡単に思い通りにいかないからこそ、興味が薄れずに続けられているとも言えますが)

それでも、「今までで一番美味しい」と言ってくれるお年寄りや、「いつも少食の子なのにおかず要らないとお代わりして食べた」と喜んでくれるお母さん、「旨いから世話になった人への贈り物にしたい」と言ってくれる知人、「これ食べたら以前の米に戻れなくなった」と言ってくれる人など、多くの方から生の反響をいただきます

胸を張って「俺が作った自慢の米を食べてくれ!」とまで言えない自分もいますし、いまだに失敗する度に「農家のセンスないし向いていないかも」と思うことも良くあります

でも、その一方で有難い言葉をくださる人の輪が少しずつ広がっています
そんな言葉の一つ一つに後押しされるように、来年は頑張ってもう少しマシな米を作って期待に応えたいと、気持ちを奮い立たせてもらっています


そんな、気分はまだまだ駆け出し(?)の米農家です
ではでは

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