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小説:普通日記 #2

どんぐりアーティスト、ミツマメ・レイさんのお店『まとまりのないレモネード』に行ってきました。生暖なまあたたか駅西口ビルの地下2階にお店を構えていらっしゃいます。そうです、そうです。麺や『もののみごとに』の隣ですね。あそこの「マサララーメン(五)」は格別です。しかし、(五)って何なのでしょうか。あ、この話はまた別の機会に。

レイさんは、元々両生類として暮らしていたわけですが(決定的な意味ではない)、この度爬虫類になったとのことで(暫定的な意義を含む)、新聞紙をさかんに千切っていらっしゃいました。新聞とは情報の固体物理学または活字の物性物理学であり、紙でありながら、紙以上の存在です。よって新聞紙は常に既にトポロジカルな存在だなとは前々から思っています。

さて、今月の目玉作品は『ラーメンは落花生ではなく、エキゾチックショートヘアは落雷ではない』です。もう、ネットでご覧になった方も多いかもしれませんが、これには本当に圧倒されちゃいましたね。直接観た方がいいですよ。

観るというのは、錯乱するミニチュアダックスフントの直進であり、パッションフルーツの弾け具合であり、更には「クララが立つこと」に通じます。
「クララが立つこと」を巡る言表を集約してみてください。それは知の考古学がもはや機能しないことを予見しています。
観ること-書くこと-話すことを巡る前提的な矛盾は、既にフランツ・カフカの作品に書き込まれている通りで、それはアタッシュケースの飛躍に繋がります。

クララが立つのかクララが立たないのか、という固定的二元的な問いを超えたいところです。クララはクララなのか、あるいはクララは存在するのか。やがて、存在するとは何かという【玩具】に辿り着きます。

閑話休題。
レイさんと熱い抱擁そしてそれ以上の行為を経て、生暖なまあたたか駅を後にします。地下鉄並笑なみわらい線を使って、新ひじき駅に到着。地上は西日に洗われていました。

何も無いことで有名な駅前広場には無数のエキゾチックショートヘアが集まっていました。
私はエキゾチックショートヘアが大好きなんですよね。

お皿にミルクを注ぎ与えます。顔が平坦なため口や鼻の周りが濡れてしまいます。
それを優しく拭き取るところまでがエキゾチックショートヘアとの交流なのです。

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