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当事者として語り続けること。

先日、読売テレビ「かんさい情報ネットten.」ゲキ追Xにおけるギフテッド特集に少し出演させていただきました。

今日は、なぜ出演しようと思ったか。
出演するにおける葛藤をひとりごとのようにつらつらと書こうかなと思います。


語り始めたきっかけ


【自称】ギフテッドとして語り始めたのは、このnoteでした。

なんでもウジウジ。一人では始める勇気のない私は、
ある人に背中を押してもらい、noteを始めたのでした。


初めは何を書いていいのか、そもそもこんな記事だしていいのか
頭のなか不安だらけで、なかなか投稿もできない。


そんなスタートでした。


初めは自分のため

そんなウジウジスタートの私でしたが、

少しずつ書いているうちに、
自分を整理するツールとなっていったというか、

自分を客観視する機会として、noteを書くようになっていったのでした。

いろんなことが見えてきて、
考える時間もできてきて

消化しきれず感情がぐっちゃぐちゃだった大学生時代。


向き合いたくない、逃げたいと思っていたけれど、
そうはいかず。

向き合うために、
少し気持ちを落ち着かせて
思いの丈を書いてみるということは
私にとってとても重要だったと思います。
(今もですが、、笑)


「語る」ことの意味


そうやって自分のことを綴っていくうちに、
イベントで語ってほしい、取材にこたえてほしい
など

noteをみてくださった方々がお声がけくださることもでてきました。

「こんな私の話が何の役にたつのだろう?」

そう思いながら需要があるのはありがたいことだと基本的にはお声がけいただいたものにはお答えしてきました。


しかし、今回テレビ取材のお話をいただいた際は
さすがに躊躇しました。

語る機会はこれまでもあったものの、
基本的には目立ちたくはない性格の自分。


目立ってしまう。
たくさんの人にみられる。
アンチもあるかもしれない。


「語ること」に意味づけが出来切っていない私は、
たくさんのネガティブ感情に飲まれ、お断りしようかとも思いました。


けれど、たくさんの方に相談する中で、

改めて「語ること」について考えてみよう。

そう思ったのでした。


思考整理の中で大きな役割を果たしてくれたのは、
10月よりスタートしたringOスクールの存在でした。

生徒さんたちと対話をする中で、
価値を提供すべき私が逆に何かすごく大きい価値を得ている
そう思うことがたくさんありました。

その力が私にとってはすごく大きくて、、
自分自身が語りを聞くこと/語ることの意味を見出していたのでした。

その経験があたまに浮かんだとき
なんだかすごく腑におちて。

「語ろう」と思うことができたのでした。


わからないならやってしまおう。


今でも、私の「語り」が役に立つものなのか
自信はないし、不安は大きいです。


けれど、私が語ることに意味がないならば
まぁ別に、そこまでのことというか
だれに害を与えることでもない。
プラスにはならなくてもマイナスにもならない。

じゃあまぁいっか。

良くも悪くもテキトーに割り切ることができたのかな。
出来たことにしたのかな。と思います。


語れることは語れるうちに


最近、
良いことなのですが、「幸せだな」と感じることが増えました。

良いことなのですが、
幸せを感じると、不幸から遠ざかると、
「語りたいこと」が減っていく感覚があって。

単に学生時代のことを忘れていってしまうという側面もありますが、

不幸な時間が減って、変に深いことを志向する時間が減ったなと。


良いことだと思いつつ、寂しさというか、
もったいなさも感じつつ。


思ったことは思ったときに残していかないとな。
思っていたことは忘れないうちに残していかないとな。



最後まで読んでくださりありがとうございました。
つらつらと独り言でした。


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私の活動についても覗いていただけると嬉しいです。


それでは。

あみ。

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