不一致な僕
《原子炉災害》
あの日から家に戻っていない、戻られない。
家の周辺は荒れ放題になり美しい田圃や畑は今は雑草が咲き誇っているのだろう。
目に見えないものに怯え、生まれ育った街を捨てて、懐かしい我が家に戻られない。
汚染水やら汚染土壌やら、処理の名の元に集めらては放置される。
見えないものは、いつまでそこに存在する。
国の偉い人は、「安全で安心なクリーンなエネルギーをつくる施設」と説明していたけれど…!
説明した偉い人達は今はもうすでに歳を重ねてしまい亡くなっている方が多い。
存命中の当時の偉い人は、目に見えない恐怖の無い所で、優雅に花が咲き誇るのを眺めて安心して暮らしている。
《怒 哀》
誰にぶつけたらいいのだろうか、この怒りや哀しみを。
安全神話は崩壊し、壊れる事が知られて使用済みの核燃料のゴミは土の中に埋められる。
全ての物は壊れる事を知っていながら「原子力発電を建設する。」とか、もう何十年も使ってきて古い原子炉まで使用休止から一変し「使用許可します。」と、テレビで随分歳を重ねた偉い人が簡単に言う。
歳を重ねた偉い人は頑張っても20年くらい生られたら終了するけれど…。
この先の未来を生きる何も罪の無い1歳児は見えないものに怯えて生き抜かなかればいけない。
昨日まで再生可能エネルギーとか、自然由来とテレビや新聞で高らかに掲げて風力や水力発電と言っていた。
原子炉で汚染されたあの住んでいた街や故郷を捨てなくてはならなくなった、僕は遠く離れた場所で暮している。
《現 実》
父はあの原子炉事故の時に入院していて電源が断たれた病院で亡くなり、年老いた母、まだ幼い子供、妻と4人の生活は住み慣れない。
夏はとても暑くエアコンの温度は少し低めにしてしまう、熱中症になるよりはエアコンを我慢しない方がいい。
原子力発電の事故を経験している僕も、この目に見えない電気の力を求めてしまうのは何故なんだろう。
国の偉い老人を批判しながら、僕は今日も電気自動車に乗る。
夕方帰宅してLEDの照明で照らされた家の中で、電子レンジで温めた焼き鳥を食べながら冷蔵庫から冷えたビールを取出し飲んでいる。
不一致な僕は、明日も同じ様な暮らしを求めてしまう…。
… 終 …