車窓アプリ
サイト
“時間列車にお乗りになりませんか?” 携帯にこんな感じの宣伝が入った事はありませんか?
先月この話しを同僚としていて、「何それ、新手の詐欺?」と同僚の晴也が言うので、2人並んで携帯で検索するとそれが出てきたが、晴也には出て来ない。
「えっ、なんで俊也だけ?」と晴也が少し不満そうな顔でいた。
「出てきたから、試せば?」と晴也がOKを押したが、全然画面が変わらない。
「変なサイトだな!」と晴也と一緒に笑っていた。
乗車
休日に携帯が鳴り画面を見たが、何も鳴った形跡はなく「あれっ?」と思い、携帯を置いたら画面にゆっくりとあの言葉が浮かび上がったと思ったら、“時間列車のご乗車有難うございます。”と……!
晴也が押したのが今頃?と思い携帯を置いた。
携帯を置くと携帯がまたあのセリフを繰り返され、どうせ“無料”と書いてあり“サイト内課金なし"だし、外の天気は雨降りだったのもあり、俊也は携帯を持った。
列車の中に乗り案内されたシートに座ると間もなく列車が出発し、案内アナウンスが流れ"時間列車の旅へようこそ、途中下車は有りませんので御容赦下さい。"と…。
本当の旅行の様な感じがして、ワクワクしていた。
車窓
車窓は開ける事もでき、風や音やその香りまでが体感出来る。
窓から観える風景はどこか懐かしい気がして、眺めていると母の麗華と父の太賀が2人仲良く歩いていて、どちらもまだ若くはつらつとしていて、両親に手を振ったら嬉しそうに手を振り返してくれた。
まるで自分の人生を外から観ている様な風景が止めどなく車窓に映し出される。
自分の誕生から始り、若き日の両親の育児の姿は特に面白くマニュアル派の母と感覚派の父、今の両親は正反対の性格になっている。
いろんなシーンが駆け巡る車窓は確かに自分の事を映し出しているのに、何故かネットフリックスの映画でも観る様なお気楽な感じで…。
主演が"自分"なので、あらすじは覚えているはずなのに、何か他人の様に思えるのは、客観的に観てしまうからなのかも知りない。
自分の素の姿が映し出される車窓には、“嬉しさと喜び”や“悲しみや怒り”が映りだされ、感謝する自分や自分の弱さからの虚栄心、傍観、懺悔、残酷なども観える。
思わず観てる自分から“違うだろう"とか“頑張れよ”とか“傍観するなよ”とか“嬉しい”等と感じ、“なんで、あの時”と思ったり、“感謝してみたり”といろんな気持ちを抱いて…。
エンドロール
もうすでに過ぎてしまった自分が主演の映像を観てるだけなのに複雑な気持ちに…。
そんな車窓に“幼い自分”から駆け巡り映し出され、今列車に乗り“車窓を観ている場面”でエンドロールが流れた。
エンドロールには亡き祖父母や学校を卒業してから会ってない友人などの、自分と関わってきた人達の名前が連なり、その多さに少し驚いた。
携帯の目覚ましのベルで目が覚めた。
“あのサイトを観てたはずでは!?”
“アッ”洗濯物と思い出して携帯を置いて、アパートの窓を開けると“びしょびしょ”の洗濯物だが、雨はすっかり上がり川沿いの桜並木の花が“重なり合ってたくさんの花”が咲いている。
鮮やかに咲く桜の花が目の前に、あの“車窓サイトの履歴”は無く現実の自分に向き合う。
バーチャルの自分を観ていた様に、“本当の自分”を探しに桜並木を歩いて桜の花びらを手にして柔らかで冷たいリアルを…。
…………………… 終 ……………………
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